539「旧約、断言法と決疑法!」ゆるゆるキリスト教雑記帳

ゆるゆるその1
いつも最初にお断りしているのですが、内容は私の極めて独断による見解ですので、ご了解ください。なお、聖書の訳は協会共同訳を使用しています。

先日、関西合同聖書集会に参加しました。川北雅夫さんが「矢内原忠雄のエレミヤ書」大川四郎さんが「十戎、契約の書、出エジプト記22章」という題のお話がありました。無教会主義の教会の集まりです。学ぶことが多い集まりです。エレミヤはバビロン捕囚を預言しその対策を王に進言するのですが、受け入れられずイスラエルは滅ぶのです。矢内原忠雄も日米戦争に際してエレミヤと同様の苦悩があったというわけですね。
エレミヤ書はキリスト教社会に大きな影響を与えました。それは連座制の否定ですね。中国などは、犯罪者とされると親兄弟姉妹親戚まで罰せられるという連座制の世界でした。エレミヤ書31章29~30節に
*その日には、人々はもはや「父が酸っぱいぶどうを食べると子どもの歯が浮く」とは言わない。人は自分の過ちゆえに死ぬのだ。酸っぱいぶどうを食べる人は、誰でも自分の歯が浮く。
と、ありますが、キリスト教社会に大きな影響を与えたのです。
大川さんが、出エジプト記20章から23章にかけて、1節ずつ、これは断言法で、これは決疑法という一覧表の資料を作られていた。参考にさせていただいて、私もあれこれ考えました。

ゆるゆるその2
旧約聖書の律法ですが、出エジプト記20章にいわゆる十戒と言われるものが書かれています。主なものをピックアップるすると。
*私をおいてほかに神々があってはならない。自分のために彫像を造ってはならない。主の名をみだりに唱えてはならない。安息日には仕事をしてはならない。父と母を敬いなさい。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人について偽りの証言をしてはならない。隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛とろばなど、隣人のものを一切欲してはならない。
これらは、いずれも断言法ですね。神と人間との関係において、文字通り神の命令ですね。一方的な契約ですね。この命令、契約については、20章5節から6節に
*私を憎む者には、父の罪を子に、さらに、三代四代までも問うが、私を愛し、その戒めを守る者には、幾千代にわたって慈しみを示す。
とあります。憎むと3,4代で済むが、愛して戒めを守ると幾千代まで得するよというわけです。幾千代までとは、大盤振る舞いですね。○○するかしないか、どちらの選択を選ぶのかは一応人間に任されているわけです。しかし、母の罪は問わないのか、何をどのように問うのか、どのように慈しむのかについては書かれていません。具体的ではないのです。そんなことは人間が考えよというわけです。
モーセの時代は、荒野をさまよっていた時代で、小規模な牧畜を生業としていたのです。よって、20章から23章の部分は、カナンに定着して農業や商業を生業とし始めた時期に挿入されたものですね。よって、市民生活にかかわる律法、つまり決疑法が多くなるのです。その特徴は、もし○○ならば・・・・○○の場合、というように、事細かく条件づけられていることです。人間同士の契約に関しては、極めて具体的に書かれています。人間には任せないぞという姿勢ですね。
十戒の一つに「盗んではならい」というのがあります。具体例が22章1節から7節に書かれています。例を上げるとあげると、
2、3節に・・・盗人は必ず賠償しなければならない。もし彼が何も持っていなければ、盗んだものの代償として、自分自身を売らねばならない。牛でも、ろばでも、羊でも、盗んだものが生きたまま彼の手元で実際に見つかったら、二倍にして賠償しなければならない。
とあり、続いていきます。オリエント社会、目には目を、歯には歯を、同害同復法でるハムラビ法典がユダヤ教の律法に入ってきますが、二倍返し、三倍返し、四倍返しなどの同害同復法以前の倍返し法の特徴が見られます。
一方で、問答無用の断言法が見られるのがその特徴です。22章で言えば、17節から30節の箇所です。
17節、呪術を行う女を生かしておいてなならない。
18節、獣と寝る者は誰でも、必ず死ななければならない。
19節、主おひとりのほか、神々にいけにえを屠る者は追放されなければならない。
あと続いていきます。
呪術を行う男は生かしておいてよいのかという、問題が残りますが、従うか、従わないのか、という選択の自由はあります。生かしておいてはならない、とありますが、どのように殺すのかまでは書いていません。死なねばならないとありますが、これもどのように殺すのかまでは書いていません。追放されねばならないとありますが、どのように追放するのかまでは書かれていません。しかも、従うとどんな利益があるのか、従わないとどんな罰があるのかは書かれていないので分かりません。断言法の特徴は、具体的にはどうするのかという部分については、市民生活に関わる律法である決疑法に任されているのです。

ゆるゆるその3
さてキリスト教における断言法は、「神を愛しなさい」であり、決疑法は、「汝を愛するがごとく隣人を愛せ」というものです。つまり市民生活に関わる律法は、隣人愛をもとに考えよということになります。それは、その時代、その時代にあったものになります。どんどん変化していくものだと考えます。一つ一つの事例をもとにして、決疑法を応用していくというのがキリスト教の律法だと考えています。