今年、旦那の3回忌が済みました。

まだ2年しか経っていないのに3回忌だなんて、私にはなんだかしっくりいかない。

人はこの世に生まれると0歳から始まるのに、人が逝去した時はその時点で「1」だなんて不思議。

 

逝去した時点で1と数えるが、1年経った時が1周忌。そして2年目は3回忌。

2回忌はどこ行った??と思うけど、 法要の年数は 「数え 」 と呼ばれるもので計算されるからだそうだ。

ふぅ~ん。とも思うけど、1年目は2周忌と呼ばないもんね。

それはそれで意味があるようだけど、ここでは詳しい説明は省かせて頂きます。

 

旦那を奪った病気は前頭洞癌です。

副鼻腔癌の一種だけど、ごく稀な癌のようで、初診から判明するまでにも月日が掛かった。

判明してからも“前例が無い”との事であっちこっちたらい回しにされ、病院も紹介状を出すと言うも、“前例が無い”、“うちでは無理”と、どこの病院も受け入れてくれず、更に月日が流れた。

 

前頭洞癌って、前例が無いと言われるだけあって、当時はネットで検索しても全く情報がHITしなかった。

だから旦那は、どこかで誰かが自分と同じように情報を必死で探している人が居るかもしれない。

だからそんな人の為にも自分の情報をブログで上げていく。と言ってブログを始めました。

 

旦那が最初にブログを上げたのは、

手術を終え、退院してからで、闘病はまだまだこれから。という頃で、沢山の記事は上げていません。

旦那が、同じ病気で情報が無く不安で途方に暮れている方が居て、自分の記事が何か役に立てば。との思いで、ガラにないブログを書くと決めた事なので、今は残された私が記事に上げるのもいいのかな。と思っています。

 

旦那のブログで引き継いで上げる方がいいかなとも思っているんだけど、家族の事として自分のブログで出すのもいいかなぁ?と、今はまだ迷っていますが・・・。

 

でも・・・

上げていく為に、当時の自分の手帳を読み返してみたら・・・

なんかやっぱ・・・苦しくなって、続けられるか自信がなくなった・・・。

 

でもとりあえず・・・少しこちらで上げてみようかな・・・

 

旦那には2014年から様々な異変があったけど、最初に受診したその当時一番気になっていた事が、

 

“涙が沢山出る”

“起床時に目やにが貼り付いて瞼が開かない”

“物が二重に見える”

 

といった症状があったので、最初に受診した病院は眼科でした。

診察結果に病名は何も出ず、ただ目薬を処方された。

涙が沢山出ると言っているのにドライアイ用の目薬だった。

 

ここは話にならないと別の眼科を探し、なんか凄く評判が良さそうな眼科を見付けて受診してみようかと言っていた矢先、

ある日、沢山吐血した。

それまでも痰に血が混ざっていると言っていたけど、その時は大きなレバー状のものが出て、旦那もこれはやっぱりおかしいと言って吐物の写真を撮り、受診時に見せるや否や、Drはこりゃイカンとばかりに即時に紹介状を書き、「今からすぐ行きなさい。」と。

 

紹介されたのは総合病院だったけど、様々な異変の原因も病名も全く判らず、MRIをあっちやこっっちやで撮らされるも診察が全然前に進まず、のらりくらりと「次回の受診は2週間後」などと悠長な事を言われ、そんな時間を掛けてていいのか!?と切迫した重圧に押し潰される思いだった。

 

 今日はひとまずここで一旦おわります。

 

ずぅ~っとだと私の気持ちもまたしんどくなるので、今まで通りの他愛のない今の日常の事やくだらない雑談などを挟みながら、気持ちが向いた時にまたこの続きも進めてみようかなと思います。