この世の自業苦(地獄)

テーマ:

 皆さんは、地獄と聞いて、どんなイメージを持つでしょうか。

 

 平安時代の源信僧都(げんしんそうず)は
往生要集』(おうじょうようしゅう)に、
正法念経』(しょうぼうねんぎょう)
観仏三昧経』(かんぶつざんまいきょう)などの経典や、
智度論』(ちどろん)
倶舎論』(くしゃろん)
瑜伽論』(ゆかろん)
などに説かれている地獄の様子を詳しく解説しておられます。

 そこには、地獄の様子が生生と描かれています。

 地獄を八つに分けられているのが、「八大地獄」です。
「八熱地獄」ともいわれます。
八大地獄とは、次の8つです。
(1) 等活(とうかつ)地獄

(2) 黒縄(こくじょう)地獄

(3) 衆合(しゅうごう)地獄

(4) 叫喚(きょうかん)地獄

(5) 大叫喚(だいきょうかん)地獄

(6) 焦熱(しょうねつ)地獄

(7) 大焦熱(だいしょうねつ)地獄

(8) 阿鼻(あび)地獄 :無間(むけん)地獄と言われます。

 一つづつ見てゆきましょう。

(1) 等活地獄(とうかつじごく)

八大地獄の中では最も軽い地獄。
人間界の900万年を1日1夜とし、500歳の寿命を持つ。
ここに堕ちた者は、悉く手に鉄の爪を生じ、互いの肉を破り合うと説かれている。


(2) 黒縄地獄(こくじょうじごく)

等活地獄の下にある。
獄卒(鬼)が罪人を熱鉄の地に臥せて、
熱鉄の縄を縦横に押しつけ、
その縄に随って熱鉄の斧(おの)や鋸(のこ)をもって罪人を引きさくと説かれている。


(3) 衆合地獄(しゅうごうじごく)

黒縄地獄の下にある。
二つの石山の間に獄卒が罪人を追い込んで押し潰し、
或いは砥石(といし)にかけ、
鉄臼(てつうす)で餅の様につく。
刀葉林地獄(とうようりんじごく)もここにあると説かれている。


(4) 叫喚地獄(きょうかんじごく)

衆合地獄の下にある。
大鍋に投げ込まれ煮られ、更に大火坑で焼かれる。


(5) 大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)

叫喚地獄の下にある
苦相は同じだが、苦しみの程度は叫喚地獄の10倍。


(6) 焦熱地獄(しょうねつじごく)

大叫喚地獄の下にある。
熱鉄地に煎餅の様に叩き潰され、
大火炎の中に投げ込まれ、全身の孔から火を噴き始める。
この地獄の火に比べると、前5つの地獄の火などは
雪か霜の如しと説かれている。


(7) 大焦熱地獄(だいしょうねつじごく)

焦熱地獄の下にある。
苦相は同じだが、苦しみの程度は焦熱地獄の10倍。


(8) 阿鼻地獄(あびじごく)
最も苦しみの激しい地獄。
前7つの地獄のさらに下にある、と説かれている。
寿命は8万劫。
1劫は4億3千2百万年。
苦しみがヒマなくやってくるので「無間地獄(むけんじごく)」といわれる。

 

 五逆(ごぎゃく)と謗法(ほうぼう)の者は、無間地獄へ堕ちると説かれています。

 皆さんは地獄というのは、死んでから行くところと思っている人がほとんどでしょう。

 しかしお釈迦様は「大無量寿経」(だいむりょうじゅきょう)に、

 「従苦入苦、従冥入冥」

(じゅうくにゅうく じゅうみょうにゅうみょう)
“苦より苦に入り、冥(やみ)より冥(やみ)に入る”と説かれています。

お釈迦さまは、どんなことを言われているのでしょうか、
これは、
苦から苦、冥(やみ)から冥(やみ)の綱渡りで、
今、苦しみ悩みの絶えない者は、必ず死後も苦しみを受ける。
現在が闇の生活を送っている人は、死後もまた、闇の地獄ヘ堕ちていく、

「この世のジゴクから、死後のジゴクへと堕ちていく」
とおっしゃったお釈迦さまのお言葉です。

 「地獄」というのは中国の昔の言葉ですが、日本の言葉で言いますと、「苦しみの世界」ということです。
 “この世のジゴク”というのは、何のために生きているのか分からず、毎日が不安で、暗い生活をしていることをいいます。
 自分の業(ごう:行為)が生み出す苦しみですから、「自業苦」(じごく)とも書きます。
 蚕(かいこ)は自ら吐いた糸で繭(まゆ)に閉じ込められ、湯玉に煮られて苦しむように、SNSでの心ない発言で人を傷つけ(=悪い行い)、自らも誹謗中傷されたり(=悪い運命を受ける)。
暴力振るって(=悪い行い)妻に逃げられ、途方に暮れる(=悪い運命を受ける)。
 など、「身から出たさび」の実例は世の中にあふれています。


