人が居なくなることに理解が追いつかない。 | さんちゃん@れに推しと申します。

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今思ってることを書いておいて、あとで読み返したいから、自分のためのブログ。


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俺は人よりも理解が遅いんだと思う。


母親が2012年の冬に末期ガンだと診断されて、いきなり余命わずかだとわかった。

正直言って内容はすぐに理解できた。もうすぐ母親が死ぬ。それはとてもわかりやすい話だった。ガンのことも抗ガン剤のことも必死に調べたからすぐ理解できた。

ガンに冒されてる臓器を全て摘出したらヒトとしての生命活動が維持できない。ガンは治せない。だから死ぬしかない。

とても簡単な理屈だった。納得できる説明だった。


でも、俺は本当の意味ではわかってなかった。母親に2度と会えなくなるんだ、ってことの理解がどうしてもできなかった。


ちなみに、姉は診断の直後から泣いていた。医療関係に勤めていた時期があるからなのかも知れないが、実の母親が末期ガンだと知ってとても狼狽していた。


俺はネットで見つけたアドバイス通りに、生きている内の母親の映像を撮影しまくった。あとで後悔しても遅いから映像に残しなさいと書いてあったからだ。

その中で姉がこの世の終わりみたいな顔をしてるのを見て、俺はなんだか不謹慎な空気に耐えられなくて爆笑したりしてた。

それくらい実感がなかった。

なぜなら母親がまだ生きていたから。


その後、日数が経つにつれてだんだん実感が湧いてきた。一人で運転してる時にふいに涙が止まらなくなることもあった。でもそれはあんなにいい人が死ななきゃならないなんて神様が殺人をしているように感じて、母親が可哀相だったからだった。大好きな母親が殺されるのが悲しすぎて泣いていたんだと思う。


いざ亡くなったときも、ついにその時が来たかという感じで、その瞬間は意外と平気だった。母親の遺体を前にして、家族みんなで集まって、これからの葬式の段取りなんかを相談して、姪っ子と冗談を言い合ったりして笑ってた。不思議だけど家族みんなで集まって少し楽しかったりもした。


自宅に母親の遺体が帰ってきたあとも、訪ねてくる知人が泣き崩れたりする姿を見てどこか他人事のように感じていた。


さすがにお葬式のときは「お母さんが死んじゃった」という一般的な悲しさみたいなものでずっと泣いてた。お母さんが死んじゃったんだよ?それは本当に悲しかった。本当に本当に悲しかった。


でも、まだ二度と会えないという実感が無かったんだ。まだ遺体という母親の形をしたものがあったからかも知れない。



葬式の後、忙しい毎日の中でだんだん喪失感みたいなものが薄れてきたので、3か月くらいしてからふと撮りためていたデジカメの動画を見た。


映像の中で、お母さんが笑ってしゃべっていた。


それを見て初めて、「もう二度と会えないんだ」ってやっと実感した。

平気だと思っていた自分がバカだった。

涙が止まらなかった。

今頃になって、やっと寂しくてたまらなかった。

実感するのがおそすぎた。