Blog ばったもんのめっけもん

 

 

 

福岡は、鎌倉より半歩先の夏。5月末時点で、紫陽花も見頃だった。

 

大雨予報だったものの、傘を差さずに済んだ福岡。雨上がり独特の嬉しい眩しさ。芋洗坂係長とニアミスしていた、博多ポートタワーの休館日。 ※翌日にチャリチョコも観劇した

 

 


◆『銀の雨』
ピアノとキーボードがメインというアレンジ。聴き慣れた曲ゆえに、いつもと違うのはわかる。ただ、この曲がもともと持つイメージをみずみずしく湛えていて。決して「アレンジを変えました」という音になっていない。すごいと思った。”拍子木”も聴こえた。

「この曲を知っていた、というかた?」という問いかけには大きな拍手。

最後列にまで手を振って喜んでくれる千春!

 


◆『転機』
「恋愛の歌、『転機』です。きっかけ、チャンスのことです。お天気じゃないぞ」
「35~6歳の男がな、この街を出ていくかなぁというところに、一人の女が現れます。めぐりあいだな。これが転機となって、この街でがんばるぞ!そういう歌です」

間奏の山崎さんニコニコ照れ
それを見守る千春もニコニコ照れ


「恋愛の歌を歌って50年。俺は、中学高校ととんでもなくモテました」
「笑うところではないぞ」


「付き合いたいと色んな女からいっぱい言われました。でも俺は、付き合ったら結婚しないといけないと思ってた。ほら。お前らと違って、純粋無垢だから」

「福岡はバスケが強いな。あのとき俺は、北海道の十勝地区!でも、高校を卒業したら大学には行かなくて、北見でバーテンをやりました。そこからおかしくなったな。いろんな女と付き合った」

夜はストリップショーも。千春は、パフォーマンスする女性に照明を当てる仕事もしていた。
「60過ぎたストリッパーが居ました。びっっくりするわな。でも、信子っていうんだけど信子は、孫のために、”孫に色々してやりたいから踊るんだ”って言ってた。俺は ”そうか、信子。がんばれ、俺に任せろ。思いっきり暗くしてやるからな!”」

こうした生活のおかげで、恋愛の歌をたくさんつくることができました
 

 

 

 

 

 

◆『あたい』

とらえどころが難しい歌だ、と個人的に思っている。リリースは、1979年。歌われている内容は、今となっては小難しくなってしまっている、時代や地域・ジェンダーといった繊細なあれそれ。とはいえ、現代であってもそれらを「あたい」という第一人称で突破してくる。


千春の歌には、女性の立場で書かれた曲が多い。フォーク界の土佐日記だと思っている。たとえば、『旅立ち』も『銀の雨』も女性側の語り。若い頃の千春は「男言葉だと、自分の心の中を見透かされるようで」と仰っていた。繊細な心理描写や物語を察せられる、女性としての歌。一方、男視点だと『長い夜』『愛しているから』に代表されるように、わりと弩ストレート明快な曲も多い。

 

で、『あたい』である。 もしも、”男視点から観た『あたい』という女性”を描いていたとしたら、コメディ・リリーフというか、今の時代なら特にささやかな反感を抱かれそう。では、この曲のように、女性が自らについて語るというかたちならどうか。誇張はあれ、多くの人が多かれ少なかれ感じるであろう、コンプレックスの独白(と、ささやかな誇り)に聴こえてくる。外見については、女性だけでなく、男性であっても身長だとかなんだとか、考えることもある。時代の価値観・社会からのレッテルは、様々な形で存在し、ときにコンプレックスとして自分の身に巣食う。


千春はこの曲のあとのMCで、「ブスと美人、バカと利口」という話をされた。身も蓋もない話である。それでいてどうしようもなく、両者は互いの存在を規定するために存在する。元は同じ人間なのに、人がどちらかを定義した途端に生まれるもう片方。『あたい』という一人称の独白は、男女関係なく共通するコンプレックスの話を内包している。

・・と私は受け取っている。


照明は、主に黄色だった。おそらくその理由はぜんぜん違うけども、上記の解釈から連想すると。女性=赤・男性=青 というラベリングを前提としたら「あたい」という女性個人は赤なのだけど、男女を超えたものを歌うのであれば、そのどちらでもない色が『あたい』なのだと思った。

