マンガ概論である。
今日は、大それたことに松本零士と石ノ森章太郎について語る。
実はこのお二人、まったく同じ生年月日である。
同じ時期に少年期を迎え、手塚治虫の洗礼を受けて、漫画家になり、その後の日本に多大な影響を与えた偉大なお二人なのである。
今回は、お二人の描く「父性」について、語ってみたい。
なお、手元に資料もなく適当な記憶を元にして書いているので、誤りや間違いがあったらご容赦賜りたい。
最初は、石森先生の描く「父性」。
「サイボーグ009」にしても、「仮面ライダー」にしても、主人公の少年は、自らの生き方を妨げる者によって、大きく人生を変えられる。
どちらも、ブラックゴーストやショッカーと言う巨大な悪の組織により、肉体まで物理的に改造されてしまうのである。
しかし、主人公は巨大な組織に負けることなく、彼らと戦い、倒していき、ゆがめられようとした自らの人生を元へ戻していく。
石森先生のお父さんは、確か、彼が漫画家になることに対し、徹底的に反対していたと書かれていたように記憶している(味方をしてくれていたお姉さんだったそうな)。
そのあたりを照らし合わせていくと、こんな構図が成り立つか。
主人公=成長する少年
主人公を服従させようとする巨大組織=少年の成長を阻害する「父性」
つまり、石森先生の描く父性は「父と息子が真正面からぶつかる葛藤」を中心にしていそうである。
次に、松本先生の描く「父性」。
ちょっと適切な例が直ぐに出てこないけれど、「ダンガードA」が適当かな。
こちらも少年が主人公。
でも、この少年の場合、敵により拉致され、改造されて戻ってきた「父」と想定される人物に、さまざまなことを学ぶ。
松本先生のお父さんは、旧陸軍の技術将校で戦闘機乗り。
自分の夢を実現させようと努力する息子に対し、阻害することなく、自分の生き方を通して、人としての生き方を示していた方ある。
こちらを図式化するとこうなりそうだ。
主人公=成長する少年
主人公の生き方に対し道しるべを示す年長の男性=少年の成長を阻害しない「父性」
こちらの「父性」は、生き方が自分の思った通りでなかったとしても、子どもの意思を尊重し、自分の思いを押し付けず、少なくとも阻害しない姿勢を持っている。
そう考えると、「ハーロック」もそうだよね。
この二人の先生の描く「父性」は、どちらもあの時代にあったもの。
石森先生の「父性」の方が、当時ごく普通にあったもので、圧倒的多数。
松本先生の「父性」は、まだまだ一般的ではないけれど、少しずつ求められつつあった姿。
それゆえ、1960年代のうちに石森先生の人気が出て、松本先生の方が1970年代後半を待つしかなかったというのも何となくうなずける。
さて、石森先生も亡くなり、お二人のお父さんも泉下に行かれた後、この二つの「父性」が私たちに大きな影響を与えて下さったのは事実である。
そう、果たして、その次の世代にあたる今の「おじさん」たちは、マンガや小説や映画の中で、どんな「父性」を次の世代に提示しているのだろうか。
そのあたりを考えると、ちょっとさみしくなってしまうが、これは仕方がない。
まずは、石森先生、松本先生の著作をおさらいすることで、何かが見つかるかもしれないのである。
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