双極&逆食アラフォー派遣はダイエット中

双極&逆食アラフォー派遣はダイエット中

双極性障害2型、手帳持ち。クローズで派遣。既婚者女。逆流性食道炎になった。幸せ太りしたので最近はダイエットしている。

双極性障害のさんだるです。

ハイシーズンの旅行は、宿の予約戦争から夕飯難民にならない事前のリサーチ等多岐に渡りますね。移動時間とレストランの混雑時間を避けた予定作りなども。

一人旅行でもかなり事前のリサーチはしていく方で、母を連れていく旅行も多かった事から比較的慣れている方だと思っています。

そんな今年の旅行から見えた課題のお話です。



1. 「夫婦旅行に義父を誘うことにした」


もともとは夫婦で伊豆旅行をする予定だったのですが、

途中から義父も誘うことになりました。

夫が親孝行できること、義父と夫の新しい思い出を作れること、自分も「3人で旅行するのも楽しそう」と思っていたこと

から最初は善意から始まった旅行だった。



2. 「旅行の計画は、いつの間にか全部私の仕事になっていた」


伊豆に詳しいこともあって、自分がホテルを探しました。

観光地を決め、食事の場所を決め、時間配分を考え…

何時に切り上げるかまで考えました。


そんな中、

夫や義父から具体的な提案はほとんど有りませんでした。

「参加者」と「運営者」の違いがここで出てきます

たとえば旅行に参加する人は、今日はここに行くんだ、次はご飯だ、このホテルに泊まるんだ、楽しいな、疲れたな。

というふうに、目の前の旅行を楽しんだり、

自分の状態を考えたりする。


一方、旅行を運営する人は、

次はどこに行く?

ここから何分かかる?何時までに切り上げる?

義父さんは疲れてないかな?この店は3人で入れるかな?

駐車場はあるかな?次の予定に間に合うかな?

最終日はどこまで送る?そろそろ帰らないと遅くなるな

って、旅行全体をずっと頭の中で動かしている。

今回この役は私ですね。


今振り返ると、今回の旅行では「旅行に参加する人」と「旅行を運営する人」が分かれていた。

私は伊豆に詳しいから、ホテルを決め、行く場所を考え、食事をする場所を探し、時間を調整した。義父が疲れていないか、次の予定に間に合うかも考えていた。

夫や義父にとっては「次はここへ行く」という旅行だったけれど、私にとっては「次はどこへ行かせるか」を考える旅行だった。

同じ車に乗り、同じ景色を見ていても、旅行中にしていたことは少し違っていたのだと思う。

だから旅行が終わったとき、私は楽しかったはずなのに、妙に疲れていた。



3. 「旅行自体は楽しかった」


伊豆で過ごした時間は楽しかった。

天気晴朗ナレドモ波高シだったんだけど、海水浴もできて夫も義父も楽しんでくれた。夫も親孝行ができた。

夫と義父で色々体験させたり、

2人きりになる時間をとったりした。

「連れてきてよかった」と思う瞬間もあった

だからこそ、単純な「最悪の旅行だった」という話ではない。楽しかったからこそ、最後に感じた違和感が複雑だった。


4. 「最後に義父の家で、私は家族の外側にいるような気持ちになった」


最終日に義父を自宅まで送り届けた。

伊豆→自宅→義父宅の位置関係にあります。

スタバで飲み物を買ったので私は義父宅に着いたら小休憩がてら「お疲れ様会」をするつもりだったのです。


ところが義父は直ぐに荷解きを始めて、

夫は義父のキャッシュレス決済の携帯の設定を手伝いはじめて、夫の弟も義父宅にやってきたのですよね。(深夜です)

私どすっぴんなんですけれど。


気づけば義父宅で夫家族の時間になっていたのです。

そして、

「私はこの家族の中で、ぽつんと置かれたような気がした」

という感覚でした。



5. 「暑くて気持ち悪いのに、夫に気づいてもらえなかった」


義父宅のエアコンが結構前から壊れていたのですよね。

一緒に電気屋に行って私達が使っているやつの説明をしつつアドバイスもしました。

エアコン…替えられてなかったんですよね。

でも一向にエアコンの話はでないし、扇風機回してるし、私には当たってないんだよね。

Askholeなのかな…?