・・間奏で、マイクを両手でアイドル持ちする千春が可愛い。

春ツアーにしては厚着だけど、CELINEのカラフル萌え袖 大正解。



「ブスがいれば美人がいます。北海道は小樽。ニシンでバカ儲けした漁師が、全国の芸者を小樽へ呼んだんだ。それで綺麗な女が増えた」
 

福岡は美人が多いと聞きました
(ちょっと沈黙する千春)
多いって聞いてたんだぞ」

「楽屋には、KBC朝日放送の森社長と澤田さんがきてくれてな。50周年記念番組をつくってくれる。ありがたいなー。やっぱり嬉しいよな!」

現時点での発表では、放送は夏頃とのこと。今から楽しみ!


 

 

 

 

 

 

 

◆『愛は』
幕開きから千春の登場まで、手拍子するにはピッタリなイントロ。
間奏、中道さんのところで色々鳴っている。鍵盤のなかに何人入ってるんですか。

これまで私がうかがった公演、一曲めってどちらかというと、おだやかにキラキラとしていて「これから始まっていくんだなぁワクワク」というイメージなんだけども(最近だと『I LOVE YOU』とか『愛が全て』とか)。『愛は』は、アンコールで登場するくらいの曲。一発目からそのボルテージで仕掛けてくる50周年、昭和30年生まれ70歳。


千春曰く今回の公演は、福岡では83回め、福岡県内では93回めになるとのこと。
50年間、年に2回ペースという驚異の数字。


 

自分が宿泊したホテルのリビングに在るボード。夜のうちに「松山千春 福岡は83回 県内は96回めです!」と書き加えておき。翌朝に「え!松山千春すごいね」という宿泊客のかたの声を聞きながら、美味しく朝餉をいただいた。

 



千春曰く
「福岡は、自分にとって第二のふるさとです」
「”第二のふるさと”って白々しいと思うだろ?・・名古屋でも言いました。ふふ」

千春のことをデビューまもなくから盛りたててくれた、イベンターさんなど各地の恩人たち。だから、毎年コンサートで訪れるまちを、千春は”第二のふるさと”と呼ぶ。仙台もそう想っていると。他にもあるのだろう。

福岡はそのなかでもさらに特別。ラジオでも仰ってた、福岡への愛。御友達がいるから・・だけではないようで。


「昔、付き合ってる女が福岡にいましてね。住もうかと思いました、福岡に」

「・・でも俺ってさ、”北海道のスーパースター”だろ??照れ

北海道の看板を背負ったフォークシンガーは、竹田さんがはじめに筋道を付けてくださった通り、北海道を拠点にし続ける。
 

50周年ゆえか、いつもより各年代の歌を入れている印象があった。『銀の雨』はあるけど、『季節の中で』は無かったりとか。個人的には90年代末~00年ごろの『ガリレオ』や『LaLaLa』に、千春の歌に出逢った頃を思い出して。『大空と大地の中で』以外にも合唱曲があったりして、より一層の盛り上がりを創る2026春ツアー。

「デビュー50周年を迎えました!」
(拍手)
「孫も出来ました!」
(拍手)(「じいちゃん!!!」コール)
「”じいちゃん”、自分で言うのはいいけどさぁ」と仰りつつ嬉しそう。

歌手としては50年め、じいじとしてはデビューコンサート。二重にめでたいコンサートツアー。50周年、おめでとうございます🎉

 

 

◆セットリスト 
【第一部】
愛は...
あたい
銀の雨
転機
祈り
激情


【第二部】
ガリレオ (弾き語り)
LaLaLa
燃える涙
生命
途上
空 翼を広げて

【アンコール】
長い夜
今日は終らない
人生の空から
大空と大地の中で
 
【アンコールのアンコール】
24時間

 

Lupintic All Stars Produced by YUJI OHNO

大野さんの音楽を最高のメンバーで、大野さんが愛したライブとして、大野さんが繋げてくださった皆で堪能して。

「新規コンサート」があって、ファンを喜ばせてくれる。「プロデュース作品」としてTシャツを手にした、本当につい最近のお写真がある。ゲストとしてフロントに立った石井ひなたさんは、大野さんがお墨付きをされたとのこと🎷

