よしみちゃんが 「記憶の中の存在」 になってから、5 年目の夏が来る。
だけど、今でもアタマのドコかで否定してる気がする現実 ―― 彼女の不在。
ベルリンに到着した晩に読んだメールに書かれてた彼女の死を、葬儀に参加できなかった私に信じろと?
3 ヶ月の逃亡の途中に伝えられた彼女の死を、彼女へのお土産をバッグに詰めたまま旅を続けた私に
現実としてちゃんと受け入れろと?
アタマじゃわかってたって、It's impossible! Don't you think so??
彼女の選択は、彼女の意思。
彼女の不在は、彼女の望み。
自分たちを繋ぎ止める鎖を断ち切りたい気持ちは、出逢った頃からシェアしてた 「私たちの本音」 だったから
異国の空の下、念願を果たした彼女を思うと泣けなかったし、
彼女の死という事実に対しては、結局この 5 年、一度もちゃんと泣けてないし、
泣けるようになるまではきっと、私の中の現実にはならないんだと思ってもみたりする 5 年目の夏間近....
解放されたい気分から解放されるのに時間がかかってしまって、更新がままならなかったっす、はい。
(残された側としての悲しい気持ちがなかったとは言わないけど、もちろん彼女の選択を否定する気はない。
16 の時から抱えてる 「いつでも連れてってよ」 って気分は、きっとまだまだ抜けないような気がするしね。ww
だけど、本音がどうであれ、よしみちゃんと同じ道を選んだりは絶対にしない。それは約束するよ。ん。)
まぁ、ね。
同じ道を選ぶツモリはないとはいえ、
「解放されたい気分」 からちっとも解放されなくて
酒に溺れたら少しはラクかと思ったのに酔うこともできなくて。(かた、ホントにさんきゅでした。らぶ。)
がんばらなくちゃ、
がんばらなくちゃ、
みんながんばってるんだから、がんばらなくちゃ。
へたれてないで、ちゃんとがんばらなくちゃ。
だけど、自分を盛り上げきれないまま迎えた染谷のワンマン。
へたれてちゃダメだって
もう少しがんばらなくちゃって
染谷に逢う度に思う自分がいつもいて、だから
染谷に逢えば 「自分と闘う」 生き方をココロにもう一度、刻める気がしてた。
そして、ライブの最後に手渡された染谷からのメッセージ。
「闘うことが全てじゃない。」
そのフレーズが、だからとにかく、深く深くココロに刺さってきたんだ。
逃げ出さない勇気。闘うためのチカラ。
―― へたれのアタシが喪失いがちなもの。
だけど、いいのかな、って。
闘わない日があっても、立ち止まったまま動けずにいる日があってもいいのかな、って。
「がんばらなくちゃ」 ってコトバに縛られて身動きできなくなってる自分を解放してあげてもいいのかな、って。
ココロが少し軽くなった気がした土曜日。 染谷、ホントにありがとう。