アイジョウ ブソク。 | 踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

「踏んだり蹴ったり」って....あーた、被害者なら「踏まれたり蹴られたり」ってのが正しいんぢゃない??日本語ってばむつかしい...._| ̄|○  (BTW, ついでに、人も指せない「足の親指のトナリの指」を何て呼べばしっくりくるのか、教えてヱライひとっ!!)

アイが伝わってない、と拗ねてみた ── 「また言ってるよ。 (苦笑)」 と呆れられた。
全然わかってくれてない、とイジけてみた ── 「そっちだって全然わかっとら~~ん!!」 と反撃された。

....彼らが今一番大切な存在である何よりの理由は、
そんな面倒で (← アタシという人間が、な。 ww)、だけど愛溢れるやり取りが出来る関係だからかもしれないね。
まさに、アイだな、アイ。 (笑)


でも、すぐに欠乏するのもその、アイ。

欲張りのアタシは、すぐに 「アイが足りない」 と思ってしまうんだ。
だけど逆説的に言えば、メーター振り切りの 「愛情 MAX」 をアタシは知ってて
だからこそ、「アイが足りない」 と思えるし、クチにしちゃえるんじゃないかと。

だって、足りてないことすらわからないくらい 「めいっぱいアイされてる」 を知らない人も世間には存在してて
だから人や社会を羨んだり妬んだり憎んだりして 「他人を傷つけることで」 バランス取ろうとして
結果的に自分を傷つけてる。 本人が自分を傷つけてることに気づいてるか否かは別として、さ。


世間を賑わす残忍で残念なニュースを聞く度に
アイされて育ってないのかも、とか、アイを正しく受け止めるチカラがないのかも、とか思ってしまう。
表現方法が間違ってると思う反面、ドコか可哀想に思ってしまう。
憐れむことがどれだけ失礼で傲慢なことか、わかってるツモリでいても
「僕はココにいる」 を、そんな捻れたカタチでしか表現できない人たちをアタシはやっぱり、可哀想に思ってしまう。
可哀想が哀しいなと思ってしまう。

....アタシは偽善者だから余計に、さ。 wwww




アイが足りない、と思える自分を大切にしたいと思います。
こんな面倒くさいアタシのソバにいてくれる、アイ溢れるみんなを大切にしたいと改めて思います。

時空間を超え、ココロの距離を感じさせない 「君」 との出逢いに感謝なのです。

アイしてるどーっっ!!(叫)