驚くほどの天の采配は、大野さんのお人柄と生き方そのもので。最後の最後まで、その思慮深さとサービス精神とスマートさ、仕事もステージもキメる見事さ。。

 

これまでも、大野さんと央紹さん御二人がステージに上がらない状況になっても、新たなかたちでステージを続けてきたバンド。JAZZは、時代を越えて様々なプレイヤーが再生させていくもの。今回新たなSAXの音色を得て、未来への道筋を付けてくださったのだと感じて。年一回でもLIVEが続いていってほしいと、強く強く思った。

 

大野さん、お誕生日おめでとうございます!

オールスターズの皆さま、どこまでも高く届くLIVEをありがとうございました🎹🎷

 

 

神戸学校講義:日本放送協会コンテンツ制作局チーフ・プロデューサー 藤並英樹さん

”エンタメで世を耕す ~大河ドラマ「べらぼう」制作秘話”
◆講義主旨

「べらぼう」では「江戸のメディア王」とも呼ばれる蔦屋重三郎の半生が描かれ、当時と現代の社会情勢の相似性や、浮世絵・黄表紙といった娯楽作品に表現された江戸文化の豊かさ・華やかさが多くの人に再発見されています。また、「筆より重いものは持たない」重三郎を主人公に据えた江戸中期の物語は、これまでの歴史ドラマとは一線を画すもので大きな話題となりました。
本作が生み出された背景には、藤並さんが考える「公共放送がエンターテイメント作品をつくることの意義」があります。
NHKでプロデューサー業を続けてきたからこそ芽生えた大切にしたい思いや「べらぼう」誕生秘話などを伺える貴重な機会です。

 

◆神戸学校とは?

阪神淡路大震災をきっかけに始まった。受講料は、あしなが育英会を通じての寄付になる(こうした御話を伺えた上に、寄付させてもらえるとは。。)

 

◆講師:藤並英樹さん(チーフ・プロデューサー)

📚️プロデューサーというお仕事とは
NHKのばあいは、企画に始まり脚本家との台本づくりも含め、物語の骨格を担う。制作現場の管理・諸手配。番組の中身と制作環境の設計。なにかあれば褒められ、なにかあれば怒られる立場。見えるところ見えないところの統括管理を担う。

📚️ご経歴
生まれ育ちが神戸。大学時代まで過ごした。大学の広告研究会でイベント企画・運営を経験。集団で何かを創ることをやりたい想いから、2002年にNHK入社。地方局の札幌に5年間赴任。一次産業に関わる人々・北海道に居続ける人々への取材。人口数百人の町では、『のど自慢』は歓迎されお祭りのようになる!その体験から、地域を元気にする番組を作りたい。エンタメを通じてご当地が盛り上がる、希望につながる「日本のインフラ」のようになりたいという想いが生まれた。

その後、大河ドラマ・朝ドラという、地域に根ざした物語・所縁あるひとを描く作品に携わる。大河と朝ドラを往復しながら関わるようなかたちに。『大奥』と『べらぼう』は、舞台となる時代も制作時期も重なってた。『大奥』は大河ドラマのスケールで制作されたドラマ10。その視聴者も『べらぼう』を楽しんだ。


【余談】

『大奥』と『べらぼう』、ともにSNS向きのタイトルではない・・!ハッシュタグのルールとして、ひらがな4文字と漢字2文字はダメ。。なので、#ドラマ10大奥 #大河べらぼう として、放送開始前にスタッフがTL上でお知らせした

 

📚️『べらぼう』の制作背景

もともと時代劇が大好きだった。これまでに関わってきたのは、『軍師官兵衛』『おんな城主直虎』『麒麟がくる』といった、戦国時代を舞台にした大河ドラマ。前年に『どうする家康』もあったので、それ以外の時代を・・というのが発端。

 

2025年は、ラジオ放送開始から100年。文化功労者としての蔦屋重三郎に注目。藤並さんご自身が大学時代に、絵画や芸術学に触れていたというのもあった。企画書(2022年末)は、A4で一枚!学生時代に書店でバイトをしていたこともあり、書評・書籍の帯・映画予告編のまとめ方を参考にしている。「観てみたい!」と思ってもらえるように書く。キャッチーな文章を頭に。「面白そうだ」と思ってもらえるように。「なぜ、今なのか」を明確に。

