こんなことを書くと、頭のおかしい人のように見えますか?

 最近私の頭の中にこんな言葉が流れる時があるのです。

 今日はそんなへんてこな言葉を解説します。

 信じなくても大丈夫ですからね。

 一般的に信じられている 「時間は、過去から未来に向かって流れている」という概念、実はこれ、西洋の古典的な時間観です。
 創造主が宇宙を作ったことからすべてが始まり、現在に至り、そして未来につながっていく・・・という大前提があるため、 そう考えないと神の存在が肯定できないからです。
 現在の結果は 過去に原因があり、 この現在の状態を原因として 未来に結果がある・・・と一般的に考えますが 果たして そうでしょうか?

「時間は、未来から過去に向かって流れる」 

と言ったら どう思われますか?

 例えば、あなたは今、この私のブログを読んでいます。 
 「かとチャンのブログ」を読もう、と思った時点では、この瞬間(読んでいる今)は未来にありました。
未来に「読む」という設定をし、読んだ瞬間に過去に流れる・・・ 


①未来に設定し~
②それが現在となり~ 
③過去に流れる~・・・

読もう(未来)右矢印読む(今)右矢印読んだ(過去)


 一瞬も途切れずに流れているもの、それを時間と呼ぶのではありませんか?

 さっきの例では、未来から過去に時間は流れていませんでしたか

 あといくつかの例を挙げてみます。


 自分が頭が悪い(結果)のは、過去に勉強しなかった(原因)からだ、と思う人がいるとします。(因果の道理) 
 でも本来、勉強するはずの時間に TVを観よう(未来)と決めて・・・ TVを観た(今)・・・貴重な勉強時間が無くなった・・・(過去) 
 それを繰り返しているうちに、成績は上がらず、そのうちに 

「いいんだもんね~ 別に 東大に行きたいわけじゃないんだし・・・」

と未来設定を変えてしまった・・・ 
その通りに 今がある・・・


 常日頃から「人生は 思い通りにはならない」と文句を言って、結局思い通りにならなかった男がいたとします。 
 この男、実は思い通りになっていた、とはいえませんか?

 

大切なのは 『未来設定』なのです。
 最善の未来を設定すること、そしてそれを強く思うこと、それが仏様の意に沿うこと(真理に適うこと)なら 必ずその通りになります。

 要するに、因果の道理を逆に利用するのです。

 まずは未来を設定します。それは願いではいけません、結果としての現実として設定するのです。(ここが一番難しい)

 願望ではダメです、具体的な決定事項なのです。(未来設定)

そこから枝分かれした今に自分の言動があるのです。(現在から過去の言動)

 そうすると、未来設定に反する言動・行動は起せなくなりませんか?

 ほら、未来から過去に時間が流れていませんか。

 つまり「明日」は現在の方向に向かって流れて来ていて、「今日」はどんどん過去に流れていっているのです。

 

 これは川の中にあなたが立っていることを想像するとより分かりやすいかもしれません。

あなたは川の中に立っているとします。

上流が未来、下流が過去です。

 未来からあなたに向かって大量の水(時間)が流れて来ていて、それがどんどん下流に流れていきます。

たとえあなたが川の中で立ち止まっていたとしても、「時間」という水の流れは止まることなくどんどん上流から下流に向かって流れているのです。

 そして、あなたが自分の未来を考える時には、どの未来を手にしたいかを決定して、それを手に入れられるように今を進めばいいのです。

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 それを過去の統計・体験からみて、手に入れられそうなものだけを想像するだけでは、あまりに選択肢を狭めてしまいます。

 もっと自分の未来を自由に発想していいはずです。

 選択肢は無数にあるのですから。

 私が病気(脳出血)になり、絶望から自殺を考えた時、阿弥陀さんに出遭えて、生きる意味を与えられ、将来は「自殺者を一人でも少なくする活動をする」と決めた事でこのブログを発信をしている今を見るに、時間は未来から過去に流れているのではないかと考えたのです。

 私って何か変でしょうか❓