「苦労してでも育てておけば、
 老いても大事にしてくれるに違いない」

との思惑が外れて、生んだわが子に虐待され、
「こんなことなら生まなきゃよかった」
「自分ほど業(ごう)な者はおらん」

と老人ホームで愁嘆する老婆の声は、周囲に満ちています。

 科学は進歩して、物は豊かになりましたが、日々、同じことの繰り返しで、「こんな毎日にどんな意味があるんだろうか」と虚しい心を抱えて暮らしている人。

 満員電車に揺られている人々の中に、心からの晴れやかな笑顔はどれだけあるのでしょうか。

仕事や子育てにすべてを傾けてきた。

それなりに充実感はあったけど、この歳になり
“これで人生終わっていいのか”と思うと、
“何かやり残したことがあるのでは?”とスッキリしない心はないでしょうか。

 心の奥底は、何のために生まれ、何のために生きているのか分からない。
 “人間に生まれてきてよかった”という生命の歓喜が湧いてこない。
そんな心を“
無明の闇”というのです。
 何不自由のない生活を送っている人の中にも、人知れず、真っ暗な心に悩んでいる人があるのではないでしょうか。

ある一人の女子大生が、カウンセラーの教授を訪ねて、こんな相談をしてきました。

・・・・・・・・・・

 私は、何か特別な悩みがあるわけでもなければ、すぐに解決しなくてはならない問題を抱えているわけでもありません。
 だから本当は、ここに来る必要はないのかもしれない。
 けれど、毎日がとにかくむなしくて、つまらなくて、たまらないんです。
 それを何とかしたいと思って、サークルに入ってみたり、友達と深夜まで遊んでみたり、やたらと勉強してみたりしたのだけれど、どれもうまくいかない。
 その時々はもちろん、楽しくなったり充実した気持ちになることはあります。
 けれど、どれも瞬間的なもので、すぐに冷めてしまうんです。

(中略)

 最近は、何をやってものめりこむことができません。
 遊んでいても授業に出ていても、そんなことをしている自分を見ている
もう一人の自分がいて、
「こんなことやって何になるんだろう」
という気持ちになってくるんです。

 友だちと遊んでいるとみんな楽しそうだから、「こんなこと思ってるの私だけなんだ」と思って、余計に落ち込んでしまいます。

 一番ツライのは、雰囲気壊しては悪いから、嘘の笑顔をつくろい続けなくてはならないこと。

 大学ももう、やめてしまおうと思ったけれど、親に悪いし、ほかに特にやりたいことがあるわけでもないから、とりあえず続けています。
 私だって、このままでいいと思っているわけではありません。
 一刻も早くこのむなしさの蟻地獄から脱け出したい。
でも、どうしていいかわからない。
そのきっかけがつかめないんです。
先生、私どうすればいいんですか。


助けてください……。


(『むなしさの心理学』諸富祥彦 著)

・・・・・・・・・・

 現在が闇の心で真っ暗な生活を送っている人は、未来も闇の世界へ入っていかねばならないと、
「冥(やみ)より冥(やみ)に入る」
とお釈迦さまは、示しておられます。


多くの人が、お釈迦さまのいわれる
「この世の自業苦」に人知れず呻(うめ)き、悶(もだ)え、苦しんでいるのではないでしょうか。


このような、
現在が心の暗い生活を送っている人は、死後も必ず真っ暗闇のジゴクへ堕ちて苦しまねばならないことを、
お釈迦さまは、

「従苦入苦、従冥入冥」
“苦より苦に入り、冥より冥に入る”
と説かれているのです。

 

 そんな暗い心を親鸞聖人は『教行信証』総序に

「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。」
何ものにもさまたげられることのない阿弥陀仏のひかり(光明)は、真実の智慧がない人間の闇を破る太陽である。

 阿弥陀仏の智慧の光明は、人間存在の奥底にある深い闇を破るはたらきをもつものであり、譬えるならば太陽の光のようである、と親鸞聖人は述べています。

破闇満願の幸せになるために 2 | かとチャンと仏教ブログ (ameblo.jp)

 私たちは、人間の「チエ」を精一杯はたらかせて、物事を判断し、行動しています。

 その「チエ」とは、たとえば善悪や優劣などの価値観であったり、近代科学の物の見方やそれぞれの「宗教」の世界観であったりします。

 しかし、私たち人間の「浅知恵」によって物事を見通すといっても、本当に物事を見たことになっていないのではないでしょうか。

 人間が精一杯考えた末の正義や善意であったとしても、そこには多くの問題があるのです。

 しかし阿弥陀仏の真実の智慧のはたらきだけが、人間の闇がどれほど深いものであろうとも、

 朝日が夜の深い暗闇を打ち破るように、真実の智慧は人間の深い闇を打ち破り、人間の苦悩を真に明らかにする大いなるはたらきとしてあるのだ。と親鸞聖人は教えてゆかれたのです。

南無阿弥陀仏