東京回想、映画の撮影所である。
次は、中央映画撮影所である。

【名称】
中央映画撮影所

【別名】
調布映画撮影所

【所在地】
調布市多摩川1丁目8番地

【設置場所(元存在していた施設)】
昭和鍛工会社

【運営主体】
中央映画株式会社 → 中村工業

【関連する人物】
伊藤武郎

【設置年月】
1953年11月12日

【活動停止年月】
1959年末頃

【廃止理由】
独立プロによる映画製作運動の衰退

【跡地】
西調布公務員住宅

【簡易な歴史】
東京周辺でだいたい29番目前後に設置された映画の撮影所・中央映画撮影所の話である。

ここでもまた、簡単に歴史を語らざるを得ない。
正式な歴史は、由緒正しきサイトを確認されたし。
こちらは概略、おおよそWikiの抜き書きである。

1953年 国際テレビがテレビ映画用のスタジオ建設を進めたが、撮影機材などを導入前で頓挫。

1953年11月12日 映画プロデューサー伊藤武郎が、照明などの機材を導入し撮影所を開設。
中央映画の作品とともに、レンタルスタジオとして独立プロの映画作品を生み出した。
施設は第1、第2スタジオ(各150坪)を開設。

1954年5月 第3スタジオ(180坪)を建設。
その他、ダビングルーム、大道具工房、控室、オープンセット用地(3カ所、各600坪規模)を増設。

1950年代中頃から独立プロによる映画製作運動が衰退。

1956年5月 不動産を所有していた中島工業が管理し、調布映画撮影所と改称。
1959年末頃まで レンタルスタジオとして運用された。
その後、富国生命に用地は売却された模様。

【コメント】
その昔、「独立プロダクション」というジャンルがあった。

時代ごとにいろいろと定義はあるが、1950年代の独立プロと言えば、具体的には、レッドパージ(おおよそ東宝争議)で映画会社を追い出されてしまった左翼系の映画人たちが、自らの資本で自分たちの映画を作ったプロダクションと言ったらいいか。

当然、松竹、東宝、大映、東映、新東宝、日活の撮影所では、映画は撮れない。

そこで、日本映画演劇労働組合の初代委員長として東宝争議を指揮した映画プロデューサー・伊藤武郎が、中央映画株式会社を設立。

調布の西側、今の東宝調布テニスクラブの北側にあった元軍需工場の施設に、撮影所を作ったのである。

この撮影所で撮影された映画は、「ここに泉あり」(1955年)、今井正監督「真昼の暗黒」(1956年)あたりが有名。
レンタルスタジオとしても使用されていたとのことである。

もともとは戦車のキャタピラを作る工場だったそうで、その後、1959年頃には、機能停止。
1961年頃の航空写真ではもう建物はなくなり跡地ばかりが写っているのである。

現在この地は、西調布の公務員住宅になっている。