SとMとの間で

SとMとの間で

私「横溝のぞむ」の人生の軌跡、忘れ得ぬ素敵な人々を
一緒に追体験しませんか?

Amebaでブログを始めよう!

こんにちは。のぞむです。いつも「SとMとの間で」を読んでくださって感謝しています。


実はこのブログは、先にyahooのブログで立ち上げていたものを、移植する形で順次再掲載してきました。より多くの読者や、守備範囲の異なるアメブロの読者の方にも読んでいただきたいというのが、当初の目的でした。しかし、いくつかの理由によって、アメブロでの更新はストップすることにします。理由は以下の通りです。


1、当初の目的をほぼ達成できたと思えたこと。

→「カテゴリーの異なる読者を増やす」という当初の目的はほぼ達成できたと考えました。


2、アメブロにそぐわないジャンルであること。

→私は誠実に自身の人生をつづってきましたが、その過程でどうしても露骨な表現をせざるを得ない場面がいくつかありました。それを規制されることは、私自身の表現範囲を狭められている感じがしています。もちろん、アメブロさんの意図もわかりますし、それを無視してまで続けることは得策ではないと判断しました。


3、自由なやりとりが難しいこと

→yahooブログでは、匿名であるがゆえに自由な意見交換が活発に行われています。しかし、こちらの場合は有名モデルさんだったり、企業家の方だったりと、正々堂々と実名公表の上でブログを更新している方もたくさんいらっさいます。その方々が私のブログを見てくださっても、おいそれとコメントは返しにくい状況であることがわかってきました。それでもなお「ぺた」を積極的に押してくださる読者には本当に感謝しています。


のぞむの物語はまだ続きます。yahooブログでは一足先に第三部が始まっています。多少体裁やタイトルは異なっていますが、ほとんど内容はアメブロの掲載作品と同じです。(少しだけ表現が過激になっていますが)

こちらで、仲良くなったかたがには大変もうしわけありませんが、もし私の物語の続きが気になる方は是非、yahooブログのほうにお越しください。書きにアドレスを掲載しておきます。


Yahooブログ「SとMとの間で」(横溝のぞむ)

http://blogs.yahoo.co.jp/sandmworld



なお、yahooブログでは第一章~第七章までがアメブロと同じ内容で、第八章「許されざる存在」からが、新しい内容になっています。


コメントやいいねを下さった方、

ペタを押してくださった方、

そして

いつも読んでくださったたくさんの読者の方々に心からお礼を申し上げます。


のぞむの物語はもう少し続きます。

ももこさんとの悲しい別れを乗り越えて、

これからどんな人生を歩むのでしょうか。

もう少しyahooブログでお付き合いいただければ、幸いです。


では、これでアメブロでの更新を最後とします。


本当にありがとうございました!!!

ふわふわ……
ふわふわふわ……

あれあれ? あれれれ?


あーあ、また悪い癖が出ちゃいました。

どうやら私は“体の”のぞむ君から抜け出してしまったようです。


母に虐待されていたあのころ、私はよくこんな状態になりました。
折檻されている肉体としての自分をもう一人の心の自分が、人ごとのように見つめる。
そうすることで、辛い時間を、苦しい現実をまるで他人事のように淡々と眺めることができる。

専門用語で「解離」と呼ばれる現象が、虐待を受けている人によく見られる症状であることを学んだのはずっと後のことですが、私は今、本当に久しぶりに「解離」状態になっているようです。


