ニュースゼロを見ながら居眠り、1時半前、妻に起こされた後は目が冴えて録画したニュースを見たり。今年も鹿大で共通テストを受ける種子島、屋久島の受験生がトッピーで鹿児島港に着く。奄美大島は大島高校、与論島、沖永良部島は沖縄本島が会場だから徳之島、喜界島も含めて移動しているだろう。ただ、インフルエンザが流行っている。気をつけてほしい。

 デヴィ夫人が来鹿、塩田知事に面会して湾岸の体育館、スタジアム建設中止を訴えた。が、知事は議会で決まったこと、県民の総意、とつれない対応…。観光客が求めるイメージと、生活者の感覚の「意識のずれ」だろう。というか市と県でも場所にずれがある。


 仕事を切り上げて木曜は19時前に退社、野方で休憩して20時過ぎに帰宅。妻はケージ掃除中でふくがまとわりついていた。妻に甘えたくっている。令太郎は我関せず、だが。 

  食後、妻は居眠り…僕はニュースを見ていた。能登半島、被災状況を見ながら朝イチの渋谷特集を思い出す。


 僕が浪人受験生の頃も、もう45年以上前か、東京一極集中が進んでいた。個人情報保護の欠片もない時代、早稲田の合格者氏名を北九州予備校は新聞広告で出していたから、中学や高校の知人たちは受かったことを知っていて、街で会った時に早稲田じゃなくて立命に通っていると言うと皆「え?何で」という反応だった。北九州、八幡でも九大、西南、福大、九産大の福岡市か、北九大、福教大、下関市立大みたいな地元の大学以外(後は九州山口の国立大学)なら東京の大学、という雰囲気だった。あの頃の立命の文や法学部は設備の整っている今の立命より法学部はぼろぼろの広小路校舎だったが、たぶん入試レベル難易度は高かった。今は関西圏が更に東京に引き離されているから関西圏の大学はエリア化が進んでいるし。逆に地方から上京したくても学費、生活費用を考えると最初から上京を断念する世帯が地方では増加、首都圏の大学も7,8割は首都圏からの進学だ…。東京で暮らしていた時は当たり前に思っていたことが地方に暮らしていると当たり前じゃない。医療、文化、公共交通機関、教育、価値観…。むしろ幕末までの方がよほど地方に魅力があったはず。150年以上かけて地方が 東京に吸い寄せられる構造が出来てしまった。体制を作った当事者の薩摩,長州の鹿児島,山口は逆に田舎となり、衰退しているのが何とも皮肉なことだ。

 能登半島も高齢化傾向だろう。元通りの復興ができるだろうか。心配だ。


 それにしても、受験生の時に見た渋谷(國學院を受けたからなあ)、学生時代に上京して就活で歩いていた時の渋谷、働いていた時のターミナル駅の渋谷、遥か遠くの大隅半島からテレビで見る渋谷の街並み…えらく変わり、更に進化している。僕が働いていた時はまだハロウィーンの馬鹿騒ぎどころか、ルーズソックス女子高生の街でもなかった。ま、40年以上前でポケベルもなかった駅の伝言板の時代だったからなあ…。情報はネットで身近になったが、首都圏と地方の格差は更に拡大した。九州の中でも、福岡都市圏とそれ以外の格差は拡大している。後20年、僕が80を過ぎた頃、暮らしていた街、大隅半島、福岡、京都、首都圏…どう変化しているだろう。というか両親ともに80前後で亡くなったからもしかしたら僕の持ち時間はあと15年くらいしかないのかもしれない。


 元日からの震災でさまざまなことを考えさせられた。




ただ、とりあえず金曜日、今日の仕事を安全運転で出勤して何とか1日をのりきらないと。 


 お金が、とか利益、営業のブログの多さ。いいねを見ているともしかしたら素人の日記ブログの場所じゃないのかな、と思ってしまう。ま、場がなくなるまでは(記録したいと思う間は)自分自身の為にもうしばらくは書き留めてみよう。

 

 

追記   何とか朝起きあがれた。晴れ、妻は早朝厨房半日出勤。9時15分には出勤すること。