地方分権化の今後の見通しについて書きます。
 
「新しい連邦制」では、基本的には連邦政府は、外交、軍事、通貨管理、財政、内政といった連邦国家の結束を維持する役割にのみ専念します。
 
いわゆる従来の国民福祉、保健、教育といったセクターの業務は、州レベルあるいは市町村レベルに完全に移管することになります。
 
これは本来の連邦制に戻ることを意味しています。
 
財政の地方分権化
 
問題は財政の地方分権化です。
 
現在展開されている各種連邦行政の地方分権化に伴う財政の州政府への移管は、従来連邦政府が各州に対して行ってきた歳出業務を州政府の歳出に移管しただけのものと解釈できます。
 
つまり、各州が独自に予算を策定して、保健、教育、社会開発等の各セクターの業務を実施するのではありません。
 
各セクターの中央官庁が各州政府と調整することで、大蔵省から各州政府に予算が配分されます。
 
各州政府は、州の実情に対応するために、調整の段階では予算策定作業に参加しますが、単に大蔵省から各セクターごとに配分された予算を執行していくだけです。
 
もちろん政治的配慮等で特定の州に偏った配分が行われることのないように、国勢調査等の結果に基づいた貧困指数に相当する指標を計算する数式が用意されており、それを公表して、公正な配分が行われる配慮がされています。
 
本来の連邦制の原則は、税金の徴収も、州レベルあるいは市町村レベルにある程度は移転され、
連邦政府に該当する徴収分が上納される可能性まで議論されなければなりませ。
 
しかし、この考察を書くに当たっての調査を手伝ってもらった大蔵省関係者の話では、当面は(つまり短期・中期的には)そこまでの見通しは具体化されていないとのことです。
 
ところで、本年(つまり1997年)7月1日から、従来の大蔵省の歳入担当次官局が、外局機関化(Desconcentrado)されていわゆる国税庁となりました。
 
この外局機関のこれからの地方展開のあり方に注目していく必要があると考えます。
 
政治の民主化
 
もう一つの問題は政治の民主化で、地方分権化を阻害する政治的要因である強大な権限を持つ大統領制と、そしてこれと対になったPRIによる一党独裁制の克服を克服する課題です。
 
ここで思い出されることは、かってデ・ラ・マドリ大統領が、外国のマスコミ関係者からメキシコの政治の民主化について質問があったのに答えて、「メキシコはまだ欧米諸国が考える民主主義が定着する基盤が整っていない。」と語ったことです。
 
その後10年余り、、彼の後継者のサリナス前大統領を経てセディージョ現大統領になって、一応内外から評価される民主主義的な政治制度が確立され、与野党の間での政権交代の可能性も保証される時代となっています。
 
30年以上の開発スケジュールで取り組んだ、カンクンとウアトゥルコの観光開発プロジェクトの例でも明らかな様に、メキシコ人は意外に長期的な視野に立ったビジョンを持てる側面も見せてくれています。
 
ここから考えますと、先ほど述べた野党の資質次第ですが、長期的には、税制を含めて連邦制が完全に実現され、その落ち着く先は、やはりスペインからの独立時の憲法の基本となっている、米国をモデルとした連邦制の確立ではないかと考えます。
 
地方レベルの人材開発
 
また個人的な見解になりますが、真の連邦制を確立するためのこれからの課題は、やはり連邦政府から各種業務を移管される州レベルと市町村レベルの政府の人材開発であると考えます。
 
地方レベルの政府の人材開発は、人材の移管を伴った単なる連邦政府業務の地方レベルへの移管も含めて、地方分権化が強化される過程で不可欠な要素です。
 
この面で進んでいるのは社会開発セクターで、貧困対策のための歳出を市町村レベルで執行させるために、国家連帯協会(Insutituto Nacional de Solidaridad)がその地方レベルの人材の教育・訓練活動を展開しています。
 
6.余談 その1.-政権末期の殿のご乱心
 
ついでに、後述するサリナス政権末期でも、政界要人暗殺という血に塗れた政治面は相応しくないので割愛しますが、経済面での『殿の御乱心』についても先に述べておきますと、1994年1月のチアパスにおけるゲリラ蜂起と、3月のコロシオ大統領候補暗殺を契機に起こったドルの国外流出を防ぐためのペソの買い支えで半減していた外貨準備高を、12月まで大統領、大蔵省および中銀が共謀して国内外を騙しつづけたという珍事です。
 
真相は諸説があってはっきりしていませんが、セディージョ新政権発足後間もない同年12月中旬に、前政権の商工大臣であったセラ大蔵大臣が、メキシコ証券取引場からの外国投資団の引き上げに伴うドル買いに対する中銀のペソ買い支えのための外貨準備が底をついていたことを発表して、一気にペソ危機へと転落していくことになります。
 
ちなみに、ポルティージョ政権を引き継いだデ・ラ・マドリ大統領の政権末期には、『殿の御乱心』の事件は発生しておりません。
 
これはサリナス次期大統領候補が予算企画大臣の時から、同氏を中心としたテクノクラートグループが実質上の経済運営を握っていたことによります。
 
逆に言えば、デ・ラ・マドリ次期大統領は現職のポルティージョ大統領を、そしてセディージョ次期大統領は現職のサリナス大統領を、それぞれの政権末期においてコントロールできなかったということになります。
 
次のエントリーでは『その9.民主革命党PRDの夢』について書きます。