自殺する人の死後についての思い込み

 自殺する人は、「こんなに苦しいなら死んだほうがまし」と思っています。
 ということは、死ぬ時は苦しいかもしれないけど、死んだ後は苦しみはないだろうと思っています。

 日本人に死後はあると思うか、ないと思うかを尋ねたアンケートでは、約3割の人が死後はないと考えています。

 その人たちは、死んだ後は無になって、苦しみはないと思っていると思います。

 ところが残りの約7割の人は、何らかの次の世界があると考えています。
 多数派の人にとっては、死んだら苦しみがなくなるとはいえないのです。

 科学的にも、死んだら無になるとは言えません。
 普通、死んだらどうなるかは誰も根拠を出せないので、
 実は「死んだほうがまし」というのは思い込みで、死んだらどうなるかは
分からないというのが本当ではないでしょうか。

 もしそうだとすれば、この扉の向こうに行くと何があるか分からないけれども、二度と戻ってくることはできないという扉があった時、
その扉の向こうに行くのは極めてハイリスクです。

 では、自殺したら、死後はどうなるのでしょうか?

自殺したら死後の世界はどうなる?

 自殺したら死後どうなるか、お釈迦さまは教えられています。
 仏教では、自殺に限らず、死んだら、それまでの行いによって、因果応報で、死んだ後の行き先が決まります。(輪廻転生)

 ところが生き物を殺す殺生罪を生涯に一回でも造っていれば、その結果は地獄行きとなります。

 ですから自殺する人も普通に死ぬ人も、今までに魚を食べたことがあるとか、虫けら一匹でも殺したことがあれば、死ぬと地獄へ堕ちて行くといわれるのです。

 ですから『涅槃経 』には、こう説かれていると『往生要集』に教えられています。

人趣に生まるるものは、爪の上の土のごとし。
三途に堕つるものは、十方の土のごとし。

(引用:『涅槃教』)

 これは、人間に生まれる人を爪の上の砂の数くらいだとすれば、人間よりはるかに苦しい、地獄・餓鬼・畜生の三つの迷いの世界に堕ちる人は、大宇宙の砂の数のように多い、

ということです。
 3つの迷いの世界でも一番多いのは地獄です。
 自殺をすれコンピューターゲームのように、リセットしてもう一度ゼロから人間をやり直せるのではありません。
 そのような事をしていれば、もう二度と人間に生まれられることはないでしょう。

 それにもかかわらず自殺するのは真っ赤な焼火箸を平気で握りにゆく赤ちゃんのようなもので、
無知ということです。


 ことわざで言えば「飛んで火に入る夏の虫」と同じですから、仏教では自殺は愚かなことだと教えられているのです。

 

 しかしそれでは私たちのほとんどの人は死んだら地獄に堕ちると誤解する人も出てきます。

 実際にお釈迦様のお弟子の何人かは自死しています。

 すでに悟りを開いて、涅槃に入る人については、それはお釈迦さまも分かりますので、涅槃に入ることを止めるも容認(自死)するもありません。

 それを明確にせずに、すべての人に対して自殺を止められなかったように主張するのは、仏教の教えの理解が浅いだけです。

 悪意はないのでしょうが、あまり仏教を知らずにそんなことを言っていると、多くの人を混乱させ、自殺する人を増やしてしまうのでよくありません。

 お釈迦さまは、明確に自殺を禁じられているのですから。