カンボジア ポイペト
「マニー マニー」と無邪気な笑顔で手を差し出す子どもたち
これからさらにバスで 世界遺産アンコール遺跡群に近い都市
シェムリアップへ向かう予定だ
到着予定時刻19:00と聞いていた
しかし ここまでお世話になった タイ人のガイドが言う
「シェムリアップ到着 バスだと深夜零時を
まわってしまうかもしれない タクシーの方が速いよ」
バスはシェムリアップ直通じゃないためか?
遅くなるという
こういう事態が起きる可能性がある事は
日本のガイドブックには 書いてあったので
私はやっぱりそうなのか・・・と納得したが
西欧人たちは黙っていなかった
口々にタイ人に不平、不満を言う
「聞いてないよ!半分お金返して!!」
タイ人気まずそう・・・
そりゃそうだ
19:00に着くって言ったはずのバスが
深夜に着くなんて ありえない
私も西欧人に「ねぇ」と振られたが
不平の言い方がわからないので
不満げな顔で「ウン、ウン」とうなずいた
そして一人$10払い 何台かのタクシーに分かれ乗り合って
シェムリアップを目指した
私はヨーロッパ人の老夫婦と
スロヴァキア人の女の子と乗り合いした
この夫婦は 東南アジアをまわって
チャイルドケアのプロジェクトをしているという
そう ここ東南アジアは 子どもたちが学校にも行けず
働いたり 売買されたりしているのだ
家族を背負って セックスワーカーをしている
子どもだって あたりまえのようにいる
その子たちを お金を持った国の人が買いに来る
スロヴァキア人の女の子 シルヴィア(シサ)は
3つ年上のお姉さん
ロンドン在住で大学卒業かなんからしくって
半年のアジアの旅に来ているらしい
「もしよかったら一緒に行動しよう」と誘われ
英語が満足にできない事に 後ろめたさも感じたが
旅は道連れ カンボジアを一緒に旅する事になった
舗装されてる道と ゴトゴトの道を繰り返し
17:30シェムリアップ到着
一瞬の沈黙は
バスでも19:00に着いたんじゃないの・・・ !?
誰もがそう思った瞬間だったのだろう
シサとツインの部屋を借りて一緒に寝た
あぁ 虫さされと じんましんがかゆい
次の日 シサとトゥクトゥクをチャーターし
アンコール遺跡群を回った
念願のアンコールワット
感動だった 是非行ってほしいので
内容は教えたげない
ちょっとだけ


(遺跡の上に生える木)

(アンコール遺跡群であそぶ子どもたち)