企画として打ち出したのは、”Cool Japanの原点としての、200年前に花開いた江戸時代の町民文化。蔦重・写楽・北斎のスタートアップ企業話”。練り直していくなかで、町民だけでなく政治を入れろ、と。侍も出していこうという、出世競争を描くなかで田沼意次の軸が生まれた。蔦重との両輪で走ることになる。

 

📚️時代の特異性
大河ドラマでこれまで描かれてこなかった時代。ただ、時代劇で描かれてきた時代でもある。”時代劇の復興”も念頭にあった。町民文化と吉原に関しては、企画書時点で明記していなかったそう。吉原を本腰で描くことにしたのは、蔦重のルーツ・アイデンティティーであり、活動基盤・経済基盤であったことから。かなりの話数を使い、瀬川も登場させ、吉原の光と闇を描いた。結果的に「攻めてる」或いは厳しい意見もあったが、様々な価値観が存在すること・文化が変容していくことも、ラジオ放送100年という節目での問いかけとして、必要なものと考えていた。

 

📚️エンタメは世を耕す
吉原・日本橋・江戸城内を描く、華やかで文化的に豊かな時代。苦楽のなかでものづくりを楽しむことは、人ならではの醍醐味であり、ワクワクする。現代の私たちにも、ダイレクトに通じるもの。クリエイティブに携わる人たちからも反響があり、嬉しかったそう。

藤並さんが以前に携わった『麒麟がくる』は、コロナ真っ只中で制作が止まった。エンタメは不要不急なのか?いや、そうではないはずだ、という確信。文化が社会的に作用することも描きたかった。エンタメが世の中を救う! 

※34話 コメ不足打ちこわしは実話。「銀が降る」はフィクション

田沼が去ったあとの松平時代に、エンタメは統制を受ける。現代とリンクするエピソードが多く登場。当初想定したわけではなかった。脚本が最後まで完成する前に、撮影は並行して進んでいる。台本の半分以上は、放送開始後に書かれたもの。「おととしの米はあるぞ!」の台詞を書いたら、ちょうど現実では備蓄米の話題に。。歴史は繰り返す、同じ過ちを繰り返さないために、歴史を学ぶことが必要。危うさを描く。ドラマを通して知ってほしい。

📚️こぼれ話いろいろ(1)
・森下さんは筆が早い脚本家だけど、「登場人物が多くて書ききれなくなった」「写楽どうする?」といった試行錯誤が続いた。蔦屋重三郎は世間一般でほとんど知られてない、という点をふまえて始まった。

・タイトルにある『~蔦重栄華の夢噺』は、黄表紙からの発想。この大河ドラマそのものが、蔦重が創った黄表紙ということにしたかった。「さすがにハイブローすぎる」となり、蔦重の”べらぼう”な人生から『べらぼう』に最終決定。『蔦重栄華の夢噺』は副題として残した。発表前ギリギリに決まった・・・!
 

・第一話冒頭 火事のシーンどうする?
スタジオとロケ4箇所で分けている。撮り終わったのは2024年10月末!現在は、スタジオ内で火が使えない(官兵衛の頃は可能だった)。火事撮影が出来る場所探し・・大河ドラマ一作目は京都の撮影所を使っていたこともあり、京都でどうか?と。京丹波市で地元消防団も協力のもと、本当の火を使って撮影。

 

・東宝スタジオに建てた吉原のセット。ロケ地の選定・安全面・ナイトロケの代替としての技術検討など。。収録スケジュールの立て直し。臨機応変に対処していく(ノベライズや書籍と変わってるとこは、そういうこと・・)。「基本的に、順調に行くはずがない と思っている」。コロナ中の『麒麟がくる』の経験が大きかった。「事前にできるだけの準備をして、何かあったら手を打つ。ノープランでは臨まない。焦ってもダメなので、諦めるものは諦める」。段取り力は、仕事に必然。監督は最前線。プロデューサーは全体を観る仕事。どこを補強するかなど。


・版画の職人さんがどんどん減ってるなか、制作協力の版画会社から「ドラマを通じて新しい人が3~4人入った」と。エンタメを通じて世の中が動いたと思えて嬉しかったそう。 ”書をもって世を耕す”。

