かもめのヨハナ☆バラの花冠(*'ω'*)☆彡 -2ページ目

かもめのヨハナ☆バラの花冠(*'ω'*)☆彡

~マリアを通してマリアの内にそしてマリアと共に~
マリア様をこよなく愛するカトリック信者の自己満足のブログです。

神のはしため ルイザ・ピッカレータ

神のみ旨の小さな娘 

  

第8巻より 

 

 

1908年8月19日

魂は全身全霊で善を蒔かなければならない。

 

善を蒔く者は善を刈り取り、悪を蒔く者は悪を刈り取るという事実について考えた後、私は自分の立場、惨めさ、無能さを鑑みて、自分がどんな善を蒔くことができるか考えていました。その瞬間、私は自分が刈り取られるのを感じ、主が私の内部でこう言うのを聞きました。

 

「魂はそのすべてを使って、全身全霊で善を蒔かなければなりません。魂は精神的な知性を持っており、善だけを考え、悪い種が魂の心に入り込むのを決して許さないように、神を理解するためにその知性を働かせなければなりません。そしてこれが心に善を蒔くことなのです。口も同じです。魂は決して悪い種、つまりクリスチャンにふさわしくない悪い言葉を蒔いてはなりません。常に聖なる言葉、有益で良き言葉を口にしてください。つまり、口を使って善を蒔くのです。そのとき、魂は心で神だけを愛し、神を望み、神のために鼓動し、神のために尽くさなければなりません。これが心で善を蒔くことです。そして、その手で聖なる行いを行ない、その足で主の模範に倣って歩まねばなりません。そしてここにもまた善い種があります。」

 

それを聞いて私は心の中で思いました。「だから、私の立場でも、私の極度の惨めさもかかわらず、善を蒔くことができる。」しかし、私はこのことを、主人が私に尋ねるであろう説明、つまり私が上手く種を蒔いたかどうかということについて、ある種の恐怖を感じながらこれを考えました。そして私の心の中で、主が繰り返されるのが聞こえました。

 

「私の善良さはあまりにも大きいので、私を厳しく、非常に厳しく、厳格であると知らせる者たちは、大きな過ちを犯すことになります。ああ、彼らは私の愛に対して何という侮辱を与えていることか!私は彼らに与えられたわずかな畑のこと以外、何の説明も求めません。そして私は彼らに収穫の実りを与えるだけで、何の勘定も求めません。私はそれを知性に与えます。なぜなら、人生で私を理解すればするほど、天でも私をより理解するからです。そして私を理解すればするほど、より大きな喜びと幸福に満たされるようになります。私は口に様々な神聖な味の収穫を与え、その声は他のすべての祝福された人々の上にハーモニーを奏でるでしょう。私は私の賜物の収穫をその働きに与えましょう。そして他のすべての人々も同様に。」

 

 

 

FIAT!!

 

 

キラキラみなさんに神様の祝福がありますようにキラキラ

 

 

 

 

■ ヨハナのひとりごと ■

 

全然、善を蒔いていないわたくし。

ちょっと耳の痛い話でした。

口を慎みます(苦笑)

 

 

 

 

「天国の書」とは日本で発行されている「被造界の中の神の王国」のことです。

日本では4巻まで発行されています。

 

外国のサイトで全36巻読むことが出来ますので、ヨハナの翻訳を待っているのが面倒な方は、そちらを検索してみてくださいね(*'ω'*)☘

 

こちらになります↓

 

Nos com prole pia, benedicat Virgo Maria.