あっ、申し遅れました。私の名前は“心のノゾム”です。

今、私はとある喫茶店でカップルの斜め頭上、腰掛けるのにちょうどいい食器棚の上あたりに居ます。
しばらく、カップルの会話に耳を傾けてみましょう。

あっ、みなさんはよくご存じですよね! カップルはもちろん“体ののぞむ君”とももこさんです。

「……のんちゃん……ううん、のぞむ君。」 



「……はい。」


おや?
ももこさんは急に席を立つと、深々とお辞儀をし始めました。


「ごめんなさい。」


艶やかな髪が前に流れると、主任の香りが“体の”のぞむ君を包んでいるのが見えます。
彼はちょっと懐かしそうな、そして切なそうな表情になっていますね。
(“心のノゾム”が“体ののぞむ君”を描写すると、ゴチャゴチャしてくるので、しばらくの間、“体ののぞむ君”を『彼』と呼ばせて下さい。)



「ももこさん。頭を上げて下さい。」


「許して欲しいの。」


ももこさんは頭を下げたままです。周りの人々がチラチラと、彼女を見て、その視線をそのまま彼に泳がせています。


「許すも許さないもないです。だから、どうか頭を上げて下さい。ももこさんは悪いことなんか、もともとしていないんですから。」


ようやく顔を上げたももこさんの目には涙が光っていました。
彼は……彼は私も驚くほど冷静な表情と、優しい声で答えていますよ! 大人ですねえ。


「とにかく座って下さい。」


「うん。」


ももこさんはうなだれるように席に戻ると、しばらく黙っていました。
それでも瞳だけは彼をまっすぐ見つめます。

そんな瞳に溢れている涙を、彼もじっと見つめ返します。



喜びと悲しみの気持ちに引き裂かれそうなんですね。お気の毒に……。


彼の目にも少しだけ涙が光っていますね。きっとまっすぐに瞳を見据えるももこさんの癖を思い出しながら、

「のぞむ君。あなたにとっては単なるいい訳に聞こえるかも知れない。
ううん、私は今からあなたを傷つける言葉を言うかも知れない。けれど、聞いてくれるかな?」


「はい。大丈夫です。もう僕は大丈夫ですから、どうぞ話して下さい。」

おお!彼がスムーズに返事しましたよ。 
心(つまり私のことですが)はかなり縮こまっているようだけど、大丈夫かな?


「ありがとう。きっとのぞむ君ならもう予想していると思うけど……。私、元夫とよりを戻したの。向こうに渡ってからすぐに、彼からコンタクトがあったわ。私、すぐには会いに行かなかったの。自分の心を落ち着かせるために。しばらくたって、何度目かの連絡の後、彼が会いに来た。そして、彼の顔を、彼の目を見た瞬間に……私、泣いてしまったの。ワンワンワンワン、そりゃもう周りがビックリするぐらい泣いて泣いて、彼を叩いて、そして抱きついた。」


ポコポコポコ……
遠くでコーヒーを入れる音が聞こえますね。

おっと、これは彼の耳に聞こえているのかな?
それとも私の耳で捉えたのかな?
まあいいや。もうしばらく二人の様子を眺めてみましょう。


彼は……ニコニコしていますよ!? 
ブラボー!
とても演技には見えません!
上手で、自然な笑顔です。これならももこさんもきっと話しやすいでしょうね!


「会った瞬間に、私はやっぱりこの人じゃないとダメだと感じたの。」


「はい。」


「のぞむ君。あなたはとてもいい人。素晴らしい人。さっきは“男の子”ってからかったけれど、本当のあなたは一人前の大人で、しかも紳士だと思う。」


「ありがとうございます。」


「ううん、お世辞じゃない。これは本心。あなたは才能があって、人格があって、これからどんな明るい未来だって自分で切り開いていける。」


「……あんまりほめられると照れますね。」


またまた! 彼は本当に演技派ですねえ。
みなさんも、そう思いませんか?だって、私、“心のノゾム”はこんなに混乱して、悲しくて、どこかに泡となって消えてしまいたいと思っているのに、彼ったらあんな軽妙な切り返しをして!
憎いですねえ~!


