2013年5月11日(土曜日)



詩はあらゆる芸術の源泉。

ときどき心のメンテナンスをいたしましょう。

詩は音楽でもありますから、自分でフシをつけて唄ってみましょう。

本日は、坂本明子さんの    という作品です。





鹿が死んだ朝があった

なぜ倒れたか問いもせず

硬直した前脚をなでるばかりした

それはじぶんの脚とよく似ていた


コオロギの生まれた夜があった

腕組みをして聞くので影も動かない

思いだすものがすでにこんなにあるのか

じぶんの声が涼しい抑揚をもっているのがわかった

そのときのじぶんとは誰だろう

わたしだといいきれるだろうか


ひざまずいて祈るので神はいたが

神から信じられていたのかどうか

月はいつごろの夜まるくなるかと

かぞえる指にしろい霧の流れる気配がした


じぶんというのは小さくて

点のようにここに居るといいあった

けれど点のなかのいのちはいつも光って

内側から空へとびはねる力を噴かせていた


そのときのじぶんというのは 息熱く

あなたの心を含むのではないかと思える


あかつきをつげる鳥の声は

じぶんの耳の奥からひびきはじめた

木の枝が鳴り うごきだした家々の戸の

きょうの緊張のとばりはあがった


光をあびてまっしぐらに

かけだすものの勢いは思うだけでも美しい

ふるい吉備野の風景の中に

わたしはいた まわりには

見知らぬ人ばかりのようで

その女の肩の下がりぐせには覚えがある

そのふりむいた男のひげだらけの頬にも


じぶんはあるとき大きく拡大できる

ながい時間をのみこんで脈うってもはばからない




坂本明子さんの言語感覚には独特のものがある。

ボクにはその透明度がまぶしい。 透き通ったシンプルさは通常の理解度をこえる。 ボクらは生きていることへの複雑な襞の究明を求めるが、彼女の詩はそれを拒否する。

聖女のごとき清らかさの源泉は、詩作活動に一生をささげたひたむきな純粋さにあるのかもしれない。