暑くて気持ち悪くなった為夫にメッセージを何度も送ったのですが通知オフだったらしく気づかず。

名前を呼んで携帯を指さしても気づかなかったんですよね。


夫は弟と話していたりなんかしていました。

夫に家族との時間を持つなと言いたいわけではないのですが、私の存在を忘れないでほしかったですね。

バタバタしてるし夫は離れたところでなんかしてるしテーブルの椅子に座ってるのは私だけ。


部屋が暑すぎて吐きそうだから帰りますとも言えないのでとりあえず外に出ました。この状況に呆れたからもあります。


6. 「夫も疲れていた。でも、その疲れを私に丸投げしてほしくなかった」


外に出たら間をおいて夫もついてきたので、

そのまま帰宅することになりました。

外のほうが義父宅より涼しかったの、本当キツかったわ。


夫は「疲れた」「眠い」「ホテルを探して」と不満を言った。そこは夫の地元なのでホテルなら自分で探して欲しいし、お盆に飛び込みなんて空いてるわけ無いだろ…と思いました。

でも疲れていたなら、もっと早く「帰りたい」と言えばよかったのでは?と思います。

自分も旅行の計画や義父への気遣いで疲れていたんですよね、で、いよいよ我慢できなくなって家を出たんですよね…。


夫も疲れていたことは分かる。

でも、私も疲れていたのですよね。



7. 「私はこんなに頑張ったのに、と思ってしまった」


ここで一度、自分の内側に向き合いました。

私は夫の親孝行のために頑張った、そして義父が喜ぶように考えた。旅行を楽しい思い出にしたかった。

なのに最後は、自分だけが気を遣っているように感じた。


そして、

「これは全部、私の自己満足だったのかな?」

という問いが残った。



8. 「善意に見返りを求めると、苦しくなる」


今回の旅行から考えたこと。

頑張ったから感謝してほしい

これだけやったから気遣ってほしい

親孝行に協力したから喜んでほしい

でも、それを相手に明確にお願いしたわけではない。

だから、

「善意として差し出したものに、自分の中で見返りを設定すると苦しくなる」

と気づいた。


「何も期待するな」という話ではない。

夫婦なら、お互いに配慮することは求めていいと思っている。しかし、それ以外には期待しない方が良いと思った。

お金か、何も期待しない代わりに配慮もしない。

という選択肢もありかなと思った。



9. 「次回以降の旅行は、発想を変えることにした」


来年もきっと一緒に伊豆へ行く予定ではある。

でも次は、

「義父のための旅行に私が参加する」のではなく、「私たち夫婦の旅行に義父が参加する」

という形にしたい。


まず自分たち夫婦が楽しむ。というか私が楽しむ。

自分が行きたい場所を入れる

夫婦二人の時間を確保する

義父との時間は旅行の一部として設定する

義父宅に行ったら何時間も滞在する、

などの「無限延長」はしない

夫にも旅行の役割を持ってもらう←超大切



10. 「私が楽しめる旅行であることも、わがままではない」


今回、

「夫と義父が楽しめればいい」

と考えすぎて、

自分が旅行を楽しむことを後回しにしていた。


でも、

私も旅行の当事者なんだから、

私が楽しいことを考えていい。


夫婦旅行なのだから、夫婦の時間があっていい。


親孝行に付き合うことと、

自分を犠牲にすることは同じではない。



そして、

次は、私が楽しめる旅行にしよう。




おまけ

夫婦でどうしてる?を職場の方に聞いてみました。