「でも、これはどれだけ言っても言い足りないぐらい。私も、一時期あなたとの未来を考えたことがあった。」


「そうなんですか……それは意外です。」


「でもね、これははっきり言っておきたい。私はあなたにふさわしくない。あなたは私にはもったいないぐらい、未来がある人。そして私も、あなたとの未来を描ききることが出来なかった。10年後、20年後の二人を想像することが出来なかった。若く、どんどん活動の場を広げていくあなたと、それより12歳も年老いた私が、家で寂しく待つ姿しか思い浮かばなかったの……。私、今すごく辛いことをのぞむ君に言っている。でも、きっと後でわかってくれるはず。


「……はい。」


「実は、旅立つ前から、のぞむ君と別れることは決めていた。それは、彼が現れなかったとしても変わらなかったと思う。けれど、もう一度言うわね。それはのぞむ君が嫌いになったとか、頼りないとか、そんなことでは……」


「ももこさん!」


おや? とうとう彼の我慢も限界に来たようですね。そりゃそうです。
だって私の息はもう絶え絶えなんですから。

彼は主任の話を遮りました。ありがとう!“体ののぞむ君”! 
やれやれ、これで“心のノゾム”である私は、もう少しは生きられそうですよ。これ以上ももこさんの口から、元夫の話も、彼への賛辞も聞きたくないですしね。

あれ?でも彼はまだ“これ以上主任に告白させるのは可哀想だ……”と思っているようですよ。
どこまでお人好しなんでしょうね……


「ももこさん。わかっています。全部わかっています。っていうか、わかっていました。」


「?」


「ももこさんが、僕を人として、男として、認めていてくれたこと。本当にわかっていました。そして、それでも尚、越えられない壁があることもわかっていました。」


「うん。」


「正直に言います。僕、こんなに人を本気で好きになったこと、ありませんでした。だから、ももこさんの本当に微妙な変化も見逃してはいませんでした。ももこさんがときどき遠くを寂しそうに見つめる表情。シスレーの絵を切なそうに見上げる表情。私の目をじっと見ているのに、私の目を透かしてここには居ない誰かを見ているような表情。どんなにかすかな心の動きも、僕は見逃していません。」


そりゃそうです。彼は見逃しても“心のノゾム”である私は、決して見逃したりしませんよ!
でも、彼がこうやって私のことを口にするなんて珍しいですねえ。


「ごめん。」


「ううん、謝らないでください。それでも僕は嬉しかった。そのままの僕を、僕という存在そのものを受け入れてくれた最初の女性だから。本当に感謝しているんです。もちろん、ももこさんと未来を共に出来たら幸せだと感じていました。いや、今でも感じています。


「うん。」


「でも、ももこさんの心が僕に向いていないことに、僕はいつのころからか意識していました。でも、敢えてそれを見つめないようにしていたのだと思います。」


「……」


「だから、謝らないでください。一年目の僕ならこんなこと言えなかったけど、今なら言えます。ももこさん!」


「うん?」


あの、小首を傾げながらまっすぐに瞳を固定する魅惑のポーズは、今も健在のようですね。
彼がちょっと辛そうに目を伏せましたよ!


「次は絶対彼を手放さないで下さい。そして、絶対絶対幸せになってください。
“のぞむが諦めたおかげでももこさんは幸せな一生を歩みました、めでたしめでたし!”
っていうハッピーエンドの物語を聞かせて下さい。それ以外の結末を、絶対僕に聞かせないでください。」


「はい。わかりました。ありがとう! 絶対幸せになります」



主任の顔は晴れやかです。

どれどれ……彼の顔を覗いてみましょう……
おお~ 笑顔です!素敵な笑顔です!


天井から二人を見下ろしている私は、
涙が溢れて止まらないのに
癒えかけた心から再び血が溢れ出しているのに
もう一瞬たりともこの場に居たくないのに


主任と向き合う彼の笑顔の、
なんと晴れやかなことか!
なんと爽やかなことか!


