524「遺伝と平等」ゆるゆるキリスト教雑記帳

ゆるゆるその1
いつも最初にお断りしているのですが、内容は私の極めて独断による見解ですので、ご了解ください。聖書の訳は協会共同訳を使用しています。

新潮社「遺伝と平等」キャスリン・ヘイジ・ハーデン著、を読みました。あれこれ考えたことを言います。遺伝と平等に関しては、これまであれこれ考えたことを述べてきましたが、永遠のテーマですね。
要は、人間は、遺伝くじによって、様々な遺伝が生まれたときに与えられる。そして、環境くじによって、様々な環境が生まれたときに与えられる。生まれた段階で、人間を平等に扱うことや公平に扱うことはいかなるものかということを考えさせられます。
この本の中で、あるろう者同士の夫婦が、子どもがろう者であることを望んで、5代続くろう者から精子提供を受けて、確実にろう者の子ども産んだ実例や、生まれてくる赤ちゃんがろう者ではないことが分かって中絶手術をうけたという実例が紹介されていたが、そんなことをして良いのかという疑問が頭から離れなかった。
遺伝くじと環境くじを人間が操作して良いのかという疑問ですね。ろうという遺伝くじとろう者の両親という環境くじを、両親が望めば、生まれてくる赤ちゃんに引かせて良いのかという是非ですね。

この本の問を整理すればこうなります。
*人々の社会的地位は、生まれ持った能力に応じたものであるべきか。生まれ育った環境に応じたものであるべきか。
*人々は、能力によらず平等に扱うべきか。環境によらず平等に扱うべきか。
*生まれつきの才能がある人は、他の人より優れているとして遇されるべきか。
*社会は一部の人達に大きな富と権力と成功を与えてよいか。与えることを神の摂理、あるいは自然の摂理として良いか。
*社会は、競争が公平、フェアなものになるように努力すべきか。
著者の結論はというと、人はDNAの特定の組み合わせをたまたま受け継いだという、ただそれだけの理由により、経済的不利益をこうむるべきでない。社会は、もっとも不遇な人たちに利するように構築されるべきである。
この2点に集約されますが、私も全く同感ですね。ただ、実際はすごく難しい課題です。

ゆるゆるその2
この本の中で、興味深かったのが、聖書を引用して解説しているところです。旧約聖書創世記4章です。創世記は、モーセ五書の一つで、律法の書として読むべきものなのです。創世の物語が始まるやいなや、別々の職業を選んだ兄弟が登場する。アベルは羊を飼う者になり、カインは土を耕す者になる。神はアベルの捧げ物に満足したが、カインの捧げ物に満足しなかった。天地創造からわずか一世代にして、兄弟はそれぞれの労働に対して異なる報いを受け、その不平等がもたらした恨みによって、人類初の殺人になったというわけです。
この解釈は様々ですが、殺人は人間の自由意志による職業選択から起きるのだという解釈もできるし、神が職業によって人間を差別したから起きるのだという解釈もできますね。著者は、職業選択によって生活環境が異なる例として、また遺伝くじと環境くじの関連を考えるとして、数学の履修例をあげています。アメリカの高校入学時に一般数学、補修数学、高等数学を選択するクラス分けが行われる。生徒はどのクラスを選択するかは自由である。STEM、科学、技術、工学、数学の分野で博士号を取得した人たちの殆どは高等数学クラスの人達だった。高等数学クラスと他のクラスの比較で、数学のスキル取得の見込みに18倍の差があることが判明した。有りてに言えば、アメリカでは高等数学クラスで学ばなければ、高校卒業が難しくなり、公立大学入学が難しくなるということが判明した。
日本とアメリカでは大学入試システムに違いがあるので、一概には言えませんが、環境くじの重要性を示唆しているのは間違いありません。

次に、新約聖書マタイ福音書13章12節を基に、マタイ効果、マタイ原理について触れています。
*持っている人はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。
ウィキペディアによれば、マタイ効果(マタイこうか、英語: Matthew effect)またはマタイ原理(マタイげんり、英語: Matthew principle)とは、条件に恵まれた者は優れた業績を挙げることでさらに条件に恵まれるという現象のことであり、それは様々な分野でも見ることができる。「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」と要約できる。この概念は名声や地位の問題にも当てはまるが、要約の文字通り経済資本の累積的優位性にも当てはめることができる。・・・・教育では、通常、早いうちに読解力の獲得に成功すると、学習者が成長するにつれてより読解力を獲得するが、小学3-4年生までに読むことを怠ると、新しいスキルを獲得する上で生涯にわたり問題が示される。・・・
とあります。
マタイ効果に関連して、遺伝くじと環境くじの関連に際して、著者は菜園の例を上げている。すべてのトウモロコシに同じ環境を与える資源の豊富な菜園では、平均としてより丈の長いトウモロコシが育つかもしれないが、同時に、トウモロコシのばらつきも大きくなるだろう。同様に、組織的なジェンダー差別や、高額な授業料、厳格な習熟度別クラス編成といった構造的な障壁が取り除かれれば、集団の教育レベルは平均として向上するかもしれないが、それと同時に、人々の遺伝的差異と関連する、教育の成り行きの不平等は拡大するかもしれない。
と著者は指摘しているが、同感だ。
機会均等が実現し貧困と抑圧による社会的不平等が取り除かれた社会が実現したら、つまり環境くじがなくなったら、残るは遺伝くじということになる。遺伝くじをなくすためには悪名高い優生学に基づいて、人間の品種改良を行って、遺伝的差異をなくすということになりかねない。遺伝子と結びついた不平等は、これもたまたまの偶然に基づくもので、遺伝子操作する以外に手の打ちようがない。一人ひとりの才能、能力は同じではないのは事実であり、遺伝くじは残すべきだと私は考えています。

ゆるゆるその3
今日、宗教団体「幸福の科学」の政党「幸福実現党ニュース158号」というチラシが入っていた。教育無償化は教育にも家計にもマイナス、子どもに必要なのは質の高い教育というタイトルが付けられている。大阪府では私立高校の無償化に向け、国と府が授業料を63万円分まで補助する、超過分は学校負担となる。これでは、学問の自由やプロ意識を損ない、教育の質が下がってしまいます・・・との解説があります。現行制度は授業料60万円を基準として世帯年収590万円未満の家庭は全額補助、910万円以上の家庭は補助なし。800万円未満の家庭は授業料60万円を超えると学校負担だが、新制度では世帯年収は関係なしで、授業料63万円を超えると全て学校負担となる。私学に通わせるには、授業料無料となってもその他諸々の費用がかかるわけですが、私立高校に限れば環境くじが軽減されたのは事実だが、一方で維新大阪府政は、公立高校をどんどん潰していっているので、高校全体としては環境くじは、過酷になっているのです。
ニュース158号に、バラマキではなく公立学校の質の向上をとの主張が書かれている。本当の意味でも家庭の負担を減らすためには、授業料の安い公立学校の質をあげることに力を入れるべきであると主張している。たしかに正論ですね。
こんな事を考える上でも、新潮社「遺伝と平等」キャスリン・ヘイジ・ハーデン著は参考になりました。おすすめの本です。