1941年12月7日

(ハワイ時間)

 

 

真珠湾攻撃

 

 

 

アメリカ西海岸に住む

日系アメリカ人の生活は

一変した

 

 

 

 

突如

強制立ち退きが

告知され

 

 

わずか数日間で

財産処分、収容所への移動準備を

強いられることに・・

 

 

持ち込める荷物は

一人

スーツケース2個まで

 

 

 

 

 

日系人を危険分子と

みなしての収容なのに

 

日本と同盟国である

ドイツ系・イタリア系移民は

強制収容対象外

 

 

人種差別は明白だ

 

 

 

*ウィキペディアによると

当時

1200万人以上居た

ドイツ系移民・ドイツ系アメリカ人の中の

約1万人強(0.09%)の

ドイツ系移民も

収容されているが

 

アメリカ西海岸日系人全員収容と

言う人種差別的なものとは

別物だろう

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカ西海岸に住む日系人

約12万人は

 

住環境の劣悪な場所に

設けられた全米10カ所の

強制収容所で

終戦までの生活を

強いられることになる

 

 

 

その一つが

ここマンザナー

 

1万人が

収容された強制収容所だ

 

 

 

 

 

マンザナーは

予想以上の強風だった

 

 

砂埃も酷く

一瞬にして

目をやられてしまう

 

 

加えて

寒暖の激しい

砂漠気候

 

 

 

 

生活するには

あまりに過酷な場所で

あることは

容易に想像出来る

 

 

 

 

 

本当に何もない荒野

 

 

 

かつては

ネイティブアメリカンの

居住地だったが

 

 

ヨーロッパ移民達は

武力で

ネイティブアメリカンの

土地を収奪してしまう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカ政府は

日系人と言うだけで

善良な日系アメリカ人をも

危険分子と見なした

 

 

監視塔からは

外部に対してではなく

収容所内の日系人達に

銃が向けられていたと

言われている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マンザナーに

収容されていた日系人名リスト

 

 

 

 

1988年

当時の大統領(ロナルド・レーガン)が

日系アメリカ人補償法に署名し

 

米国政府は

強制収容された日系人に対し

公式な謝罪と

 

一人あたり

2万ドル(約220万円)の補償金が

支払われることになった

 

 

 

それで全てが

帳消しになった訳では

勿論無いけれど・・・

 

 

 

 

 

 

友人の父親家族も

マンザナーに収容されたと言う

 

 

その父親は

9歳から数年間を過ごしたが

 

当時の生活は

「全く記憶にない」らしい

 

 

 

記憶には

残っているけれど

 

「語りたくない」

ないだけなのかも知れない

 

 

 

 

 

収容所内で

亡くなった150人のうち

15名がこの墓地に

埋葬されているそうだ

 

 

 

 

 

人種差別がもたらした

悲惨な過去が

決して繰り返されることの

ないような

社会であって欲しい

 

 

 

 

 

<追記>

 

 

1943年

 

米国政府による

日系アメリカ人の

「アメリカ忠誠心」を

問う調査

 

 

質問1

 

あなたは米軍に従軍する意思はありますか?

 

 

質問2

 

あなたは米国への忠誠を誓いますか?

あなたは日本国天皇への忠誠心を

放棄する意思はありますか?

 

 

 

当時

日系一世は

米国への帰化を拒否されていた

 

また

日系人と言うだけの理由で

強制収容所に入れられていた現実

 

 

 

「ノー」と

答えた者、その家族は

ツールレイク

「隔離収容所」に

護送されたと言う

 

 

あなたの答えは

「イエス」ですか?

 

それとも

「ノー」ですか?