私は彼の一世一代の大芝居を、
溢れる涙で霞みそうになりながら、
一生懸命拍手を送りました。


よくやった!
よくやったよ!
“体ののぞむ君”!


君は偉大な役者であり、
素敵な詐欺師。


ももこさんをだまし、笑顔で送り出す。
ももこさんをこれ以上困らせまいと、懸命に美しい言葉を並べる。
ももこさんのこれからに暗い影を落とすまいと、必死で道化を演ずる。


君は希代のピエロ
君は私が知りうる限り、もっとも完成された欺瞞の持ち主。


でも、本当は悲しいね。
本当は辛いね。
本当は泣きたくて、消えたくて、
苦しいね……


だって、それが本当の気持ち、本当の心
食器棚の上にぽつんと座ってぼんやり二人を眺めている
“心のノゾム”つまり私の心の内だから……。


すっかり、晴れやかな顔になったももこさんが退職のことや、
これからのことを話している様子です。


でも、これ以上彼を(私を)ほったらかしておくと、
どちらも辛いので、そろそろ元の場所に帰ることにしましょうか……。


ふわふわ……
ふわふわふわ……


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


主任は帰り際に、私に指輪を渡しました。


「これ。もらえない。きっとのぞむ君のことだから受け取らないと思うけど、それでも返させて。あなたが指輪を渡すべき人は、この世のどこかにきっと居る。そのときまで取っておいて。」


「はい。」


私は素直に受け取りました。

主任が遠くに去って行きます。
遠ざかっていきます。


主任の向こうには大きなビル街が、
そのまた向こうには泣き疲れて赤い顔の夕日が、
ゆらゆらと沈んでいくのが見えました。

そして主任は、その陽光の中に消えて行きました。

見えなくなりました。
もう、見えません。





私は……
気づくと小さな公園にいました。

ぼんやりベンチに座っていると、急に喉の乾きに気づきました。
近くに小さな雑貨屋が見えます。
ジュースでも買おうと財布を開けたとき、ふと写真が目に留まりました。

主任と二人きりでとった官能的な一枚でした。
私が主任からもらった、たった一枚の素敵な写真でした。


私は突然雑貨屋に走ると、ジュースを買うのも忘れてライターを買いました。
公園に戻ると、急いで指輪を写真に包んで公園のテーブルで火をつけました。
写真は少しだけ身をよじらせると、そのまま静かに黒い煙をくすぶらせながら燃えていきます。





ゆらゆら
ゆらゆらゆら


私はほおづえをつきながらぼんやりと小さな炎を眺めます。
ゆらめく炎の向こうに、暮れかけた街並みが見えました。

写真は燃え尽きました。


しかし、
気づくと
指輪がすすだらけになって残っています。


「あっ、そうか……。指輪は燃えないんだ」

私は写真と一緒に燃えないはずの指輪も燃やそうとしていました。

私は自分の行為が急に可笑しく感じられ、笑い出しました。


笑いました。
笑いました。
大きな声を上げて笑いました。


大げさに腰を折り曲げて、
お腹をかかえて
苦しくなるほど笑いました。


写真を焼いて
主任の姿を燃やし尽くして

さよならしたかったのに


指輪は
届かなかった願いは
悲しみの残骸は


掌に残ってしまいました。



笑い声は
いつしか
すすり泣きに変わっていました。



私は指輪を握りしめて、いつまでも立ちすくんだまま
すすり泣いていました。



燃えない指輪、まだ熱の残っている指輪

それは……


消えない痛み、消せない思い

そのものでした。



※これで第二部の物語は終了です。
 読者のみなさん、私のささやかな人生の一場面に、
 最後まで付き合っていただき、本当に感謝しています。

 後日談についてはまた次回にご報告します。
ある日、一つのニュースが衝撃を伴って社内を駆け巡りました。



「風見支社長(主任のことです)が、会社をやめるらしい……」



特に広報部では大きな驚きと失望が広がっていくのを感じていました。



主任は女性社員にとっては憧れであり、目標であり、そして守護者でした。若く聡明な主任が、肥え太った男性陣を向こうに回して対等に渡り合う姿が、女性の後輩たちに勇気と希望を与えていました。


