前の記事で仏教を聞いて、何が救われるのかというと「後生の一大事」だとお伝えしました。
今日から2回に分けて後生の一大事について、解説していこうと思います。
ここのところは大変に重要なので、何回も読み直して、心に落とし込んでいただきたいのです。
仏教の目的は後生の一大事の解決
仏教は
「後生の一大事を知ることに始まり、後生の一大事の解決で終わる」教えです。
蓮如上人は、有名な白骨の章に
「誰の人も早く後生の一大事を心にかけて」
といわれています。
他にも領解文には、
「われらが今度の一大事の後生御たすけ候えとたのみ申して候」
と教えられています。
「今度の一大事の後生」といわれているのが後生の一大事です。
この後生の一大事をいかに解決するかを教えられたのが仏教です。
仏教を聞いて何が助かるのかというと、後生の一大事です。
これが仏教の目的です。
ですから後生の一大事から始まって後生の一大事の解決で仏教は終わるのです。
その後生の一大事の解決を、蓮如上人は、
「われらが今度の一大事の後生御たすけ候えとたのみ申して候」
といわれているのです。
ですから後生の一大事が分からなければ、仏教は絶対に分かりません。
後生の一大事とは?
では後生とはどんなことかというと、来世のことです。
死ねば来世です。
地球上に八十億の人があっても、死なない人はありません。 みんな嫌だと思っていますが、一日生きれば一日生きるだけ死へ向かって進んでいます。
どんなに科学が進歩しても、医学が進歩しても、それは変わりません。
平均寿命が延びるだけです。
昨日よりも今日は一日死に近づいていることは避けられません。
みな来世へと向かっているのです。
この来世を後生といいます。
ですから後生と関係のない人は八十億の人があっても一人もありません。
私たちの確実な未来が後生です。
そういう問題を全人類が持っています。
その確実な未来が暗いと困ります。
誰しも明るくあって欲しいので、死んだらどうなるのか考えます。
それに対して、後生に2通りの一大事があると仏教で教えられています。
1.極楽往きの後生の一大事
後生の一大事の一つ目は、往生浄土の一大事です。
蓮如上人は、御文章にこういわれています。
「信心決定して、その信心の趣を弟子にも教えて、諸共に今度の一大事の往生をよくよく遂ぐべきものなり」
「今度の一大事の往生」というのが後生の一大事です。
「今度」というのは、今から100年も生きている人は一人もありません。
生きていたとしても、100年くらいあっという間です。
あっという間に行く世界が今度の後生です。
「往生」とは、往って生まれると書きます。
「往」は阿弥陀仏の極楽浄土へ往くということです。
極楽浄土は、明るい世界ですから、親鸞聖人は「無量光明土」といわれています。
そして「生」とは、仏に生まれるということです。
人が死ぬと、死んだ人はみんな仏と世間ではいわれますが、それは仏とはどんなことか知らないのです。
仏というのは、低いものから高いものまで52あるさとりの最高のさとりであるとお話しました。
仏のさとりを開くということは大変なことで、地球上で仏のさとりを開かれた方は、今日までお釈迦様以外にありません。
そういう仏の身に生まれるということです。
私たちのような者が、死んで極楽へ往って仏に生まれるということは大変なことですから一大事といわれるのです。
これも死んでからのことですから後生の一大事です。
それを「今度の一大事の往生をよくよくとぐべきものなり」といわれています。
しかしこれは、誰でも死んだら極楽へ往って仏に生まれられるわけではありません。
信心決定した人だけですから、
「信心決定して、その信心のおもむきを弟子にも教えてもろともに」
といわれているのです。
信心を決定すれば、いつ死んでも極楽という身になります。
こんな悪人が死んで極楽へ往って仏になるというおおごとですから一大事といわれるのです。
「もろともに」とは、みんなと一緒に、ということです。
一人も残らず往生できるように、信心決定しなさいと教えられています。
これは死んで極楽へ往って仏に生まれるという後生の一大事です。
ところが後生の一大事にはもう1つあります。
つづく