今日1日で気づいた事がある
およ およよ
実はカンボジア人って・・・
カンボジア人(クメール人)の男の人って ・・・
かっこいい

みんな目がきれい
陽気
笑顔がやばい
トゥクトゥクのお兄さんはスキという名前で
笑顔がまぶしいまぶしすぎる
シサ サキ スキ 名前が似ていると3人で笑い合った(青春)
早くも旅6日目 バスで5時間 シサとプノンペンへ向かう
ツアーバスなのに席が足りず 一番後ろの席で詰め合って座る
サキ ヘヴィーになる
到着し バスが一緒だった2人のカナダ人Guysが
イイ安宿を教えてくれた
旅は道連れ レイクサイドにある水上ゲストハウスだ
湖上の木造ラウンジは気持ちいい
ひとり夜風にあたっているとフランス人Guysが
「まぁ 座りなよ」とビールをくれた
フランス人Guys 英語できない と言う
できないと言いながら できるんだと思ってた
ビックリ!!私と同レベルや 彼らの方がちょと上かな
安心して会話ができた 笑
たまにフランス語なのに 堂々と
そのまま押し通そうとするし
わかんないってば
6人くらいいたんだけど みんな個別で旅に出て
ラオスで一緒になって行動しているらしい
よく 海外で日本人同士がつるむのを
よくないと言う人がいるが
みんなおんなじ ちょっと安心した
それからフランス人Guysは ナイトクラブへ行くよと
声をかけてくれた
実はバス酔いでヘヴィーになってたので
あまり行きたくなかった
シサもそうだったけど プノンペンのクラブが
見てみたいって意見が一致して行く事にした
旅は道連れ
DJは曲をバンバン切り 繋ぐというより
ぶっっ繋げ ひどかった 笑
たぶん 勘違いしてるんだろう
そういうもんだと思い込んでるんだと思った
もしかしたらきっとプノンペンにもいいDJは
いるかもしれない
でも その日のDJは ちょっと違っただけ
かもしれない
1時間くらいでクラブを出た
帰りはバイクタクシーで帰った
このバイクタクシーっていうのは50ccのいわゆる 原チャで
ノーヘル(たまにヘルメットあり)で
2人乗り~3、4人乗りするタクシーである
昼間 おばあさんふたりも
このバイクタクシー(原チャ)の後部座席に
乗っているのを見かけた
トゥクトゥクと同じくらいポピュラーなタクシーである
原チャ あのらへんの一帯の国では 免許なしで乗れるらしい
お父さんらしき人が運転し 後ろに子ども3人と
お母さんらしき人が乗った 原チャも見た
日本ではそういう場合 普通 乗用車だろう
交通規制もゆるいこの国で あえて危険な
バイクタクシーで帰った
運転手さん シサ サキで
ノーヘル3人乗りした 楽しかった(青春)
7日目はプノンペン観光
トゥール スレン博物館は
ポル・ポト政権時代に 監獄として使われた建物
この場所で罪のない国民たちは拷問された
門の前には片足のない人や 顔がぐちゃぐちゃになった人が
観光客に帽子を取って 金を入れろと 差し出した
生々しいその部屋がそのまま残っていた
拷問されたのち プノンペン郊外
Killing Field で殺された
1975年から1979年までの4年間に 国民の3分の1
わかっているだけで約2万人が処刑された
反抗する恐れのある知識人・技術者をはじめとし
子どもにまで及んだ
ここでは掘り起こされた9千もの頭蓋骨が
積み上げられていた
日本から千羽鶴が届いていた

(現在は緑あふれ閑静な”Killing Field”で
ここでそんな凄惨な事態が起きていたとは想像もできない)
ベトナムやカンボジアの紛争が
終戦をむかえたのは 1998年
たったの10年前まで 戦争をしていた国なのだ
そういえば 子どもながらにニュースで見たのを覚えている
地雷 枯れ葉剤 ベトちゃんドクちゃんのはなし
(これはベトナム戦争ですね)
経済が 安定していなくて あたりまえだ
ここで暮らしている人々が そういった中を
生き抜いてきている
何事もなかったかのような 笑顔をみせる
とても 考えさせられる都市だった
大学時代にとてもお世話になった
プロフェッサーA氏が よく
「産まれる国も親も 選べないんだから せめて
テストの時に隣にすわるヤツくらい 選べ」
と言っていたが 本当にそのとおり!
私は日本に産まれて ただのラッキーで
あふれんばかりの物資と 快適な生活を送っている
趣味だって持てる
うーん 何が言いたいのか 言葉にするのは
本当に難しくて
私の頭じゃ ちょっと足りなくって
でも日本って なにか 重要な役割を背負っているような?
んと えと なんだろ
戦争を放棄した国に生きる者として 何ができるでしょうか
みたいな?
経済的に豊かな(最近はどうかな)国に生きる者として
何ができるでしょうか的な?
うーーーん どう表現したらいい?
よくわからんけど やっぱり長くなったから
次へ続くし

(砂ぼこりと日差しから完全防備の市シサとサキ)

(マーケットで見つけたマンゴスチン
マンゴスチンのガムってむかし 流行らなかったっけ?
こんなフルーツだったんだ)