Aさん「旅行はね〜言い出しっぺが全て手配する感じでやってるよ、だから今回の〇〇旅行は私が全部やったよ」


Bさん「とても良い事をしたと思うよ、でも自分が辛くないようにするの大切だよ、自分大事に」


等色々な意見を貰いました。

今後の夫婦の旅行は2人で考えていきたいですね。





双極性障害のさんだるです。 

今回は以前書いた実父(両親離婚後私は母についてきました)についてのおはなしです。

こちらを読んでいただくと理解が深まります。




ひろしのその後。

ひろしと夫と三人で食事をする機会が最近増えている。


ひろしは私の兄の子達と会うと、

孫と会える&似顔絵を描いてもらえる。

そしてその手形を持って色々と搾取されている。

甥姪の玩具や服など都度買わされている。

本人はそれでも嬉しいのだろうな。

悠々自適して、偶に孫と会っている。



●最近夫と三人で食事に行くようになった


最初はひろしの家でひろしお手製の料理を食べた。

夫はなんと手ぶらで来た。

(私は義父と会うとき手土産持っていくのに!)

そして堂々とひろしから料理を頂いていた。

ひろしも思う所があったのか、

夫にだけサービスしていたりしていた。


料理を食ってのんべんだらりと過ごす時間を楽しんだ。

何度かそうした時間を過ごした。


ひろしになんか食べたいものはないのかと聞くと、

「ブロンコビリーに行きたい」との事だったので、

ブロンコビリーに行った。

野菜が沢山食べれるのが好きみたいですね。

あと山程パイナップル食べている。

そして会計時サラッと夫が支払いを行い、

私が「コメダ行かん?」と言うと了承し一服する。

会計時奢らされないことに驚いていた。

(普段どの様に扱われているかわかるね)



●ひろしはコメダが大好き



夫がひろしと二人きりの時に聞いたらしいのだが

脂っこい物を食べた後にコーヒーフロートとタバコ。これが良いんだ。

みたいな事を言っていたらしい。


何度か食事をする事で夫とも心が開けてきたようで

夫も二人きりにされても気まずくないと言っていた。


コメダにいくとひろしはある物を食べたがる。

厚切り変更トーストだ。(バターとジャムが好)

ブロンコビリーに行ったあとも、

寿司屋に行ったあとも、

バーミヤンに行ったあとも、

厚切り変更トーストを食べる。


それも一切れとか食べておいて、

後は私達に押し付けるのだ。

最早食後のデザートとなっている。


コーヒーフロートも必ず頼む。

そういえば旅行先等でもひろしはコーヒーフロートを

よく頼んでいた。

アイスが丸いのはちょっと食べにくいから苦手みたいだ。


現役時代恐らくこれで眠さとか疲れを何とかしていたのだろうと伺えるコンボである。

微糖コーヒー&タバコなんてもんじゃないんだろうな。


という訳で、毎回食後にトーストをつきあわされている。

まぁ数少ない我儘なんだからいいか…

そう思って食後にトーストを食べている。


こないだ近くを通りかかった為、夕食に誘った所

「少しくらいなら食べる」

といって一緒にバーミヤンに言ったのに、

「ここまで来たらコメダにいかないと」

と謎の理論を展開してきた。


あぁ、もう何を食べてもコメダ行くんだなと察した。

トーストが本番なので食べ過ぎではいけないと誓った。



●連綿と続くノンデリの血を感じる



祖母はノンデリだった。

私に対して髪が薄いなぁと言ってきたり

(祖母以外に言われたことがない)