それだけに、今回の突然の退社は目標がなくなることへの悲しみだったと思います。


もちろん、別な感情も渦巻いていました。主任のことを快く思っていなかった人々はここぞとばかりに主任を公然とののしりだしました。


「やっぱり女は所詮だめだな」
「途中で仕事を投げ出すなんて……」
「あんなに大口叩いていたのに」



確かに、今は何を言われても仕方ない状況ではありました。支社は主任が赴任しても、一進一退の状況で、必ずしも業績を上げたわけではありません。今が正念場というときの突然の辞任劇は、客観的に見れば非難の対象になりえたでしょう。



しかし、私はそれほど驚きませんでした。



あの日、私に元夫の存在を明かしてくれたあの日、主任が泣きながら私に訴えた言葉を覚えているからです。



「本当は私、ありふれた幸せが欲しかった。大きくて、自分の全てを預けてしまえるような人の傍で、 いつもニコニコ笑って、その人の幸せな笑顔を見つめて暮らしたかった。 それが出来るならば全てを捨てたって後悔しない。」



あのとき、私はこの言葉を、私自身への叱咤激励の言葉として受け止めていました。


“お目出たい奴だ!”と読者のみなさんは思われるでしょうね。でも、私は主任が私に“もっと頼れる男になって!”

と尻を叩いていると感じました。



今、冷静に振り返るとあの言葉は私にむけた放った言葉ではなく、一度は手放してしまった運命の人への叫びだったのでしょう。



そして、主任が会社をやめるということは……


彼女が人生の選択をし、未来への決断をし、運命を変えるために走り始めたことを意味していると感じました。



あの別れの日から約1年が経とうとしています。


再び春は巡り、私の20代が終わりをつげる年となっていました。



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時間は、本当に偉大です。



どんな本も
どんな音楽も
どんな映画も
私を癒やすことはできませんでした。



どんな場所も
どんな物も
どんな人も
私を笑顔にすることはできませんでした。



けれど
時間は


時間だけは
私の味方でした。



心に刺さった大きな氷の刃物
私の心臓を射貫き、血をとめどなく溢れさせていた
あの冷たく鋭い刃
誰にも抜けなかったあの凶器



しかし
時間だけは


毎日毎日
私の所のやってきて


そして、
そっと温かい手で握りしめてくれました。



時間が包んでくれたその手によって
あれほど大きな刃物が
少しずつ少しずつ溶け出していくのを感じ、


ちょっとずつちょっとずつ小さくなるのを
私はぼんやりと見つめていました。



死者のように
倒れ込み、動けなくなっていた私の心を


時間だけは決して見捨てずに
抱きしめ、語りかけ、
そして慰めてくれました。








主任が退社の挨拶のために帰って来る……
その話を聞いたときも、私は冷静でした。


そして
あの懐かしい主任に会える喜びと、


そして
本当に
本当に
心の底から愛した人に


別れを告げる日が、すぐそこまで来ていることを


まるで観客席からモノクロのフランス映画を眺めるように
受け止めていました……。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「久しぶり……」



「お久しぶりです……」



主任と私は、付き合っていた頃よく訪れていた喫茶店で向き合っています。



……主任は少しだけ太っていました。しかしそれは決して悪い意味ではありません。「健康的な美しさ」が加わったと思って下さい。以前の主任もたいへん美しかったのですが、その美は「滝」「氷」といった苛烈で凛とした孤高を湛えた美でした。しかし、今の主任の笑顔には「海」「日だまり」を感じさせるような、柔らかさと寛容を携えた美を纏っているのです。



