スプートニクの。 | 踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

「踏んだり蹴ったり」って....あーた、被害者なら「踏まれたり蹴られたり」ってのが正しいんぢゃない??日本語ってばむつかしい...._| ̄|○  (BTW, ついでに、人も指せない「足の親指のトナリの指」を何て呼べばしっくりくるのか、教えてヱライひとっ!!)



想いは尽きることがなく
浮かぶコトバも数々あれど
It depends on the タイミング。
それを見失い続けたら
更に遠くなるのが世の常で。

時々無性に綴りたくなって
語ってたりはするんだけどね。(FB で。←)
....イキテマス。




消防の時はホームズ、厨房の時はアガサクリスティー、高校(工房。は流石に慣れねーww)じゃ新撰組?
“夢中” レベルで本が読めてた時期は確かにあるのに
いつの間にか、本はおろか雑誌のインタビュー記事ですらその文字を追うのが苦痛になってたアタシに

(文字の密度が少ない WEB ページやマニュアルなら読めるんだけど、文字びっしりだと数ページ弱でギブ。根気が続かないんだよね....(遠い目))

少しずつでいいから読んで欲しい。いつかでいいから是非読んで欲しい。絶対に読んで欲しい。

そんなレベルで “スプートニクの恋人” という本を薦めてくれた表現者がいたからこそ
いだけた気持ち、綴れた想いがあったことを思い出したのは 7 月 20 日。

【村上春樹 ≒ “スプートニクの恋人”】レベルで難読症で
【“スプートニクの恋人” = この数行】レベルで健忘症のアタシがなんと!!

ココから導き出した

“運命はそれぞれが描く軌道に付随する”(by ©︎みさちゃん。)

に【軌道論】と名付けるまでに至った快挙wwを祝して、FB より間口の広いこちらに記念←パピコしようと決意したのがその数日後。

そしてやっと←本日←← POST であります。わーい。わーい。




幾許かの “彼ら” が進んでいる道と
私が経てきた道とは

軌道共鳴を起こすほど確かに近付き ── 或いは、重なるような軌道を描き ──

時間を進め
衝突せずに交差し

時の流れに抗うことなくただひたすら
可視領域を超える “その時” に向かって
更なる時間軸を前進させてきた。

....そして。

対象が見えなくなったその時瞬間

真の孤独へ
可視から不可視へ
“想う” から “無関心” へ

いとも容易くそのベクトル名前を変えるのだと知った。


たとえそれが
暫しの時間を共有し、共鳴さえしていると感じた関係性であったとしても
それは無慈悲なまでに確実に起きる
不可避な “絶対” で

その先の先
燃え尽きる前に出逢えるかもしれない新たな旅の道連れ衛星が視野に入るその日まで
留まることなく弧を描き続けるのだ。

金属の塊の内側、
一人で ── 絶対零度より 3 K 高い、それでも凍てつく孤独の中で。


 

 


もちろん。
視界から消え、関係性がゼロになってしまった今でも

そして
関係性から生まれた記憶が少しずつ薄れていくであろうこの先も

movement という引力を持った表現者と関係者たち(& 彼らとの出逢い)への感謝。がゼロになることはないし

其処に笑顔と癒しがあったこと。だけは
純然たる “事実” として最期まで此処に在り続けるだろう。

それでもやっぱり

【No Music, No Life.】な日常。がもう此処にはないことも

表現の中に在った色や形、重さや深さ、匂いや温度の記憶。の輪郭がボヤけつつあることも

“ダイスキな音と声の重なり” と違う。ことが “ダイスキなカタチ” を思い出す結果に繋がってることも

あれだけ好きだった表現から movement を感じない自分。が其処に居て呆然としてしまったことも

全てが偽らざる現実だったりはするんだ。
....残念だけど。


(最後のソレは

僕の環境が変わり行動に影響を及ぼしたことで嗜好のベクトルさえ変わり、結果的にセンサーの感知範囲を超えてしまった、
だから movement が起きなかった、
それに起因しているだけで

居場所を変えても表現の根本は変わっていない君たちの fault でないからそれは誤解しないで欲しい。

全ては運命みたいなもので、僕が主役な軌道論からなら “起きて然るべき” ことなんだと思う。 ....ん。)


 

 


追えなくなった軌道の尻尾が易々と見つかるほど現実は甘くないし、
二度目の交差の可能性を夢見られるほど子供でもない。

ただ、関わってくれた沢山の君たちがいつか何かの拍子に
偶然コレを読むことがあるかもしれないし
直接伝えられなくてもやっぱり伝えておきたいことだから改めてココに書いておこうと思う。




【運命はそれぞれが描く軌道に付随する。】

逆に言えばそれは

軌道が変われば運命も変わる、
生き方を変えれば未来を変えられる、
足掻きつつでも自分を変えられれば夢が叶う方向にも進める、

そういうことなんだろう。

(努力という言葉が辞書にない僕が言っても説得力のカケラもないだろうけど、さ。ww)


だからこそ、恵まれていて欲しいと思う。

自分が笑顔になれる表現を求めることが誰かに笑顔を渡せる表現に直結する
そんな場所に生きていて欲しいと思う。

たとえ理想と現実にギャップがあったとしても、理想を実現させられる方向に軌道修正し続けられる君たちであって欲しいと思う。

君を取り巻く環境はいつだって “思うがままに描ける” 場所にしておいて欲しいと思う。

── シアワセじゃない人間に誰かをシアワセにするエネルギーなんか持てるワケがないのだから。




またいつか。遠い遠い未来で構わないから、燃え尽きてなくなる前にいつか。
笑顔で逢えたらステキかも。

ちゃお、Ciao!!