中国の工芸茶を上げたらお化けみたいだとか。

至って悪気はないのだ。

元気な頃はよく揚げ物を作ってくれる祖母だった。 


ひろしは夫に慣れてきたのか私達に対して

「二匹の豚」

と言ってくる。大したノンデリである。

私がお手洗いに席を立つと「豚みたいなのが歩いていった」と言うのであった。

良く言えばかなり夫と打ち解けた様だった。


私も夫には夫tntnを馬鹿にして怒られている。

そういうデリケートな部分にへらへらしている。

ひろしの姿をみれば見るたび、

いらんところばっか受け継がれたな…と感じるのだった。



●ひろしの印象


夫からの感想で言えば

掴みどころのないよくわからないおじさん、

変なおじさん。奇人変人の類。何考えてるのかわからない。

と最初は思っていたらしい。


最近の感想としては

コメダ大好きおじさん。

おしゃべり大好きおじさん。

タバコ吸ってチルくなりたいおじさん。


この辺に落ち着いてきたらしい。



●ひろし孝行をしていく


義理の父の話はまだ書いていないが、

お互いに後悔の無いように親孝行をしておこう。

その様な話をしている。


私達は子供がいないが、

居ないなりの大人の親孝行のやり方があるのだ。


毎回忘れるのだが写真を撮って

何時亡くなっても遺影が作れるようにしておきたいものだ。


葬式までにひろしラインスタンプを作って

葬儀で全員に配布するのが目標まである。

親孝行できる時間はそう長くないと分かっているからこそ、悔いのないように動画で記録したりしたいものだ。


個人的には生い立ちから全ての人生談を纏めたいと思っている。意外と親の細かい話って聞く機会ないしなぁ。


ひろしよ、健やかに。



end

双極性障害のさんだるです!

最近はクローズで派遣してます。


4月からの勤務先への愚痴が主です。


●2部署兼務だと思ったら3部署兼務


メインは経理補助なんですが、人事部署とか他にも兼ねてます。経理の部署以外の仕事はTHE雑用、庶務!という感じですね。最初はあっちこっちから仕事がとんできて、いっぱいいっぱいになったら教えてねと面談で言われた私。

沢山やる事がありそうで暇なさそう…と思いました。


●超暇ひますぎて帰る職場


配属初月ってテンパったり引き継ぎ多かったりしますよね。

初月からひますぎて早退する日がありましたガーン

1ヶ月経つと業務習熟度も上がる、仕事も増える、しかし慣れが上回るのか、ひますぎてやはり早退する為日数自体を減らしてもらいました不安


今回は経理の経歴をつけながら、

自分でも簿記を勉強しよう。

体力無いから残業ない職場にしよう。


という感じだったので、まぁいっかぁ…と思いました。

お医者さん的にも週4の方が負担少ないから良いよ…

という言葉もあったので今年は投資だと思って

ゆるゆるとやるぞ〜と偶に勉強しています。


まぁ最初の何ヶ月かは身体を慣らす期間だから、

そう思い働いていました。

やたら夜寝落ちしたので、疲れるんだなぁと思いながら。

最近やっと夜寝落ちしなくなったなと思います。


休みはめっちゃ取りやすい。

何故なら仕事すぐ終わっちゃうから、

繁忙期とかを越せば別に大丈夫。

土日祝ほぼ9-17でほぼ週4とか考えによっては主婦垂涎の内容なのでは…?業務のゆるさといい福祉かと思ったね。



●一応学びもある、一方…


予算関係の資料や入力、数字のチェック、偉い人の会の資料の確認等を通じて事業内容や、問題、どの様な仕組みで動いているのか、また嫌でも財務諸表を見るので見慣れてきた。

ただこれ一般の企業会計ではないので他で活かせる所は少なめです。。。


AI禁止。気軽な疑問がぶつけられないのがかなりショック。

個人情報突っ込むわけではなく、例えばこの場合の科目の解釈は?とか、そもそも●●という言葉とは?みたいなのが聞けない。些細なことを人に聞くのは迷惑だしな…と思い、後で調べたり暇そうにしてる時に聞いています。

こっそりコパイロットだけ窓が出てきた所で使ったりしていますがおそらくOfficeが365じゃなかった筈…。

(リースとそうじゃないのがあるので全員かは知らない)