キュートな笑顔と真っ直ぐ見つめる瞳
白くて細い陶器のような指はそのままでした。


そしてその指、左手の指には……私が贈ったものとは異なる指輪がキラキラと輝いていました。
その光の眩しさに、私が目をパチパチさせながらぼんやりしていると、主任が口を開きました。



「元気だった?」



「はい。元気でした。」



「さっき会社でいろいろ聞いたけど、この1年、すごく頑張っていたらしいね。」



「はい。主任がいつ帰って来てもいいように、全力を尽くして仕事に当たりました。ほめてくださいよ!」



「はいはい。エライ! さすが私が見込んだ男の子だけあるっ!」



「ちぇっ! まだ男の子ですか? いつになったら“素敵な男性”って言ってもらえるでしょうね……。」



「うーん、あと10年ぐらいかな~」



「え~、そんなに待つんですか?!」



まるで付き合っていた頃のように、言葉が淀みなく流れ出していきます。


楽しいひとときでした。
一瞬、まるで昔に戻れたような錯覚すら感じました。



しかし、私にはわかっています。


私自身は、精一杯はしゃいでいる振りをしていること。
何げない会話をすることで、自分の心を見ないようにしていること。


そして
そんな私の心を見抜いて、主任も私の演技に乗っかってくれていることを。

私は次第に心と体が分離していく感覚を覚えました。


ふわふわふわ……

、振り落とされないようについてきてください。
柔らかい光がいつものように、私の部屋に差し込んできます。
 やんちゃな光に照らし出された細かな塵が、恥ずかしそうに舞い踊っては消えて行きます。
 新聞を配達するバイクの音が一日の始まりを慌ただしく告げると、
 さらに遠くから電車の音が時を合わせたように合唱を始めます。

 
 今日も変わり映えのない一日がスタートします。
 期待も喜びもない時間が始まるのです。
 私は重い足取りでベッドを出ると、服を着替え、会社に向かいます。

 
 全ては変わってしまいました……あの日から。


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 主任が海外に飛び立ってから半年が経ちました。
 私は毎日毎日、懸命に仕事をしました。仕事に打ち込みました。

 
 いいえ、仕事に「逃げ」ました。


 仕事をしている間だけは、主任を忘れることができました。主任を思い出さずにすみました。
 同僚の嫌がるプレゼンも、敬遠する接待も積極的に立候補しました。

 
 そんな私の姿を見た同僚たちが、密かに陰口をたたいていることも知っていました。

 
 「前の主任の後釜を狙っている。」
 「新しい主任に気に入られようと焦ってる。」

 
 何を言われても平気でした。
 仕事に没頭している時間。それは自分をみつめなくてよい時間だったからです。


 そして、いつ主任が帰ってきてもいいように、主任が帰ってきたときに、胸を張って

 「ももちゃん!見て見て! 君がいなくても僕はこんなに頑張ったよ!成長したよ!」
 「これで、ももちゃんも僕を頼れる男としてみてくれるよね!」

 と言えるようになっていたかったからです。

 でも……辛いのは仕事が終わって家に着くときでした。
 おもわず留守電の点滅を目で追う自分がいます。
 青白く光ったままで、着信がないことを告げるランプをぼんやり見つめる自分がいます。



 “いけない、いけない! これじゃあ、ももちゃんが帰って来たときにみっともないぞ!!”

 
 と自分を叱咤激励します。


 しかし、

 あらゆる時が、
 あらゆる場所が、
 あらゆる物が、

 私を苦しめるのです。



 夜寝るとき、主任の顔が目に浮かびます。
 電車のホームの看板を眺めると、
 二人で息を切らして飛び乗ったあの電車を思い出します。
 社内の給湯室でコーヒーカップを取ろうとすると、
 その瞬間に主任が私の肩に顔を埋めたことが思い出されてしまうのです。

