小人同而不和(どうじふわ)
【君子は和して同ぜず、
小人は同じて和せず。】
by 孔子
“賢き者” は
(調) 和を重んじながらも ── 他者を認め、尊重しながらも
自分の意見を持ち、それを守り続けて流されたりしない。無闇に他者に同調しない。
そうでない (本当の賢さを持たない) 者は
周りに流され、自己という主体性、自己という意志がなく
闇雲に同調はするが他者との調和などは気にかけもしない。
....的な?
アップダウンを繰り返しつつもイキテマス。ええ。
テレビに出てきたコトバに反応してみた結果、またまたレゾナンス。
以下、『中国で根絶やしにされた孔子の理想は、日本で花開いていた。』 より一部抜粋。
中国の一流学者グループによって編纂された上海商務印書館の『日中辞典』では「やさしい」という一語の意味を、「善良」「慈悲」「懇切」「温情」「温和」「温順」など10以上の単語を並べて説明している。
しかも、これらの中国語の単語一つ一つは、「もっとも良い人間」を褒め称えるのに用いる最上級の言葉である。
それらを10以上も集めて、ようやく日本語の「やさしい」という一つの言葉の意味を伝えることができるのだ。
それほど、現代中国人の社会では「やさしい」人は希なのである。
しかし、日本では「やさしい人間」はどこにでもいる。
石氏が出会っただけでも、大学のやさしい先生、ボランティアのやさしいおばさん、学生寮のやさしい管理人、八百屋のやさしいおやじさん、、、
現代中国ですでに死語となっている「仁」と「如」は、今や形を変えて「やさしい」という日本語の中に生きている。
そして論語の中でもっとも大切にされている「仁」と「如」の心は、「やさしい」心として、多くの現代日本人の中で息づいているのである。
「孔子の道」も「論語の精神」も、格別に難しい道ではない。
ごく普通の日本人のように「やさしい心」を持って生きていけばそれで良いのだ。
こうして石氏は、自分の祖先の古の道を、日本語と日本人とのつきあいを通じて再発見したのである。
日本人の
フツー。
が
フツーぢゃない。
文化がある。
日本人の優しさ (他者を尊重し敬意を払って接することに重きを置く DNA レベルの寛容性?) は宗教観に留まらない。
Viva! Japanese!!