通帳と帳簿が有ってるかの確認の際に、

会計データを紙で渡される。

…データで下さいよ…。泣くうさぎ

なんか皆よくデータではなく紙を印刷している。

起票漏れも…データを数ヶ月並べれば、

毎月固定費、毎月発注有り金額変動あり、スポット、四半期、2ヶ月に1回…等

わかると思うんですよね…。

と思ったので最近暇な時に、

このデータを作ったりなどしています。

他にも検証用のシートを複数作りました。

もうマニュアルも沢山作ったよ!ムカムカ


●前任者への愚痴


前任者は直雇用と引き換えに部署変更していました。

で、2ヶ月目から既に前任者がやってない範囲の仕事してるんですよね…。そしてそれを含めても週5潰せないんです。

え…逆に何をして時間を潰していたのですか案件です。


無期雇で非常に属人的な仕事を1つ持っていて、

その部署から引き剥がすのに直雇転換しかなかったのかな?と個人的には考えています。年齢的にもう長く無さそうだし…。


その為業務量の設定がかみ合わず、暇です。

仕事は増えると言われましたが、暇です。

暇な時間、勉強させてくれないかな…本当に…。

これ多分無理なので、ノートに書き写したメモを

復習で見るくらいしか無理かなと思っています。


暇なので早退する→お給料減る。なんじゃこりゃ。


●勉強…しなきゃね。


仕訳アプリとかを使いながら簿記3級の復習して、

参考書で工業簿記を見てます。

学生時代と違って記憶力集中力自体は減ったのですが、

理解して覚える力、

何かに結びつけて覚える力が増えた気がします。

製造業にいたので、工業簿記はイメージが掴みやすいかもなぁ、言葉には慣れないけど。


気晴らしに並行して勉強したいのが、乙四ですかね…。

僻地転勤でもガソスタで働けるかなって。

乙四は恐らく選択式の為、過去問ゲーになるので

わからなくても解き続ける事でクリアできる気がします。

(衛生管理者と同じ感じかなと)


年度末までは契約があるので、

ゆるゆると働きたいと思いますにっこり


双極性障害のさんだるです。

世間で痛ましいと報道されている事件に合わせ?

映像化が決まった某漫画に関して、

思う所は大いに有りますが私が思うような事は、

色々な所で議論されていますので、

私が「知的障害者」を認知した経緯を書きたいと思います。

今回は身体、精神の方の話は省いています。


前提として今私は精神障害者であり、おそらく発達も(ASD傾向)ありますが、健常者として、また正社員として就職し10年以上働きました。メンタルをぶっつぶされて症状悪化の後今に至ります。後天的なメンタルではなく、見過ごされる程度のグレー発達からの二次障害としての精神疾患と今は理解しています。



●学生の頃

障害者の世界とは無縁でした。

でもクラスのなかで●●ちゃんのお世話係というものがあり、お手伝いが必要になる存在がいること。また「五体不満足」が当時かなり出回った時期だったので、身体の不自由な人がいるんだなぁ。という感じ。


大学生時代も特に障害者に関する何かに関わった記憶がありません。ネットスラングで知的障害者の事を悪い意味で池沼と呼ぶ事は知っていました。



●社会人になって

労務の仕事には勿論採用や雇用率管理もありますので、そういった点から知りました。

キーワードを出すとすれば「障害者雇用率」「点数」「愛の手帳」「B2」「軽度」「養護学校」「実習」「グループホーム」あたりでしょうか。

自部署で清掃要員として主に知的障害者を雇用していた事から、前任の方が退職される際に障害者管理関係は私に引き継がれました。(ここからは他部署も含む)


途中会社は重度の方を契約終了にする事になりました。

理由は「仕事をしていないから」「他の従業員からの賃金的な不満」からでした。生産性…に近い考えですね。

あんなに暇そうにしていてぼーっとしているのに、

近い賃金を貰っている事が許せない的な意見からでした。

結局軽度の方を1人残す形で終わりました。


これは別の見方もあって、清掃は軽度の方1人でほぼ済んでいるので、重度の方を遊ばせていても問題ないから、

何故なら重度の人は「2点」であるからでした。

同じ時給を払っても軽度の方2人分の点数になるからです。

雇った当時はこういった経緯だったのではないかなと思いました。(これは当時のペースメーカーの方と同じ様な感じですね)


●知的障害の清掃の方とコミュニケーションをとる


知的と自閉のある方でしたが、地域の有名養護学校出身であり、実習にも来ておりそれが縁で来られた方でした。

有名養護学校出身で障害者雇用って療育界のエリートなのだと知りました。学校を見学した上司があまりの厳しさにドン引きしていました。


さて、引き継ぎに伴い何にどの程度時間がかかるのか、

自分がやった際にどの程度時間がかかるのか等を知る為、

今まであまり接していなかった清掃の方と対話しました。

ここからはAさんとします。


Aさんに大きくどんなスケジュールで清掃をしているのかを聞き、区切った作業が終わったら報告に来てもらうというものでした。また見学?出来る時はどんな様子で作業をしているのかを見ました。