 
 いつでも
 どこでも

 
 何を見ても
 何を聞いても
 誰を見ても
 誰と話しても



 私はその背後に主任の姿を重ねてしまうのです。



 寂しさは次第に黒い淀みとなり、私の心の中で濃縮されていきました。
 悲しみが重力を持ち、体をつなぐ鎖となって、私の自由を奪います。


 鎖につながれた足首や手首がすり切れて血がにじむように、
 私の心も歪み、軋み、ギリギリと締め付けてきます。



 息が出来ない
 瞼が開かない
 声が出ない



 ギリシャ神話の怖ろしい神が現れて、私の足下から徐々に石へと変わる魔法をかけたように、
 私の心は少しずつ、少しずつ……音を立てて崩れていく心持ちがしました。



電話を掛けました。
手紙も出しました。



 けれど、
 いつも


 返事は返って来ません。



 泣きました。
 怒りました。


 ぼーっとしました。
 震えました。
 うずくまりました。


 そして
 悲しくて、寂しくて……
 消えてしまいたくなりました……。



 「最愛」 福山雅治


夢のような人だから
夢のように消えるのです



その定めを知りながら
捲られてきた季節のページ



落ちては溶ける粉雪みたい
止まらない想い



愛さなくていいから
遠くで見守ってて

強がってるんだよ
でも繋がってたいんだよ
あなたが まだ好きだから

今、この文章を書いていても
あのときの心の痛みがよみがえるようで上手に表現できません。


しかし、最近福山雅治さんの曲を聴く機会があり、
私のあのときの心の襞がまるで写し絵のように描写されている思いがしました。


「愛さなくていいから 遠くで見守ってて」という歌詞は、あのときの私の心の叫びそのものでした。



辛く
悲しく
寂しい
暗く長いトンネルのような時間がしばらく流れていきます。



そして、私と主任との関係に、本当の意味での終止符が打たれるときがもうすぐやってきます。

そのときに「のぞむ君」は、どうするのでしょうか。
何を思うのでしょうか。



筆者である「のぞむ」は、過ぎ去りし日の「のぞむ君」を慈しみながら、
あのときの心模様を描く努力をしてみたいと思います。



……しかし、少しだけ時間を下さい。


 ※申し訳ありません。私があまりに衝撃を受けたせいで、この後の主任の言葉をよく覚えていません。内容だけは把握していますが、そのときの  表情や声のトーン、言い回しや抑揚、周りの景色……。どれもこれもぼんやりしていて上手く再現できません。従って内容だけをごく簡単に留   めておきます。



 主任は就職してすぐに、海外長期研修として留学していた時期があったそうです。(あの頃は好景気で、そういうことも度々ありました。)そこで絵描きの卵である日本人男性と激しい恋に落ち、勢いでそのまま結婚しました。彼女の言葉に寄れば「最初で最後の男性」と言うほどの運命を感じたそうです。しかし、彼氏はまだ売れない画家、主任は期限付きの留学。だんだんケンカが多くなり、そのまま別れてしまったようです。その、まったく音沙汰のなかった彼が、最近よく連絡をくれるようになりました。彼は、今では現地ではけっこう有名な画家となり、本業以外の分野(デザインや空間プロデュース等)でも仕事の幅を広げて成功を納めています。そしてまだ独身で、主任のことを思っている……。そんな内容でした。



 そして主任は最後にこう言ったのです。これだけは覚えています。



 「私は、もう彼への思いをすっかり断ち切った気でいたの。けれど、この前送られた絵を見て、自分がわからなくなった。自分は彼を捨てた罪悪感で現実から目を背けようとしたけれど、それじゃあいけないんじゃないかって……。のんちゃんのこと、本当に大好き。でも……彼のことがまったく頭にないかって言われると……。どこかで彼とのんちゃんを比べる自分がいる。のんちゃんの瞳、彼にそっくりなの。そんな一つ一つを思い出すと……。だから、私自身の心を確かめるためにも、今回の赴任は一つの賭けなの……。」



