誰かが 「そうじゃない」 をクチにしても
そのヒトが 「そう思う」 以上、そのヒトの現実では 「そう」 なのを知っている。
「○○は親友だから、って言ってたよ」
ってセリフを聞きながら
(そうか。彼女とアタシは親友ってことになってたんだ....)
ってぼんやり考えてる人間だって存在する。
想いとウラハラな気持ちをクチにし、行動だって出来る人間なんだ
発されるコトバや行為の裏に本音や真実が隠れてる可能性は棄て切れない。
何を言っても徒労に終わること
言葉を尽くしても伝わらないこと
そんなことは
平常運転。
線引きはとても難しいけれど。
他人のせいにしてはイケナイ。
だけど “自分だけ” のせいにする必要もない。
自省は必要で不可欠だけれど。
湧いてきて消せない
自己否定や自己嫌悪、被害妄想的感情で
“必要以上に” 苦しむ結果になるならそれは “too much” だ。
責めるべき何かが違うのかも?
を一度挟む必要があるのかもしれない。
自律のための
自戒でなく
自省しての
自責に囚われて
抱え過ぎて
責め過ぎて
壊れていくのは正解なんだろうか?
なんて
結局、手助けにはならないのだと思う。
抱え過ぎてしまうことが不可避なら
抱えて
過ぎて
壊れてしまえばいいのかもしれない。
たくさん悩んで
たくさん傷付いて
最後に出る結果がどうかなんて
神様だって知らないのかもしれないし。
抱え過ぎないで。ではなく
悩みたいだけ悩めばいいさ。を ──
悩んで悩んで一度壊れてしまえばいいさ。を。
コレも
アイさ。