 


📚️『べらぼう』で描かれた謎
写楽そのものではなく、「写楽の謎」を描いた。伝承・説を紡いだ。大河ドラマはあくまでフィクションだけど、絵空事ではなく、「この史実とこの史実のあいだに、こんなことがあったら面白いよね」と。どういう線でつなごうか、と。写楽の正体ではなく、「なぜ写楽をやったのか」を届けたかった。蔦重が世の中にエンタメを仕掛けていく、その理由とやりかた。そのために「謎」を創っていった。

📚️蔦重 とは

森下さん曰く、「蔦重は、覚悟と責任の人」。誰もやらないなら自分がやる。それを考え方の軸にしている。史実の蔦重もそういうひとだったのではないか。彼が亡くなったときの墓銘碑に書かれた内容。人たらしでもあり、彼を慕って皆が集まる。ちなみに、屁で終了するのは想定外だった。屁のグルーブ感。

横浜流星さんも座長然というよりは、蔦重と同じく「みんなでやろうよ!」という魅力をもった人だった。藤並さんにとっても、蔦重というプロデューサーの生き方そのものが、プロデューサーとして大きな学びになった。動いてもらうのは他の人(脚本家・俳優・スタッフ)。人に動いてもらうにはどうするか。心地よく健康に安全に働いてもらうにはどうすれば、というお膳立てに尽きる。



📚️質問コーナー

・キャスティング
声優さんが多かったのは、時代劇は言葉が難しいので、滑舌が良く、聴き心地がよい声 を必要としていたから。群衆シーンが多かったのもある。声でお芝居できる人。また、「ギャップを狙う」キャスティングもあった。ミュージカル俳優の古川雄大さんは物静かなかたなので、中学生みたいな山東京伝を。小芝風花さんは可愛らしい役柄が多かったので、気っ風のいい瀬川を。

・再放送

NHKに要望を出そう!

・最終回の「拍子木」は、最初から決まっていたのでしょうか?
藤並さんご自身のなかでは、決まってなかった。大原監督や脚本の森下さんにはあったのかも?大河史上、最多幸のラストシーン。あんなに幸せな最期は無い。墓碑銘には書いてあるので、あのゴールを目指した。屁も当初はあんなに盛り上がる予定はなかったけど、最終的に「屁の魂呼ばい」が生まれた。大河と朝ドラは、生き物。創り手だけではなく、視聴者とも一緒に創っていくもの。クランクアップは、本当にあのシーンだけを撮った。クランクアップに全員集合!というのも異例で、クランクアップ写真が全然終わらなかった(笑)。

※これは私自身からの質問にお答えいただいたもの。最終回は「屁の魂呼ばい」で、自分が泣いてるのか笑ってるのかもうわからない状況のなか、拍子木の音で、もう一段「!!」となったラスト。その真相が伺えて嬉しかったです。ありがとうございました


📚️こぼれ話いろいろ(2)
・大河ドラマや朝ドラは、町おこしや御当地人物の再発見という意味合いもある。『べらぼう』をきっかけに、田沼意次のイメージが見直された。『べらぼう』に登場した自治体同士が自発的にスタンプラリーしたり災害時に助け合ったりするなど、とても嬉しいことがあった。
※『逆賊の幕臣』小栗忠順も、知名度とか、パブリックなイメージが変わるとか、今から楽しみですね。。タイトルからしてもう秀逸。


安全で健康な制作現場でないと、先がない。視聴者側も本編の考察だけでなく、制作過程も目を向けている。今作も、インティマシー・コーディネーターが入ったりなど。

・検校は、もともとのイメージはかなり年配だったけど、今作では史実の35歳に寄せて、しかも美坊主になった!金も魅力もある、蔦重どっこも叶わないやん!みたいな。

・48話かけて人の人生を描けるスケール感が、大河ドラマ

・放送中に「出たい」と言ってくれる人たちもいた。面白いと思ってもらえてやり甲斐に感じた。太田光さんは、喫煙所で横浜流星さんに「出たい」と言ったのがきっかけ

・厳しい情勢とエンタメについて。東日本大震災発生時の『てっぱん』。放送していいのかという葛藤と、朝ドラが日常を届けることの価値と。コロナで休止した『麒麟がくる』も再開時は歓迎された。「不要不急」ではないエンタメ


