昭和20~30年代の映画に、「母もの」というジャンルがあったそうな。


一般的には大映映画が撮った三益愛子先生主演の作品群のことを指すらしい。


実は、このシリーズ、筆者は大変に否定的なイメージで聞いた覚えがある。


少年の頃に読んだ漫画家たちが、この「母もの」に苦労させられた話ばかりを聞いていたからだ。


事例1.

赤塚先生や石森先生が、昭和30年代にマンガを描いていた時のこと。

当時の少女漫画の編集者から「いいから、「母もの」のようなマンガを書いて」と言われて閉口したらしい。

ギャグ志向の赤塚先生、SF志向の石森先生にしてみたら、全く資質の違うもの。

それでも、このパターンに沿って、「母と別れた少女が艱難辛苦の末に生き別れの母と再会する」作品をかなり作ったとか。


事例2.

ちばてつや先生、同じく編集者から「母ものを」と言われて閉口。

ここに描かれる少女たちは、「悲惨な運命を唯々諾々と受け入れひたすら耐える」キャラクター。

ちば先生にとっては、書きたくないキャラだったそうな。

それゆえ、依頼された作品に、「明るくて元気で運命なぞ自分で切り開いていく」正反対の性格の女の子(「ハリスの旋風」の「おチャラ」だね)を描いて載せたら、思った通り読者に大受けしたとか。


事例3.

大昔に読んだ松本零士先生の「トラジマのミーめ」と言う単行本の中に、やはり「ただ泣かせる話」になっている作品が何本か入っていた。

作風からすると、ちょっと昔の作品。

これなんかも、ひょっとして、「母もの」系が望まれたせいかと邪推している。


そう、1960年代生まれのマンガファンにとり「母もの」映画とは、この時の先生方のお言葉で「古臭くて、定型的で、型にはまって、読んでてもしようがない臭い芝居の作品」というイメージができていたのである。


しかし、それは間違いであることに気が付いた。


何年か前、日本映画専門チャンネルで、三益愛子先生の「母もの映画」を全編流してくれたのである。


筆者は、仕事があったため、何本かしか見られなかったのではあるが、見てみたらこれが、面白い。


ストーリーはだいたいこんな感じ。

止むにやまれぬ事情で娘と別れざるを得なかった母親が(たいていの場合、「昭和十二年」というスーパーが冒頭に入る)、十数年後、再び娘と会うことになる。

それも、母と名乗ることのできない立場となり、ひたすら見守るばかりなのだが、娘に重大な危機が迫り、母がその窮地を救うこととなり、最後には、母と名乗ることができて、大団円と言う一幕である。


ほぼ全編見た妻によると、裁判劇あり、サーカス団の話もあり、ないジャンルはSFだけだったというバラエティに富んだもの。


決して、つまらないものではなかったのである。


たぶん、これは「太宰治嫌い」と同じもの。

太宰治の作品自体は、サービス精神旺盛で面白いのだが、その取り巻きの太宰ファンや狂信的な太宰信者の太宰作品を崇めたてる仕草が嫌になり、本体にも距離を置いてしまうというパターンである。


たぶん、「母もの」にひたすら涙する女性たちの姿に、クリエーターたちは辟易していたのではないか。

それゆえ、当時の漫画家たちは「母もの」自体より、「母もの」ファンに並行していたのだと邪推する。


まあ、新しい文化を想像する場合、それまでの「旧派」は、否定されることが多い。

例えば近代日本文学の場合。

正岡子規の俳句が出て以降、それ以前の俳句は「古くて打破されるべきもの」という評価になっている。

同様に、新しい文化が出ると、それ以前のものは、忘れ去られることが多い。


でも、安易に捨て去るのは、文化への冒涜であるし、ちょっともったいない。


言うならば、この「母もの映画」、現代マンガの先駆者たちに新しい世界を切り開かせた「揺籃」だった、と考える方がいい。


出典や原点を辿らないと、文化は根無し草になり、単なる消費財になってしまうのだ。


この「母もの」も、赤塚先生や石森先生、ちば先生や松本先生のスタートラインになった作品として見直すと、意外な発見がありそうである。



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