厚生棟の机の椅子を上げる作業があります。

掃除機をかけた後、また椅子を下ろすわけなので、

上げた椅子は適当に上げておけばよいと思ったのですが、

Aさんは上げた椅子をキッチリと定位置、机を挟んだ逆側の椅子と場所が合うように綺麗に置いていました。

Aさんに上げた椅子は綺麗に配置しなくて良いと

お話しましたがその後もAさんはキッチリ定位置に置きました。これが発達の方の「こだわり」だと調べて分かりました。その後はこだわりに関して何か言うのはモチベ低下になると思い助言はしませんでした。


その他にも色々とあるのですが、時に同じ作業を一緒にやり、逆に教えてもらい、来客予定等を共有したりなどして、やっと打ち解けてきた頃に、厚生棟清掃が従業員の休憩時間開始に間に合わずストレスとなっている曜日がある事があり、またそこで差別的な扱い、言動を受けている事が分かりました。(ほんの一部の方からの心無い発言です)

Aさんと相談して出勤時間を30分程早めたりなどしました。


Aさんは吃音気味でしたので、オープンな事務所の様な場所ではなくて別室で話す?等と提案するとゆっくりながら相談をしてくれる事もありました。

当時は配慮事項、合理的配慮、という概念があまりなかった気がします。

●●が苦手、●●が得意。くらい。

また採用後その方の特性が分かる書類が無い。。。

引き継がれてない…

大変申し訳ないのですが私も体当たりでした。


集合型の職場とそれ以外がありますが、

そこは集合型ではありませんでした。

それ故か融通がかなり効く職場でした。


今は配慮事項(無理、苦手)というものが比較的オープンになりましたが、ここを自己理解出来ているかは健常者、非健常者共にとても重要ですね。



●障害者面接会に行った


雇用率が足りていないという事で、ハロワ主催の面接会に面接側で出た事があります。銀行とかはもう凄い列、それも車いすの方が多かった印象でした。

清掃の方はというとめちゃくちゃ人気無かったです。

(今6時間×5日の厚生棟清掃トイレ掃除無しって人気どうなんだろう…)

途中重度の方が面接に来られましたが、

質問に答えられず親御さんが答えていました。

意思疎通が難しいとなると採用は難しかったのですが、

親御さんはとにかく働いて欲しい様子でした。


今になって思うのですが支援のゴールが、

就職となっているのはどうなんだろうと感じます。


そうか、軽度と重度とはこれ程の差があるのだ。

(もっというとB2にもかなり幅がある)

という事がわかりました。

ほぼそれまで意思疎通の可能な知的障害者としか

会っていなかったのだとわかりました。


●有名養護学校出身の意味


これはつまり本人の努力も必要ですが、

早い時期からの療育、支援、からの二次障害が薄い、

軽度の子という足切りが存在している?のかなと思いました。

毎日学校に通うことが出来るというだけで、

排除される方は多く居ますよね。


実習をよく受け入れて居たのですが、

二次障害が重いタイプの方は、

実習に数日来るのも厳しい印象でした。


なので養護学校出身障害者雇用は

めちゃくちゃエリートなのですよね…。


という事は、私たちが日常で出会う方は

健常者の基準でかなり選りすぐられた

存在であると思います。

ただし、出会わない方に関しては、重度であり、

一般社会と切り離されている。


必ずしも切り離されないほうが良いのか?