📚️最後に・・大切にしていること

たまたまの出逢いを大切にする。本屋さん、新聞、ラジオ、煮詰まったら歩く。たまたま見聞きすることが必要。現代はスマホで自分の関心の高いものは多く得られるけど、自分が興味なかったこと・得ようとしてなかったことといった、「たまたまの出逢い」が自分にとって全く違う世界を開いてくれる。

※タイパコスパで考えて「自分にとって必要か」を自分で制限しちゃうのは、実はとてももったいないことだし、自分で自分をどんどん狭めちゃいますよね。。

 

 

貴重な御話をありがとうございました!『べらぼう』、円盤で2026年も観てしまう!




 

 

 

港南台シネサロンにて鑑賞。

びっくりするくらい、自分にとって弩真ン中な3作が集結した・・!!ありがとうありがとう。
ジョン・クランコ バレエの革命児は、舞台の光と狂気という点で(さらに、舞台を映画として創り変えるという点でも)『国宝』と繋がるし、戦争と文化という点で『プラハの春』に通じる。    

 

ジョン・クランコ映画化・・?!と楽しみにしていた映画。
私の母がシュツットガルトのバレエ学校に居た際、バレエ団のクランコを実際に観ていた。母はロシア→パリ→モンテカルロ→ドイツというルートで。ボンのバレエ団へ入団前、休暇中にシュツットガルトでレッスンを受けていた。まだヨーロッパ全体でも日本人のダンサーが3~4人くらいしかいなかったらしい。母曰く、クランコは「近寄りがたかった」という。映画にも出てくる愛犬と、劇場前の公園を毎朝散歩していて、その姿そのものが映画のようだったと。
 

劇場と公園が、冒頭を含め何度も印象的に現れる。日々過ごした場所で、こうして観られたのは嬉しかったという母。
稽古場の撮影も含め、バレエ団の全面協力があって実現したこと。。
 

 

 

 

クランコの、バレエにかける情熱と強さ。反面、歪で脆い人間性。その影を以て光を灯すような。。目にするもの耳にするものに、バレエが「見える」。 折々挿入される 着想とも幻想ともいえないクランコ視点の情景は、ラストシーンにおけるマルシア・ハイデの舞へと、あたかも自然に帰結していく。

 

 

早逝の伝説、バレエ界に名を刻む偉人であり、彼の作品は今も舞台に生き続ける。ただ、振付だけでなく、彼がダンサーたちに掛ける言葉がすごい。鼓舞もするし傷つけもする。人を動かす。
「バレエとはステップをすることではない。まず、自分自身に忠実であれ。そのうえで、舞台上の出来事に関心を持て」

 

 

彼の代表作として『ロミオとジュリエット』や『オネーギン』が劇中舞台として登場。丹念に選定された場面とカメラワーク、そして現役のシュツットガルトバレエ団の踊り。断片的なシーンでありながら、彼の振付・演出がいかなるものだったかが伝わって息を呑む。また、それが彼自身の人生を描写するものとしても機能していて、エンドロールまで本当に見事だった。

 

 

CCJJournal 2026.03.13
『ジョン・クランコ バレエの革命児』 「創作」という名の救済と苦悩


 

 

松山千春コンサート・ツアー2025秋 東京国際フォーラム【7】はこちら


「松山家は、5人家族でした。父さん、松山明。父さんは、ひとりで新聞つくってた。まったく金にはなりません。母さんが出稼ぎで、土方の仕事をしてました。花札が好きな母さんでな。俺が小4のころ、新聞に母さんが載りました。賭博の現行犯。あのとき「すごいぞ!」と新聞を持ってきた、父さんの笑顔は忘れられません

いくら貧乏だろうが、幸せな家庭でした。宝物のような毎日だったな

「父さんが亡くなってから30年経つんだなぁ。。姉ちゃん、母さん、弟。今は、俺ひとりが残りました」

以前のコンサートでは、ご自身の幼少期や家族の想い出を「あのときはさぁ」と話せる相手が居なくなってしまったと仰っていた。松山明さんを家長とする5人家族の”松山家”を語れるのは、千春しかいない。元気に、長生きされてくださいね。

