南丘喜八郎   老人よ! 大望を抱こう ─ 烈士は暮年なるも 壮心已まず (月刊日本四月号巻頭言 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。




南丘喜八郎   老人よ! 大望を抱こう ─ 烈士は暮年なるも 壮心已まず (月刊日本四月号巻頭言より)

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 中国・三国時代の英雄曹操は『三国志演義』ではもっぱら劉備玄徳の敵役だが、実際は武人、政治家、詩人として、中国の歴史上では傑出した人物である。晩年、北辺の蛮族を討って凱旋し、「歩出夏門行」を詠んだ。

 老驥は櫪に伏すも 志は千里に在り  (駿馬は老いて馬屋に伏すも、千里を駆ける意志を持ち続ける)

 烈士は暮年なるも 壮心已まず    (男児は黄昏時を迎えても、猛々しい壮心を燃やし続ける)

 曹操この時五十三歳。その後も劉備、孫権らとの戦闘に明け暮れ、最晩年に至るも戦いを続けて遂に六十五歳にして宿敵関羽を殺す。


強靭な精神と肉体を誇った曹操であったが、六十六歳にして不帰の客となる。しかし、この曹操の熾烈な生き様と「烈士暮年壮心不已」の言葉は、その後幾多の壮年・熟年の人々を叱咤し、激励してきた。

 時代は下って宋の時代、詩人蘇軾が友人と赤壁の下で遊び、「赤壁賦」を詠んだ。「槊を横たえて詩を賦す。固に一世の雄なり」と、英雄曹操への思いを謳い上げる。死に至るまで戦い続けた英雄的武人への挽歌である。

 中曽根康弘元総理は現在九十五歳だが、矍鑠としており、今も現職時と異ならず、政治の現状に的確なアドバイスや批判を続ける。その中曽根元総理がよく揮毫するのが曹操の「烈士暮年壮心不已」だ。



 我が国の戦国時代に「烈士暮年壮心不已」を実践した、曹操に優るとも劣らぬ、文武両道の武将がいた。

 戦国時代の風雲児と呼ばれた北条早雲である早雲は六十四歳にして天下取りを目指し、八十八歳の高齢で斃れるまで、大志・大望を抱いて倦むことを知らなかった

 早雲の本名は伊勢新九郎盛時。室町幕府政所に出仕していたが、応仁の乱が勃発し、将軍足利義政の弟足利義視と共に伊勢に下る。


その後、駿府の今川家を頼って身を寄せた。早雲の三十七歳前後の頃である。ほどなくして伊豆の韮山で、公方政知の死後内紛が生じ、早雲はこれに乗じて堀越御所を攻略し、やがて伊豆全域を支配する。

 明応四年(一四九五)九月、早雲は天下取りを目指す。扇谷上杉氏の重臣大森藤頼の拠る小田原城を攻略し、関東制覇に乗り出した。このとき早雲六十四歳。


同時代の織田信長は四十八歳、豊臣秀吉が六十一歳で斃れたことを考えれば、早雲はまさに老齢だ。しかも、関東を制覇した早雲が他の武将と決定的に違うのは、この時代では異例ともいうべき「四公六民」の減税を断行し、善政を敷いたことである。

 これは早雲の仏心への敬虔なる思いと民百姓に対する慈であった。早雲の偉大さは、その後も只管戦い続け、老後も余生もなく、八十八歳で死去するまで大志を抱いて倦むことを知らなかったことである。


この早雲の遺風は子孫もこれを継承し、旧勢力を一掃して優れた統治を実践し、その栄光の歴史は北条五代の善政として称えられ、今に至るも関東の山野に馥郁として余薫を残している。(神澤惣一郎『政治と詩歌』を参照)

 勝海舟は『氷川清話』で、北条早雲を高く評価する。

 〈北条早雲という男もなかなかの傑物であった。赤手空拳で以て関八州を横領し、あまねく人心を収攬したのは、なかなかの手腕家だ。当時の関八州は万事京都風で、こむつかしいことばかりであった。


そこへ早雲がきて、繁文縟礼の弊風を一掃してしまい、苛税を免じて民力の休養をはかった。これでうまく治めたのだ。徳川時代には小田原付近から関八州にかけてが、全国中で一番地租の安いところであったが、これは全く早雲の余沢だ。〉

 また吉田松陰も、早雲を名将として激賞する。

 〈先ず勝ちて而る後戦を求め、これを修めて而る後人を攻む。寧ろ曠日久しきも而も且つ悔いず、一旦機来れば、江河を決するが如く、火の原を燃やすが如し。是れ北条早雲の、戦えば必ず勝ち攻むれば必ず取り、之を五世にすることを得て功業日に昌に、豊臣・徳川の勇知を以てして、俄かに取る能はざりし所以なり。〉(『未焚稿』)

 この北条早雲の生き様、治世を支えたのは、自らが定めた「早雲寺殿二十一箇条」という家訓である。

  第一条  仏神を信じ申すべき事

  第十二条 少しの隙あらば、物の本、文字あるものを懐中に入れ、常に人目を忍び見るべし。

  第十五条 歌道なき人は無手に賤しきことなり。学ぶべし。

 八十八歳の米寿に至るまで四肢に力を漲らせ、文字通り「烈士暮年壮心不已」を実践した北条早雲。

 老人たちよ! 北条早雲の顰に倣い、大望を抱こうではないか。