それはケースバイケースですよね。


私はそういった方も適切に支援され、福祉に繋がり、生きていける社会であれば良いなと思っています。


おわりに


今回は知的障害者に絞りましたが

これ以上障害を理由に、また健常者の閾値からはみ出た方を差別的に扱われる事の無いように願うばかりです。


いつ障害者になるかわかりませんよ、

私のように。


おわり


双極性障害のさんだるです。


私、母、従姉妹は同じピアノの先生に習っておりました。

ピアノの先生でしたが、個人的にはそれ以上の存在でした。

人生で愚痴を聞いてくれる存在や色々と教えてくれる方は意外と少ないもの。ピアノをやめた時に今自分は若く常に教わる立場だがそうした方はこれから減るのだなと感じました。


今回は私とピアノ、先生についてです。


●幼稚園の頃、ヤマハに通う


昔の家にはどでかいエレクトーン、アプライトピアノがあった。ピアノは祖父がなんか真っ黒のピアノは重苦しい?との理由で真っ黒ではないピアノだった。


幼稚園の頃体験教室みたいなのに連れて行かれた。

母からピアノやりたい?と言われた私は、圧というか母の意思を感じ「うん(???)」と答え、ピアノを習うことになった。これに限らず、エアロビクス→新体操、水泳、習字、テニスと何かと習わされた。習い事を何故させたかったんだろうな…ピアノは自主練が必要なので意外と時間を食う。ほっといてもいい時間が欲しかったのだろうか。塾にでも突っ込んでいてくれればと思ったがチャレンジは契約していた。殆どやらなかったけど。


水泳は学校でも海でも役に立つし、毎年海に行っていたから泳げない一族は居ないからマストだったのかな…。

習字は集中力という意味では役にたったかも。一応段持ちで条幅が一番得意だったはず、硬筆は糞。

テニス?新体操?役にたちませんね…笑


ヤマハの集団教室に通った。

覚えているのは教科書の前から順にやっていって、各人テストがある。たまに集団で1つの曲を弾く発表会とか有った。惑星とかのどれかの曲を弾いたかな。

ただ、なんというか、あんまり興味が持てなかった。

曲の好き嫌いが激しい子だった。

あとあるあるだと思うけど、まず曲より先に指の練習をやるよね…。超絶嫌いだった。ポコ・ア・ポコとかツェルニー、ハノン…。


母はバッハ、ベートーヴェンというどちらかといえば古典派よりの曲が好きだった印象(でもショパンも弾いてたな)、私はショパン、ドビュッシー、ラヴェル、リストとかどちらかというとロマン派近代よりの曲が好きだった。

因みに母は幼稚園の先生とヤマハのエレクトーンの先生?何方も経験が有ったはず…。


ヤダヤダしていた私を見て母は、個人レッスンをするか?と言った。成り行きで個人レッスンに同時並行した後に完全に個人レッスンへと切り替わった。



●個人レッスンに切り替わった後


個人レッスンでは色んな目的で来ている人がいた。大人になって習いたい人とか、音大目指してる人とか、保育士?幼稚園の先生?になるのにピアノ弾けないといけないとか?


何の目的もなく20歳まで続けてたって意外と珍しいかもしれない。これは途中からピアノを弾けるようになる為というより、先生に会いに行くのが目的になってた気がする。


因みに離婚後母子家庭になった後に続けた唯一の習い事がピアノだった。


先生は私の曲の趣味がなんとなくわかったのかもしれない。好きそうな曲とツェルニーとかを並行してやっていた。

20歳までやったんならさぞ上手いんだろうと思われるかもしれ無いが、気に入った曲は乗っ取られたように弾くが即鍵が一切出来ない無能です。←これは長くやってる人なら出来るので本当に呆れられるかもしれない。


その代わり耳からコピるのは比較的得意で、

中学生の頃はMIDIで好きな曲を作るのが趣味の一つでした。


先生は何人かの同世代の生徒を集めて楽典を時間外に教えてくれていたが、あまりにも私達が不真面目なので途中で辞めていた笑



●ピアノの先生との距離感について


小学生から大学生まで一緒に過ごす人は意外と少なくないか?人間関係としてかなり長い方だと思うのね。

私のレッスンの時間を後ろ倒しにして、私が最後のレッスンの生徒になる様に途中からしてくれたんだよね。

多分私の私語がめっちゃ多かったんだと思います…。


多感な時期に色々と愚痴を言ったり、相談に乗ってもらったり、趣味の話をしたり、本を貰ったり。あとケーキ屋でケーキ買ってもらってレッスン後に2人で食べていた。

とても可愛がって貰っていたなぁと、

思い返すと本当にそう感じる。


ちょっと典型的な先生と生徒、

という関係ではなかった気がする。


先生もお年を召して、目を悪くしたのもあって(だっけ?)沖縄の甥っ子の所に引っ越すので先生をやめると言われて、残念だったけれど確かに大学生結構多忙だし仕方なし、とこれを期にピアノをやめることにした。