「貴方は貴方の人生を。貴方しか歩くことができない人生を、一歩でも半歩でも前へ進んでいってください」
 

 

◆我家
私は2025年7月に、はじめて足寄町を訪れることができた。役場のすぐ近くには、映画のロケセットとして再現された千春の生家。この曲は千春の自伝的な歌であるけども、”我家”は、具体的な家や家族という意味を超えて、自分の拠り所やルーツをも指すようにも聞こえる。誰もがいつか見たことがある、もっとも綺麗な夕陽の光景。

足寄町 道の駅に在る、松山千春の歌碑。千春の筆致をそのまま使っていて。美しく情のある言葉たち。

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【アンコール】
長い夜
今日は終らない
BABY
俺の人生(たび)
大空と大地の中で
 
【アンコールのアンコール】
雪化粧
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とってもとっても元気!なので、アンコールは「これは第三部ですニヤリ」と。しかもおしゃべりしながら「次の曲変えるぞ、『俺の人生』いけるか!」ってときには、もう田中さんドラム叩いてらした。ほんとにその場で変更してたら、皆さんの対応力凄すぎませんか。。


手術を乗り越えてリハビリ頑張って復帰された千春。『雪化粧』間奏で、光る目元をタオルで覆ってらっしゃった。汗を拭くかのようにさりげなく(すみません、前方席でもオペラグラス使う民なので・・・)。千葉でもだったけど、マイクの投げ方も変わっていた。手元から離れるのを少し慈しむような離しかただった。

 

足寄町で観た、私が大好きな、千春のこの言葉と書き文字。松山千春のコンサートは、こういうこと。

 

今回の東京公演での言葉。

「一回一回、ひとつひとつのコンサートが、俺の人生。俺のすべてだと思っています。一緒に同じ時間を過ごす。それがどんなに大切なことか

 

ひとつひとつのコンサートを、今日も明日も重ねて重ねて。2026年は、デビュー50周年。千春の人生(たび)がこれからも永く続きますように。

 

松山千春コンサート・ツアー2025秋 東京国際フォーラム【6】はこちら

2001年から約一年間、千春の責任編集で『月刊松山 SAGA』が刊行された。
当時の歌手活動量を鑑みると、毎月一冊まるまる語り下ろしというのは、相当の本腰を入れなければ出来ない所業。後年、4冊の文庫になった。一年間で4冊の新作を出す作家は稀なことを想えば、イメージしやすいだろうか。さらに、当時すでにインターネットは一般化しているので、ブログやWebサイトでも可能だった筈。それでも、本を選んだ。

以下、創刊号の「長い前置き」から抜粋。
速いスピードで進化していく時流の中で、わざと外れていきたい。そりゃ、技術の深化に乗っかればラクだろう。出版業界も音楽だって、じきにそんな風潮に吞み込まれる」
「ただ、人間はその速さに目がくらんで大事なものを見落としかねないような気がする。ここはちょっと立ち止まり、自分の足元を見つめたい
「だから、あえてオーソドックスに本をつくり、流通に乗せ、本屋に置いてもらうという、えらく面倒臭いシステムを選んだ。これは、とんでもないスピードで進化を遂げている今の時代に対する、俺のささやかな”悪あがき”なのである


千春がちょうどデビュー25周年の頃だった。2026年が50周年。現在から遡れば、フォークシンガー松山千春の中間点に当る。当時語られた上記の内容は、まさに四半世紀後の今である。

『です。』は、『月刊松山 SAGA』刊行中にリリースされた。

 

 

◆です。
『SAGA』では、この曲が新曲として紹介されている。
「”なにもないことが幸せなのです”と、そういう、なになにです・・・というイメージで構成した曲なのよ。タイトルも、これでもいろいろ頭をひねって考えたんだけども、どうしても『です』が引っかかっちゃって」「いい曲よ。いわゆる癒し系の作品だわな」

なお、当時この曲は「北海道シチュー」のCMに起用された。千春御本人は出演しない。
「最近は、曲の使用依頼はあるけど、出演依頼がなくなったな。どうしてなんでしょ?納得いかないよなあ」

