
惹かれてやまない憧れの人にメールした後に気付いた。
アタシはいつだって 「表現」 に恋をして、その表現者を好きになるんだってこと。
それは、叶えようともしなかった自分の夢を昇華する行為にも似てて
欠けている自分の中の何かを埋めるような 「憧れ」 でもあって。
....で、ね。
アタシがどうしてそれほどまでに 「表現」 ないし 「伝えること」 にコダワるのか
それがわかったんだよ。
―― 結果、封印気味だった高一の時の記憶と向き合うハメにはなったんだが。 ww
閉じ込めた想いがあったんだ。
閉じ込めるしかなかった想いがあったんだ。
行き場を喪失くした想いは、消滅することもなくそのままアタシの中に居座ったから
アタシは 「出口を与えてあげられない」 と 「抱えてて痛い」 の狭間で、もがくしかなくて
その時に見つけた 「ココロを軽くするための行為」 が
音にして吐き出せない、溜まっていくばかりの想いを
文字にして代弁させること ――
「書くこと」 だったんだよね。
想いをカタチにすることは容易いことじゃない。
表現力や
分析力や
想像力や
感性やらの
能力以上に
表現に至らせるエネルギー ――
勇気や
根気や
情熱や
冷静さが求められると知ってるから....
創造、には、立ち上がり、踏み出し、進み続けるチカラが不可欠と知ってるから
だから余計に表現者たちに惹かれ続けてしまうのかもしれない。
創造の
表現の
世界の
その先に見えるだろう景色を僕も見たいから
僕は君を見つめていようと思うんだ。
君となら叶う。
きっと。