「自分がキライ」 で
自分を否定したり
誰かと比べたり
卑下したり。
それはきっと
理想が見えてて
「そうなりたい」 にも近い憧れや
夢描くビジョンがあって
だけど実際は
「それから遠い現実」 を知ってるからこその
憂いや嘆きがそもそもの原因なんじゃないかと
今、ふと思った。
存在価値を否定することで
結果的に
存在意義を認めたい and/or 認めてほしい
つまり
「存在を赦される自分」 なのだということを
体内に刻み、認識していたいのではないかと ──
「生きてていいの?」 という不安に満ちた疑問を
安心に変えたい気持ちに起因しているのではないかと
ふと思った。
空洞に埋めたいのは
精神論なら 「安心」
物質論なら 「自分を認め、必要としてくれる人」 あたりか。
つまり
「自己否定」 は
究極の 「自己愛」 ゆえ
でないかと。
彼女の叫びを耳にしてしまったので
なんとなく哲学してはみたが
アタシの脳内も半分が 「消えたい」 で占拠している現在
拡張メモリすら積めない旧式コンピュータは
容量もいつもの半分
貧困な語彙も更に貧相
かつ、覚醒との狭間にいるような状態ゆえに
これ以上の解析は続行不能と判明。
ま、つまりは
「キライキライもスキのうち」
ってことで F.A.。
うむ。