職場からの連絡網、もう来週からに向けて動いている。正月気分は初日の大震災で 1日目から全くないが、風邪気味で体調は 今ひとつのままだ…。


 ふと思うのが、45年前、東京、早稲田か、京都、立命かの選択肢。学生時代の友人にも恵まれて悔いは無いのだが、 河合塾時代の厳しい社会人時代とは別の、学生時代の東京を味わってみたかった気もする。ただ、奨学金とアルバイトの貧乏学生時代、東京ではたぶん生活できたとしても当時60万程度の年間授業料を払えなかっただろう、中退していたかもしれない。今と違い、広小路と衣笠キャンパスに夜間部もあり、昼間部でも年間授業料が20万だったから(入学金が10万、1979年)自分自身で何とか工面できた。しかも10回分割払い…。確かに今と違い苦学生には有難い大学だった。今の高すぎる立命とは別の大学だったかな。あの頃は早稲田の夜間部の2文、昼夜開講の社学よりはるかに安かったからなあ。その時に取得した教員免許のおかげで結果回り回って父を父の故郷で見送ることができた。社学だったら会社勤めで、辞めて九州には戻って来ていないだろう。後は僕自身が亡くなる時は故郷の北九州で旅立ちたいが、もはや無理だろう。霧島の辺りから天に戻って行くのかな。


 明け方年賀状を書いている時に、BGMで喜多郎のシルクロードをYouTubeで久しぶりに聴いた。史学科、東洋史、日本史に関心を持つきっかけになった曲だった。ただ、あこがれと学問はまったく別、大変だったが…。


 妻は午前中に都城市に買い物、午後に昭南病院で定期検診だった。が、疲れてか?数値がかなり悪く、またワーファリンの分量が増えている。なかなかだ。 

 僕は午前中起き、年賀状を書いている。今年は何故だか、取りかかりが遅かった。


 篠山紀信氏、83歳で亡くなられたとのニュース…残念。 宮沢りえさんのSanta Feは買ったなあ…。ご冥福をお祈りします。


 ふと、学生時代のコンパ、東洋史クラスの糺の森で介抱したこと、祇園での夜桜コンパ、 東洋史研究会のコンパ、 友人達との飲み会などを思い出した。もはや夢、まぼろしだ。学生時代の友人からの年賀状に、末の 子どもが今年大学卒業とのこと。確かに孫がいる友人もいるし、僕自身は子育てがなかったから学生時代からの変わらない生活だが、皆、それぞれ歳月を重ねている。 


 今、17時過ぎ、ラジオのニュースでも能登半島地震について報じているが、死者と行方不明者が増えていくのが辛い。


 風邪で目が潤む、頭痛…。気をつけないと。