電話BOXにその足跡が・・・ | 復活 裏六甲の謎のオサーン 教祖(@兵庫県産)でっす!

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何にでも切り込んで一杯書いていきます。めざせしょこたん超え!

ああ

よう寝た。(~0~)


これであと2日

ガンバルンバ♪


全国の皆様

こんばんは~

教祖でっす(・ω・)/


(∩´∀`@)⊃お願いしまーす ペコリ


さーて

ごくごく一部で話題沸騰中?の

伝説の尼崎物語シリーズ。


今夜は

1975年頃のお話でっすv(^-^)v

あ、

偽パトラッシュに

噛まれる2年位前です(笑)


当時、教祖は尼崎の武庫之荘って

ところに住んでいました。


阪急電車の武庫之荘駅から

歩いて15分位の幹線道路沿いの場所でした。


家はいわゆる

戦災復興住宅で、4軒連なった長屋タイプ。

1946年~47年頃建てられ築28年程度でしたが

安普請なため老朽化が激しく、子供ゴコロに


うちって貧乏なんかな?(ノ_・。)


って思てました。


なんせ

・破れた天井からネズミが出てくる

・木でできた浴槽は古く木がモロモロになって

溶けてきよった。

・便所はいわずもがな・・・・・・・BTBです(笑)

・小庭にゴキブリの大群ぐぁ(>_<)


てな劣悪な環境でした。


この頃の自分の写真を見ると

何故か表情が曇ってます(たまたまかも。ふふo(^-^)o)


でも当時の尼って

それが標準?やったみたいです。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ある日

その長屋群の中でもウチの真ん前に

公衆電話BOXが設置されることになりました。


当時まだまだ100%とは言えんかった

長屋の電話の普及率。


しかも当時最新の

プッシュホンじゃあ~りませんか!


それはもう

興味津々でした(≧▽≦)


やがて、工事が始まり

幼稚園から帰ってくるとその様子を眺めてました。


工事が進み、電話機本体が設置された日の夜、

近くで花火かなんかやってて、その隙に公衆電話BOXの

中に入ってみたくなりました。


ドアはすんなり開いて

中に入れましたが、足下が、


グニュッ メリメリグチャグチャ$&%#&


いうて、おもいくそ

めり込みよったんです(^^ゞ

コンクリ塗ったばっかりで固まってなかったんですな。


うぁ、えらいこっちゃ!!


ここで脱出すんのにHELPを頼むと、

バレて明日工事のオッサンに怒られてまう・・・・


そこまで悪知恵の発達していた教祖少年。


自力で脱出しましたv(^-^)v

が、しかし


靴はコンクリまみれになってて、このまま帰って

オカンに見つかったら、オカンにも工事のオッサンにも

怒られてまう(>_<)っと思て


しれっと公共水道で洗い流して

何くわぬ顔して帰りました。


数日後、電話ボックスは

完成しました。


早速、その中へ入ってみると・・・


未来永劫残る教祖の足型ぐぁ


ハッキリクッキリ東芝さん♪懐かしい三枝師匠のTVのCM

で残っとるじゃあ~りませんか。


何も偉いことはしてへんのに

後世にその名・・・いやその足跡を残せるなんて(●´ω`●)ゞ


その後

大人になり、出張で近くまで行く機会があって

帰りに住んでた長屋へ寄ってみました。


が、さすがに住んでた当時でもボロボロの長屋。

跡形もなく高層住宅に建て替えられてました(^^ゞ


もちろん

公衆電話BOXのあった場所は

どこかもわからん状況に変化してました。


わ、ワシの足型は

永遠に後世に語り継がれるもんぢゃなかったんかぁ・・・・


などと勘違いも甚だしく

その場を後にしたのでした。


ちゃんちゃん♪



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