★ air code on 2007/FEB/06 | 踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

踏まれたり蹴られたり...._| ̄|○

「踏んだり蹴ったり」って....あーた、被害者なら「踏まれたり蹴られたり」ってのが正しいんぢゃない??日本語ってばむつかしい...._| ̄|○  (BTW, ついでに、人も指せない「足の親指のトナリの指」を何て呼べばしっくりくるのか、教えてヱライひとっ!!)

Feb.06@La.mama

<Set List>
1. 愛しき日々
2. スナイパー
3. Oh! Darlin'
4. Happy Birthday
5. REVOLUTION
6. 大きな声で


本調子ではないものの、ツヨシさんが復帰。

失礼極まりないことを承知で言うなら、ステージが始まる前からオーディエンスとしての不安はひとつもなかった。
唄うたいとしての状態がパーフェクトでなくても
作品としての仕上がりがどうであろうと
彼なら ―― 彼らなら、オーディエンスが満足できるライブをしてくれるだろうという確信があったから。 ....ん。

でも、ね。 確かに 「不安」 はなかったのだけど、ムリはしないか、ムチャはしないか 「心配」 ではあったのだよ。

マキさん同様アタシも 「唄うことが楽しくて仕方ない人」 が大好きだから ―― 彼はその中の one of them だから
「好き」 で 「シアワセ」 ゆえに、いける、と踏んだら少しオーバー気味にアクセルを踏んでしまうんじゃないか?
って心配で
唄が好き、ステージが好き、メンバーが好き、彼らがメイツと呼んでいる彼らのファンが好き ―― どのライブでも
それを痛感させられるから余計に、自分の体調よりもそちらを優先しちゃうんじゃないか?
って心配で。


....ま、結局、ね。

本気で 「伝わってくる」 ライブだったのだわ。
声がキレイに伸びて、美しく響くことだけが大切なことじゃない。
声帯で唄うのが唄じゃない。
魂で唄うのが唄なんだ。
「伝える」 ことも 「伝わる」 ことも結局 「ココロ」 というキーポイントを押さえることが必要なんだ。

(音を楽しむ 「音楽」 ―― その 「音」 は、聞こえるものだけがすべてじゃないんだなと知った
音のない世界、限られた音しかない世界にも唄声と音色はちゃんと届くのだと ―― 確かに 「伝わる」 のだと知った
大宮ろう学校でのあのプロペラライブを今更ながら回想しちゃったよ。
海馬が小さいアタシはホントに大切なことをすぐに忘れてしまうんだね。愚かだわ。(涙))

そんな、忘れかけてた大切なコト、忘れちゃイケナイ大切なコトを思い出すことができたライブだった。


同時に、air code は今のアタシにとってとても大切な存在で 「ナンバーワン」 であることを認識せずにはいられない
ライブだった。 (Still 「オンリーワン」 ではないし、そうするツモリもないけども、さ。ww)
好きが溢れてきて、ステージを眺めてるだけ、ソコにいられるだけでシアワセになることができちゃうライブだった。


そして何より、「air code アイ」 を見せつけられた気がするライブだったんだ。

プレイでなくメンバーのカオを見つめ続けてしまった 「初めての」 air code ライブ ―― 中央に彼がいるかいないか
それだけで他の 3 人の表情が明らかに違う。

(勿論、インストアでの 3 人は 3 人なりにカクゴを決めて 「あの時空間」 を楽しんでいたことを確信できるのだけど、
あの時の 3 人のカオと 「センターにツヨシさんがいる」 今日のカオはやっぱり全然違ってて、「嬉しい」 「シアワセ」
「楽しい」 「大好き」 そして何よりも、「4 人で」 ステージに立っていられることへの 「安心感」 と 「満足感」 みたいな
ものが驚くほど刺さってきて、「仲間」 というのは、かくあるべきだと痛感させられたんだよね、ぢつは。)

アイされてるヒトだな、と。
必要とされてるヒトだな、と。
真ん中にいるべきヒトだな、と。
真ん中にいなくちゃならないヒトだな、と。

みんなは彼を求めてて
彼もみんなを求めてて
One for All
All for One
誰が欠けてもダメだという強い想いが溢れてるステージが、ソコにはあったんだよね。

いいものを見ることができたとホントに思うよ。 ん。


http://www.aircode.jp