南丘喜八郎 :この法案はあまりに政党を嘗めている | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

南丘喜八郎 :この法案はあまりに政党を嘗めている
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 昭和十三年二月二十四日、第七十三通常議会において近衛内閣の提出した国家総動員法案の審議が開始された。前年七月、盧溝橋で日中両軍が衝突して支那事変が始まり、改革派の陸軍少壮将校や革新官僚の間では、国民一丸となって戦争に集結、動員する国家総動員法を制定すべしとの気運が高まっていた。
 


国家総動員法の歴史は古い。フランスの歴史家アレクシス・ド・トックヴルは著書『アメリカにおける民主主義』(一八三五年)で「戦争は行政権の異常な強化と議会制度の伝統的な機能の停止、または強度の抑制を伴い、法律の支配に代うるに命令の支配を生む」と指摘している。


まさに少壮軍人らは、「法律の支配に代うるに命令の支配を生む」総動員体制の樹立を目論んだ。
 


議会に上程された国家総動員法案は「戦時ニ際シ国家総動員上必要アル時ハ」、物資・生産・金融・会社経理・物価・労働など経済の全ての分野に亘り、政府が命令一本で統制措置を実施、さらに言論の統制、労働争議の禁止すらできる、というものだ。


運用如何によっては、法治主義の原則を無視、議会を骨抜きにして、政府に独裁権力を与えかねない危険なものであった。
 


質問の先陣を切ったのは民政党の斎藤隆夫である。岡本一平に「ねずみの殿様」とニックネームをつけられ、風采は上がらぬ政治家だが、軍国主義全盛の時代にあって、「言うべきことは断固として言う」硬骨漢だ。
 


斎藤は冒頭で「国家総動員法は国民の生存権に一大制限を加えんとするものである」と述べて、「委任立法」の適法性を鋭く衝き、厳しく追及する。
 


「憲法に保障せられて居ります所の臣民の権利自由を、法律に依るにあらざれば制限することの出来ないものをば、憲法上の機関たる議会に諮らない、枢密院に諮らない、政府の独断専行に依って決したいからして、これを要する委任状を貰いたい、白紙の委任状に盲判を捺して貰いたい、これよりほかにこの法案全文を通じて何等の意味は無いのである」
 


議場は「白紙の委任状に盲判を捺せというのか」の一言でどよめいた。法案の本質をズバリ言い当てたのだ。
 斎藤は演説後半で、この法案はナチス・ドイツの「授権法」に酷似していると厳しく追及する
 


「此立法は嘗て独逸のナチス政府が採った所の立法と稍々相類似して居る所がある、ほとんど兄弟分ではないかと思われるのであります。ナチス政府は此授権法を握って以来、勝手自由に数多の法律を製造した結果、事実においてドイツの憲法は変更せられて居るのであります」
 


実は斎藤の見通し通り、革新官僚や少壮軍人らは、ヒトラーに独裁権力を付与した授権法を参考に、国家総動員法の起案に当ったのだ。最後に斎藤は、軍人や革新官僚らに媚びる同僚政治家や国民一般にも痛烈な批判を加える。
 


「近来動もすれば時局問題及び国防問題に付きましては、唯盲目的に、無条件に政府に服従することを以て、愛国者なりと心得て居る者がある。世の中の俗物は卒ざ知らず、吾々苟も憲法の委託に依って国政の根本に参画する権能を与えられて居る者は、斯の如き考は少くとも吾々の間に於ては通用しないのであります」
 


この斎藤の質問に企画院総裁が答弁に立ったが、議場は「総理はどうした」「外務大臣を出せ」と騒然となり、暫時休憩となった。


この休憩中、斎藤は友人にこう語った。「この法案はあまりに政党を嘗めている。僕は自由主義最後の防衛のために一戦するつもりだ」。だが結局、国家総動員法はすんなりと成立してしまう。

 さて、前国会では、言論・表現の自由を脅かす恐れのある特定秘密保護法が十分な論議が尽されないまま成立した。大方の議員は、国家機密を保全することは国民にとって当然の義務であり、違反者には厳罰で臨むべしとの政府の説明を鵜呑みにするだけ。


この秘密保護法の影に潜む、官僚による強権独裁の萌芽に気づいた者は僅かに過ぎなかった。愛国者面をして、権力に阿る議員や言論機関に憤りを感ぜざるを得ない。
 政治家諸公よ! 凛として国政壇上に屹立した斎藤隆夫の硬骨に学んで欲しいものだ。

 斎藤は二年後の昭和十五年、反軍演説で議会を追放されるが、この時、一篇の漢詩を残した。それを記す。
  吾が言は即ち是れ万人の声 / 褒貶毀誉は世評に委す
  請う百年の青史の上に看る事を / 正邪曲直自ずから分明
(月刊日本1月号【巻頭言】より)