 私はこう言うのがやっとでした。



「ももちゃん。行ってきて下さい。そして自分の気持ちを確かめて下さい。そして……そして……必ず帰って来て下さい。僕の所に絶対、絶対帰って来て下さい。僕、僕、本当にももちゃんが大好きで……ヒック……ヒック……大好きで……だから……ヒックヒック……そして、帰って来たら……帰って来たら……結婚してください。どうか……ヒック……どうか……僕だけのももちゃんになって……なってください……ヒック」



昔から、私は泣き虫でした。そのことで母にずっと責められてきました。
だから辛いこと、痛いこと、苦しいことでは泣かなくなりました。



でも、悲しいこと、寂しいことへの免疫は、まだまだでした。
私は子供のようにしゃくり上げながら泣いてしまいました。



主任に思いを告白したときも泣きました。
あのときの涙は温かく、幸せの粒でした。



しかし、今日流している涙は、堪えても堪えても溢れる涙。
それは寂しさの涙、不安の涙、
そして自分自身のふがいなさを痛感する悔しさの涙でもありました。



いつもよりしょっぱくて、冷たい涙でした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この後、私と主任は何度かデートを重ねます。時には激しく主任を抱いたこともありました。わざと恥ずかしい思いをさせて、私の復讐心を心密かに満足させたこともありました。主任はいつも全てを受け止め、私の思い通りの反応を見せてくれました。
 しかし……私にとって、決してよい思い出の営みではありません。従って、ここでその行為をただ興味本位な観点から描くことが、どうしても出来ません。読者の皆様には申し訳ありませんが、この部分は私の心の中だけでしまっておきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

主任が旅立つ日がやってきました。


多くの同僚や部下も見送りに来ています。


私は大勢の部下の一人として、主任と接しなければなりませんでした。
それが辛くて、途中から輪を離れて、別な階でぼんやり座っていると、携帯がなりました。



「のんちゃん、どこにいるの?」



私は嘘をつきました。





「のんちゃんと二人で会いたい。」


「僕も」



「ちょっと待っててね。理由をつけて輪を抜け出すから。」


「うん。」

しばらくすると主任がやってきました。



「のんちゃん。行ってくるね。」


「行ってらっしゃい。必ず帰って来て下さい。」



「……のんちゃん、体を大切にね。」


「ももちゃんも、病気や怪我に気をつけて……無事に帰って来て下さい……」



「のんちゃん。広報部をよろしく。特にすみれちゃんには優しくしてあげてね。」


「はい。同僚としてなら優しくします。ももちゃん、僕、ずっと待ってます。」



「……ありがとう。じゃあ行くね。」


「あっ、ももちゃん。ももちゃんに渡したいものがあるんです。」


「うん?」


「これ」


私は手の上に載るぐらいのリボンで包んだ小箱を渡しました。


「手紙も入っています。飛行機に乗ったら開けて見て。」



「……ありがとう。さよなら。」


「さよなら……は言いません。いってらっしゃい。」



「……じゃあ、行ってきます!」



主任は私に優しくて、そして切ないキスをしたあと、去って行きました。
私は追いかけたい衝動に駆られましたが、ぐっと堪えました。



                           ※イメージ映像はお借りしたものです。お礼申し上げます。
                          (アドレス:http://www.venatavva.com/free-photo/index.html


私が主任に贈ったもの。

それは「指輪」でした。そして手紙には、赴任から帰ってくるとき、
もしもプロポーズがOKならば、指輪をつけて帰って来て欲しいと書きました。



私は祈りました。主任が再び、煌めく指輪を携えて私のもとに舞い降りてくることを。
でも、今から考えるとすでに気づいていたのかも知れません。


私の「帰って来て下さい」という呼びかけに、
主任が一度も答えなかったこと。


そしてその意味するところを……。

「あっ、ももちゃん。今トイレに行くところ。」