2024年、千春の療養中にラジオ代打を務められたのは、コロンビアソングスの社長 涌井さん。『です。』について、お話されていた。

「タイトルが独特ですよね。どういう歌なんだろう、って聴くとなるほどってなる。日本語の使い方言葉の選び方、芸術的な才能を感じます」

特別ではない日常が特別で、そのなかに人を愛したり喜怒哀楽があって、それこそが幸せなんだって」

人生や人を愛すること、世の中への不安不満、様々なテーマを色んな角度から表現する。天才ですよね・・」

「ファンのかたがたからの、曲にまつわるメッセージや思い出。それぞれがうれしいですよね。そのかたたちの人生に、千春さんの歌があるのが。制作スタッフ冥利に尽きます」

千春の歌づくりに携わってる御本人がこうも正直に、敬愛を示してくださってるのを聴かせてもらってるのって。。すごいなと思った。

 

◆今日限り
先のMC「選択」についてをふまえると、『です。』『今日限り』の受け取り方が少し変わる。

自分がひとつひとつ選び取った結果を生きていくなかで。劇的なことだけでなく、何気ないことたわいないこと。それも含めて、与えられた「結果」であり、私だけのものである「特別」。静かに眠れたら、それはとってもいい日だし。この曲の背景が、みなもの煌めきにも見えたのだけど、日々の中でそれに気づけるかどうかの違い。

「言い訳だらけの毎日」にしてしまうのも自分。自分では言い訳ではないと思っちゃうこともある。自省だったり原因究明だったり、先に進めるために必要なステップだったりで。それでも、意識的に「自省」でありたいなと・・難しいことだけども。。せめて、そうありたいなと思う。



 

松山千春コンサート・ツアー2025秋 東京国際フォーラム【5】はこちら
 

「太陽の寿命は100億年だけど、俺ら人間はせいぜい100くらい。一瞬です。だから、愛おしい」「一刻一刻変わるし戻れない。前を向くしかない」

生まれてきたのは運。生まれた瞬間からは、選択。あなたが創る、あなたしか歩くことができない人生です。一歩でも半歩でも進んでください。素晴らしい人生になることを応援しています

ほんと・・目と表情が素敵ですよね。。やわらかい笑顔だったり、凛々しい表情と目力で言葉を届けてくれたり。

 

 

◆伝言

「自分が歌っているのは、フォーク。自分のメッセージを叩きこんでいます。この曲のメッセージは、”一瞬のまばたき”」
「人の一生は、太陽と比べるとほんの一瞬。だから愛おしくて、大切なんです。我々も100億年生きられるなら、今日のコンサートは無かったと思います。”せいぜい100歳までだから、聴きに行くかぁ~”ってなるんです。だべ??? 一回一回、ひとつひとつのコンサートが、俺の人生。俺のすべてだと思っています。一緒に同じ時間を過ごす。それがどんなに大切なことか


「俺の曲は、CDで聴けます。そっちは絶対に歌詞も間違えません照れ歌を聴きに、コンサートに来てください。一曲一曲が生きていて、その日その日で変わる。俺も客も。だから人間なんです。一刻一刻変わるし、戻ることはできない。前を向くしかない。素晴らしい明日が待ってるからな!!」


千春が仰っていたのは、人生は「選択」であるということ。この世に人として生まれてきたのは、与えられたもの。千春は、「運」という言葉を使っていらした。おぎゃーと声を上げた瞬間から、運ではなく「選択」であると。

毎日、毎分、絶え間なく、意識的無意識下にも選択をし続ける。選択の結果は、自分では選べない。選択したのは自分だから、結果は引き受ける責任がある。これは、ヴェーダーンタの考え方。中にはどう考えたって、理不尽だったり惨いことにも見舞われる。だから、「結果」の扱い方は本当に難しい。綺麗ごとではないので。
 

ありのままに受け取れないときに、無意識に言い訳したり外に理由を探してしまったり。課題分析や自省は大切だけど、学び取ることと自己弁護を混同してはいけない。それが完璧にできないから、人間であるのだとも思う。そうありたいと意識するのも、人間だからだと思う。だから、「自責」で考えられるひとはすごい。と私は思う。


「貴方が選び取って、貴方だけが歩んでいける人生です。素晴らしい人生になることを、応援しています」