会の方には他の先生が引き継ぎますよと打診されたが他の先生に教わる気が全くおきなかった。その時あ〜ピアノが嫌いという訳ではないしピアノ大好きだけど、ここに私は先生に会うために通っていたんだなぁ〜と思いましたね。


仲が良い姪っ子と伯母さんの関係…みたいなのかな?いや、ちょっと違うね、心の拠り所であり居場所みたいなものにもなってたんだろうね。


●辞めてから会った


私が29歳の時、丁度30歳になる前に432しようと思っていた時期ですね。先生は年賀状をよく出してくれていたが、あまりにも私が筆まめでない為返していないことも有りました…。


3年位前から終活をしており、432する気であった私は母を旅行に連れて行ったり、自分だけでも旅行に行ったり、新しい服を買わなくなったりと色々としていた。最後に先生に会いたいなと思って年賀状に電話番号をのせたら連絡くれたのね。そこから2週間位で即沖縄に行きました。1月で雨の日もあったけど沖縄って雨の日でも海が青いんだなぁと思いましたね。


無事読谷に住む先生に会い、国際通りの海鮮買ってもらったり、美ら海水族館に行ったりしました。

確か夜光貝?を買ってもらったのかな…。





先生やっぱり沖縄だからオリオンビール飲むの?と聞いた所あれは甘いからわざわざアサヒを取り寄せてるよと言っていた。赤ワインの方が好きだわ〜みたいなことも言っていた。


ただ沖縄グルメとか沖縄文化に関してはちんぷんかんぷんで何年も住んでるのに其の辺は興味ないのだなぁと思いました。


この頃が確か80代位だったんじゃないかな(わからん!)

自立してめっちゃ歩くやん…元気やな…と思いました。

沖縄の人は歩かないから歩けなくなっちゃうみたいなんだよね、みたいな事を言っていた気がする。

首里城行った時はマンゴーハイビスカスソフトを食べていました。


お別れの際はそれこそ自分がこの年に432すると思っていたので泣きました。この頃まだ母は生きていたので先生にお菓子持っていって、と大量の菓子を持たされたな…

という所で思い出したんだけど、私が初めて一人で旅行した高校生の頃、一人で旅行すると行ったらなんかケーキ屋で菓子詰め買ってくれたんだよな…。(この旅行には別に記事があります)


●その後


母が亡くなった年はこの年でした。

兄が年賀状をもとに母の逝去をハガキで送り、

それは先生にも届いておりました。

私のことを心配するお手紙を送ってくれたなと覚えています。その頃はちょっと返信できなかったのですが、その後確か随分経ってから手紙を送りました。そこから返信が無く、またラインを登録していたのにメッセージのやり取りが出来なくなった事、2022年のメッセージに既読はついていたものの返信が無いこと。電話に出ない事。年賀状が来ないこと。


この事から悲しい事ですが、

お年もお年であったし…、糖尿病であったし…。

……………。

住所はわかりますが、

お手紙をお送りする勇気がないのです。

安否を確認する事も怖くて出来ず…。

ご連絡が取れればご報告したい事は山程ありますが…。

ご親族の方に気を遣わせてしまうのも申し訳無いしなと。



●会えるうちにお世話になった方へご連絡すべき


過去お世話になった方と最近やりとりをする事が偶にあります。また夫の親族や離婚した父ともよくやりとりをします。このようなことをし始めたのは最近の事です。

自分の事で精一杯で出来なかったんですよね。


もう一度沖縄に行って顔を見たいなと、

思った次第です。




沖縄の読谷付近で体調をお崩しの方は

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