1995年のドラフト会議では、当初中日ドラゴンズは福留孝介を1位指名し、荒木はドラフト4位で指名する方針だった。しかし、福留に続き外れ1位の原俊介までも抽選で外してしまい、監督の星野仙一は「もう勝手にせえ」と憤慨し、外れ外れ1位で荒木が指名され、入団するに至った。
1996年(1年目)「身体能力は一級品だが野球の技術がない」と評価されており、2年目の1997年にはドーム野球の申し子として外野の守備固め・代走で一軍63試合に出場したが、定着とはならなかった。
2001年は課題だった打撃が急成長し、夏場からは1番打者に定着。規定打席には届かなかったものの、3割を大きく超える打率を残して一躍期待の若手として注目される。
2002年からは一年間を通してレギュラーとして出場し続け、2年続けて規定打席に到達した。
2004年39盗塁、日本プロ野球記録となる9度の1試合4安打以上を記録し、守備でも井端弘和との二遊間コンビ「アライバコンビ」が落合監督から「井端との二遊間コンビは12球団一、二塁手単独ならメジャーの超トップクラス」と高く評され、自身初のタイトルとなるベストナイン・ゴールデングラブ賞を受賞した。
2005年もリードオフマンとして活躍し、自己最多となる181安打、42盗塁を記録した。
2006年は初となる打率3割を記録した。3年連続のベストナインも受賞している。
2007年は盗塁王を獲得したものの打撃不振が響き、チームが日本一となったにもかかわらず減俸となった。
2008年は史上250人目となる1000本安打(1075試合目)を達成。この間毎年ゴールデングラブ賞を受賞し続けており、守備面は変わらず安定していた。この年のオールスターゲーム第2戦ではMVPを獲得している。シーズンオフには新たに5年契約を結んだ。
2009年打率.270に対して、得点圏打率は.343と、チャンスの場面での勝負強さを見せ付けた。
2010年は打率.294でシーズンを終えた。盗塁数20。
2011年は打率.263、通算300盗塁を達成。
2014年は史上17人目となる通算350盗塁を達成した。
2016年球団新記録の370盗塁を達成した。
2017年史上48人目の2000本安打を達成した。
2018年引退を表明した。