書きたくないが、書かねばならぬ。
アニメーターにして、軍用車両研究家の大塚康生さんが亡くなってしまった。
享年89。
1931年(昭和6年)7月の生まれだから、筆者の父母の世代である。
個人的な話をする。
この人の名前を、明確に認識したのは、1974年頃。
中学生の頃である。
当時の「ホビージャパン」という模型雑誌を毎月購入する中で、以前発行されていた分(バックナンバーという言い方をここで初めて知った)を探して回ったのである。
近所の大きめな模型屋等で、1972-3年頃の買っていなかった「ホビージャパン」を見つけては買って読んでいたのだ。
この雑誌に、興味深い連載が載っていた。
「これからが出番!」「Jeep!Jeep!Jeep!」という題名の連載記事は、当時ほとんど知られていなかった軍用車両、それも、戦車とか装甲車と言った有名どころではなく、アメリカ軍のジープやCCKW353と言った6輪軍用トラック、カナディアンミリタリーパターンと言ったカナダ軍のトラック等の記事が載っていたのである(ほぼ半世紀昔なのに、直ぐ専門用語が出てくる。三つ子の魂なんとやら、である)。
今考えて見ても、決して有名どころではない、それどころかとんでもなくマイナーな車両群なのだが、筆者の宿痾となってしまった軍用車両好きも、この軍用車両研究家の影響によるのである。
この頃、年に二回、浅草と静岡でプラモデルの見本市が行われていた。
この雑誌には、その記事が載っていた。
執筆陣のこの研究家は、本職はアニメーターとのことで、友人のアニメーターと見本市に来ていた写真が載っていた。
(この友人は、宮崎駿だったと思う。)
この研究家が、筆者の大好きな東映動画にいたことをその時期に知った。
筆者が大好きなテレビアニメ「ハッスルパンチ」や「太陽の王子ホルス」と言った長編漫画映画を作っていたことも知ったのである。
つまり、中学になって軍用車両に取りつかれる要因は、その何年も前に、自宅のテレビや東映の映画館から発信されていたのである。
18歳の頃か、そうそう、大学入試の2月である。
何日か後に、大学入試の日が迫っているのに、大泉にある東映動画の本社で「ハッスルパンチ」の上映会があるということで、わざわざ見に行ったのだ。
30分物を4本続けてみたのだが、「作画監督 大塚康生」と書かれた回では、ガリガリ博士、ブラック、ヌーの乗るオープンのクラシックカーの幌は、きちんと留め金まで書かれていたのである。
当時の東映動画のスタッフの田宮武さんはタミヤ模型の社長のご兄弟だったそうで、その関係で模型作りも支援したとか。
SdKfz251から飛び降りるドイツ兵の動きを見て「うーん、2コマ遅い。」と言った話も、有名である。
ああ、思い出を書き綴ると、明日の夜まで終わらないので、このあたりで切り上げる。
後、一つだけ。
十年以上前か。
自作模型等の即売会である「ワンダーフェスティバル」の会場で、大塚康生さんとボックスアートの高荷義之さんが一緒に並んで座っていた。
お二人とも、もうご満悦、我が意を得たりという感じですごくうれしそうだった。
だってそうでしょ、そりゃそうだもの。
自分たちが若い頃に面白い、楽しい、興味深い、と思って書き続け、作り続け、表現し続けてきた作品群に影響を受けた自分の子ども、孫の世代が、自分の作品をもとにした世界をどんどん拡大・拡張し続けている状態を目の前で幕張メッセいっぱいに見られたのだから、これは嬉しいはずである。
ただ、今はぽっかりと穴が開いた気分。
昭和30年代生まれの精神構造に大変に大きな影響、それも二重にも三重にも与えた人なのだから、この空虚感は仕方がないのである。
大塚康生さんのご冥福を心よりお祈りいたします。