親切の請求書は捨ててしまいましょう・(三輪空の教え)
「私はこんなにあの人のためにしているのに、なんであの人はあんな態度しか取れないんだろう」
と悲しくなることがあります。
その人のためと思ってやっているのに、いつしかその人を責めている自分の心にも嫌気がさしてきます。
そんな心で苦しくなったとき、私たちはどうしたらいいのでしょうか。
私たちは、誰かに親切をすると、どうしてもお礼を言ってほしいとか、もっと喜んでくれてもいいのにと、お礼や見返りを求める心が出てきます。
自分の満足いくお礼や感謝の言葉がなかったり、親切した時の反応が鈍かったりすると、「やらなければよかった」と後悔したり、心の中で相手をののしったりしてしまいます。
また、相手のために尽くせば尽くすほど、「これだけ尽くしてやっているのに」という気持ちも出てきて、「こんなに私はあなたのためにやっている。どうだ、喜びなさい」と相手に請求書を突きつけたくなります。
せっかく相手に善いことをしても、その相手を憎んで、自分が苦しむ結果になるなら、とても悲しいことです。
お釈迦さまは、因果の道理に照らして
「親切をした相手にお礼や見返りの請求書を突きつけなくても、必ず、まいたタネまきは巡り巡って、あなたのところに返ってくるのだよ」
と教えられています。
だから、期待していたお礼や感謝の言葉が相手からない時は、貯金していると思えばいいのです。後々、利子がついて返ってきます。
そして、お釈迦さまは、親切をする時は、私が・誰々に・何々を、この三つを忘れるようにしなさいと教えられています。これを三輪空といいます。
そうすると肩の力が抜けて、自然体で周りの人に接したり、親切したりできるようになります。
力みが抜けて、相手が受け取りやすい親切ができるようになります。
すると、あなたにはたくさんの感謝やお礼のメッセージが届くようになるでしょう。
不思議なもので、親切の見返りを自分から要求しなくなると、逆に、感謝やお礼がどんどんやってくるようになるのです。
ぜひ、この仏教の教えをもとに、幸せのタネをまいて行きましょう。
善因善果
自因自果
自業自得
なのです。
昔の人は言いました。
「情けは人のためならず」
人に情けをかける、親切するのは人のためではないんですよ、親切する人の徳になり、与える人本人が光を放つ人間になれるのですよ、
ということです。
つまり
あの人のためにやっているんだ。
あの人のためにしてあげてるんだ
人のため、人のため
と思い続けるものではありませんよ、
というのが「情けは人のためならず」なのです。
けして人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならないという意味ではありません。
布施(親切)をすること、人に与えているのは、自らの徳と信用の元を築いてるのですよ、ということわざなのです。
日本人の美徳
また
「施して報いを求めず、受けて恩を忘れず」という言葉もあります。(大熊重信翁)
どうやら、与えたものに対する報いは求めず、さっさと忘れてしまうに限るようです。
ふと、時代劇によくあるシーンを思い出します。
困っている人を助けた後、そのまま立ち去ろうとすると。
「せめてお名前だけでも…」と問われます。
それに対してさらりと答え。
「名乗るほどの者ではございません」と言いながらサラリとその場を去る。
こんな態度にグッとくるのは、そこに日本人の美徳があるからかもしれません。
あるべき姿として日本人のDNAに深く刻み込まれた何かがそこにあるのかもしれませんね。