自殺を止められたお釈迦さま
あるときお釈迦さまが托鉢からお帰りになる途中、ガンジス河のほとりで、20歳くらいの女性が、身投げをするつもりと見えて、小石を拾って服に入れ、うつろな目をしてゆるゆるとガンジス河の岸辺のほうへ近づいているのをご覧になられました。
近寄られたお釈迦さまは、その女性を制止され、
「生は難く、死は易し。
一日でも長く生きたいと思うのが世の常なのに、
たまたま生まれ難い人間界に生を受けながら、
なぜそなたは身投げをしようとするのか」
とやさしく尋ねられました。
やがてその女性が言うには、
「実にお恥ずかしいことですが、
私は両親に隠して、ある男の人と付き合っていたのですが、
結婚していないのに、子供を授かってしまいました。
2〜3カ月は隠し通していたのですが、
今となってはもう隠すに隠せなくなりました。
その男に相談したところ、
世話してやろうとは言いませんでした。親兄弟に責められて、あまりに辛くてたまりません。
いっそ身を投げて死んだらこの苦しみから逃れられるかと思いまして、
死ぬ覚悟を決めたのです。
ですが考えてみると、1人の命ではなくて、2人の命です。
この上なく悲しいのですが、
親にも責められ、近所の人や友達にも悪い噂が立って、
これ以上は生きていけません。
もう身を投げますので、このまま死なせてくださいませ」
一部始終をお聞きになられたお釈迦さまは、
「なるほど今の話を聞いてみれば、事情はよく分かった。
そなたの小さい心から、いっそ死のうと決心したというのも無理はないが、
一つの昔話があるからこれを聞くがよい。
と次のような譬え話をお話になりました。
牛のたとえ
あるところに、毎日毎日重荷を引いて、山坂を越えなければならない牛がいた。
あまりの辛さにその牛は、
「この荷車さえなければ、重荷を引くこともないだろう
何とかこの車を壊してしまいたいものだ」
と常々思っていた。
ある日、意を決した牛は、下り坂のときに岩の角へ車をゴツンとあてて、壊してしまったのです。
それからというもの、20日間ほどは、荷車がないから重荷もつけられず、牛部屋につながれた牛は、
「こんな気楽なことになるとは、これはうまいことをした」
と喜んでいました。
ところがそこの主人は、そうそう遊ばせてもおれないので、やがて新しい車を作ってきたのです。
それも、こんな乱暴な牛では、普通の荷車ではまた壊されると思って、荷台も車も何もかも鋼鉄製だった。
荷物を積む前から、以前の車に荷物を積んだよりもはるかに重いのです。
そこに重荷を積んで歩くのだから、到底堪えられるものではない。
歩くのも遅くなって、ムチで叩かれると、体中から血が流れ出します。
牛は、
「ああ愚かなことをした、こんなことなら
やっぱりもとの車のほうがましだった。
ああバカだった、バカだった……」
と深く後悔したのでした。
今、そなたの身の上もちょうどこの牛と同じである。
恋人に捨てられ、親に責められて、いっそ死んでしまったら、それは車を壊したようなものだ。
未来はそれよりももっと恐ろしい火の車があるのだから、そのとき後悔しても、もう二度と人間に戻ることはできないのだよ。
よくよく思案するがよい。
それを聞いた女は驚いて、これまでの心得違いを反省して、仏教を聞くようになり、幸せになったと説かれています。
(出典:『布教資料全集』法蔵館,1906年)
このお話も20歳の若い女性に「阿弥陀仏に帰依して救われなさい」と説いても、到底理解はできません。
お釈迦様はその人一人一人に合った譬え話で真理を説く、対機説法を常としました、この話もその中の一つなのです。
お釈迦様の平等の慈悲の表れでもあるのです。