
「ロックの日」 にちなんで 「スミノフウォッカをロックで」 オーダー。(何か違うかも....)
もちろん、水割りやコーラ割り (Contiki でロシアを旅してからのウォッカファンなのだけど、この時は毎晩 (爆)
コーラ割りだったね。ww) とかと違って喉は確かに焼けるのさ。
大酒飲み 「らしい」 アタシだってそうなのさ。
だけど、時にそういう方法で自分をいぢめたくなるのさ。
気分がフラットでない時には、特に、さ。(苦笑)
とにもかくにも、音源になっていない唄たちが聴けるヨロコビ。
シアワセだな、とつくづく思いながら、40 分ステージという時間を満喫。
タカオさんの diary によると、セットリストは以下の通り。
1.こんな夜はおまえに会いたい
2.繋いだ右手は(仮)
3.孤独の独と書いて独り
4.City Lights
5.ラララ ララバイ
6.疾走 -Thru and Thru-
7.汚れた手
encore.さよならごっこ
途中、「ラララ ララバイ」 で可愛くてたまらない怪獣たちを思い出して少し切なくなる。
ステキな唄で嬉しいんだけど何故か感傷的になってしまう不思議。
だけど分析するのは止めにした。
考えたって始まらないこともあるし、考える必要がないこともあるだろうしね。
次の 「疾走」 でやっと、音源になってる唄にありつく。
バンドスタイルで聴くこの唄と、加藤卓雄ソロで聴くこの唄。
メッセージ性が劣るかどうかや、好きか嫌いかは各自の感覚によるのだろうが、アタシ的には満足なもの。
同じ音源からのチョイスなら 「奇蹟の光」 も聴きたかったって本音はナキニシモアラズ。
それでもやっぱり好きな唄だってことに変わりはないからね。ん。
前向きな唄を欲してる自分を発見。
その次 ―― ラストの 「汚れた手」 では泣きたい気分に包まれた。
だけど泣いて 「あげない」。
自分が保てなくなるのは見えてるし、意地でも泣かない。
加藤卓雄に依存してることに気付いてしまったから、余計泣けない。
サイレン鳴りやまず。
要軌道修正。
要新規開拓。
気持ちの分散が必要との結論。
誰かを大好きでいる気持ちだけならいい。
だけど、誰かを絶対的に必要としている気持ちなんか重すぎる。
その存在が喪失われた時のことを想像してみたらいい。
オンリーワンの消失、そして不在 ―― あの時を思い出してみたら結論はひとつだ。
あんな想いはもう 2 度とごめんだ。
なのにどうして相談してみた誰もが、この 「依存」 に OK を出すんだろうか?
どうして 「それもアリ」 だと??
お気楽過ぎないか????
謎は深まるばかり。
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