この四文字熟語を見て、内容が頭に浮かぶ人はよほど仏教にご縁の深い人でしょう。

 聞いたこともないと仰る方がほとんどだと思います。

 聞いてみると、なぁ~るほどと、納得できるかもしれません。

 

 お金もあり、容姿も端麗で、名声も得られたら、幸せになれるのでしょうか。

 その答えが、漢字四字で、釈迦の説かれた経典の中にズバリ、「有無同然」と示されています。

 今日でも使われることの多いこの四字熟語の中に、現代人にも潜む「幸福」についての誤解を解くカギが、あるのです。

 「有無同然」の四字に、現代人にも潜む「幸福」の誤解を解くカギ

美人で、裕福。しかも、頭もいい。そんな人は、たいてい、性格が悪いよね」と、ぼやいている人がいました。

 このような “ネタミ” の感情が、ついつい出てくるのは、裏を返せば、「容姿やお金に恵まれ、才能もあれば、どんなに幸せだろう。うらやましいなぁ」という気持ちの表れでしょう。

 

 では、お金もあり、容姿も端麗で、名声も得られたら、幸せになれるのでしょうか。

 その答えが、漢字四字で、釈迦の説かれた経典の中にズバリ、「有無同然」と示されています。

 「有無同然」といえば、今日でも使われている「四字熟語」です。

 この四字の中に、現代人にも潜む「幸福」についての誤解を解くカギが、あるのです。

 

独身生活と結婚生活、あなたはどっちを選ぶ?

「もっと給料が上がれば」「才能が開花したら」「社会的に認められたら」「好きな人と結婚できれば」「子供が生まれたら」「素敵なマイホームで家族で仲よく暮らせたら」……きっと幸せになれるだろうと期待して、私たちは、それらを求めて、日々あくせく生きています。

 お金や物など、何であっても、「“無い”よりも“有る”ほうが、幸福感は増すだろう」というのは、多くの人が想像するところですよね。

 

 ところが、仏教では、「たとえ、金や名誉、地位を得ても、生きることが苦しみであることは変わらない」ということが、『大無量寿経』という経典に、

「有無同然」という言葉で、次のように示されています。

「田なければ、また憂いて、田あらんことを欲し、
 宅なければ、また憂いて、宅あらんことを欲す。
 田あれば田を憂え、宅あれば宅を憂う。
 (中略)有無同じく然り」

(意訳)
〈田畑や家が無ければ、それらを求めて苦しみ、
 有れば、管理や維持のためにまた苦しむ。
 その他のものにしても、みな同じである〉

 例えば、子供のない時は、ないことで苦しみ、子供を欲しがる。

 しかし、そのように子供が欲しいと思っている人も、実際に子供が生まれると、今度は、その子のために、不安や心配、悩みが増すのです。

 

 子供が学校に通うようになれば、無事に帰ってくるまで心配です。

 特に、テレビなどで、事故や事件のニュースを見たあとは、なおさらでしょう。

 あるいは、子供が暗い表情で帰宅して夕食もほとんど食べずに部屋に籠もったまま出てこない。

 そんな時は、「クラスメイトからイジメられているのではないか」「親にも言えないほど苦しんでいるのか」と心配になります。

 さらに、テストの点数が悪い日が続くと、「将来、うちの子は大丈夫かな」と、これまた心配の種になるでしょう。

 子供が、いてもいなくても、有っても無くても、どちらにしても、苦しんでいるのです。

「結婚すれば、幸せになれる」と思って、独身生活にピリオドを打ち、結婚をする。

 ところが結婚すると、理想と現実の違いを思い知らされたり、それまで気づかなかった相手の欠点が目につくようになったり、人間関係の煩わしさもいろいろ増えたりして、「やっぱり、独身時代のほうが気楽でよかったな」と後悔している人もあるようです。

 

 デンマークの哲学者・キルケゴールは、「結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう」と言っています。

 この言葉も、「有無同然」を表しているといえるでしょう。

 お金や物、名誉や地位が「無い」のが、苦しみの元ならば、それらに恵まれて「有る」ようになった人生は、喜びに輝くことでしょう。

 しかし、幾つかの生々しい声を聞いてみると、やはり、「有る」人も、苦しんでいることが伝わってきます。

 アイフォンで有名なアップル社の設立者の1人、スティーブ・ジョブズ氏は、晩年に、「私はビジネスの世界で成功の頂点に君臨した。他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。しかし、仕事を除くと喜びの少ない人生だった」と告白していました。

 『雪国』などの作品で知られる小説家・川端康成は、昭和43年、69歳で、日本人初のノーベル文学賞に輝きました。

 しかし、その日、報道陣に、つぶやくように、「この受賞は大変名誉なことですが、作家にとっては名誉などというものは、かえって重荷になり、邪魔にさえなって、萎縮してしまうんではないかと思っています」と語りました。

 その後、創作の筆は止まり、受賞から4年目の春、仕事場である神奈川県逗子市のマンションでガス自殺しているのが発見されました。

 

 ノーベル文学賞を受賞したアイルランド出身の劇作家バーナード・ショーは、「人生には二つの悲劇がある。一つは願いが叶わぬこと、もう一つはその願いが叶うこと」(『人と超人』)と述べています。

 有る人は「金の鎖」で、無い人は「鉄の鎖」に縛られているようなものでしょう。

 材質が、金か鉄かの違いで、縛られて苦しんでいることに、変わりはないようです。

このように、 有っても無くても、種々に悩ましいのが人生です。

 本当の幸せになるポイントは、お金や名声などの「有無」とは、別のところにあるのだと、仏教では、2600年の古、すでに鮮明にされています。

 そして、原始時代も、人工知能の研究が進む今日も、古今を通じて変わらない、本当の「苦悩の根元」と その「解決の道」を明らかにされているのが仏教なのです。

 それが「無明の闇」であり「阿弥陀仏の本願」なのです。