酒井信彦  中韓をつけあがらせる日本の軟弱外交 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

酒井信彦  中韓をつけあがらせる日本の軟弱外交
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韓国の朴大統領が、六月二十七日から三十日まで、四日間にわたって中共を訪問した。今回の訪問の基本的性格は、歴史上初めて日本訪問より中共訪問を優先させた事実に、明瞭に表れている。すなわちそれは中共と結託して日本を抑圧する、対日外交攻勢の発動であった。

二十七日の習国家主席との首脳会談後に発表された共同声明のポイントは、二十八日の産経新聞の記事によれば、「両首脳は共同声明に『最近、歴史問題などにより(北東アジア)地域の国家間の対立と不信が出現し、状況はさらに悪化している。これに対して憂慮を表明する』との文言を盛り込み、日本を牽制した」とある。日本という名指しはなかったものの、明確な両国による対日攻撃である。

この産経の記事では、アメリカが韓国に日本批判を避けるように働きかけ、韓国は当初この文言を盛り込むことに消極的であったが、中共側の強い意向で入れられた可能性が高いと説明している。

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しかしこれはどこまで本当のことなのか、はなはだ疑問である。韓国側も極めて積極的だったのではないのか。それは朴大統領による、歴史問題を利用した露骨な対日攻撃が、中共滞在中に次々と繰り出されているからである。

二十九日には習主席の出身校である清華大学で講演して、北東アジアにおいては、経済的な相互依存関係は進展しているが、「歴史と安全保障問題では葛藤と不信により、政治、安保協力」は経済関係に及ばないと述べて、北朝鮮と並べて日本を北東アジアの不安定要因だとやり玉に挙げた。

二十八日の迎賓館における首脳の昼食会では、大統領は習主席に対して、伊藤博文を暗殺した安重根は、「韓中両国民にとって尊敬すべき歴史的人物だ」と述べて、「安重根の記念碑を暗殺現場の中国黒竜江省ハルピン駅に設置するための協力を要請した」という。

二十九日に大統領は陝西省の西安を訪問したが、同地は「日本の朝鮮半島統治に抵抗した朝鮮人らが1940年代に部隊置いた」ところで、大統領は「同省の共産党幹部に記念碑建立の許可を出すよう求めた」。慰安婦問題で味を占めた記念碑建設作戦を、中共でもやろうとしているわけである。

今ではすっかり忘れ去られているが、中共と韓国が歴史問題による対日攻撃で、明確に共闘をうたったことが過去に在った。それは今から約二十年前の一九九五年秋に、江沢民と金泳三が行ったもので、きっかけは江藤総務庁長官による発言だった。

またこの年は、終戦からちょうど五十年に当たり、夏には例の村山談話が出されている。ただしこの共闘は、順調には発展しなかった。以後、日韓関係においては、韓国大統領の政権初期には、未来志向が打ち出されるが、末期に至ると人気取りのための、日本批判が展開されると言う、お決まりのパターンが繰り返されてきた。

しかしそのようなあり方は完全に様変わりした。今度は政権の発足から、完璧な反日政権が成立したのである。日本は今後、中共とはもちろん韓国との間でも、良好な外交関係など望むべくもない。

二十八日の朝日新聞朝刊は、首脳会談後の共同会見について、「習氏は共同会見で、名指しは避けつつ、領土や主権問題を念頭に『相手の核心的利益や関心をお互いに尊重することで一致した』とも語った」と、極めて大事なことに言及している。

とすれば、韓国大統領は、中共による核心的利益の解釈に賛同したわけである。中共は日本の尖閣諸島を、自己の核心的利益であると主張して、日本領土への侵略を宣言しているのだが、韓国は単に歴史問題において、中共と共闘するだけでなく、現実の領土問題においても、中共の側に立つことが明確になった。

ただしこのような事態の到来に関して、日本人はまだまだ鈍感なようである。日本のマスコミは、頻りに中韓両国が「日本を牽制した」といった表現を使っているが、「日本を敵視した」と明確に表現すべきである

そもそも中韓両国の歴史問題を利用した日本攻撃は、誹謗・中傷であり、偏見・差別・迫害であった。朝日を代表とする民族の裏切り者は、中韓の手先となって、外圧をわざわざ呼び込んだ。

その卑劣極まる攻撃に対して、政府・自民党は積極的な反撃をせず、屈伏し続けてきた。その愚かな歴史を積み重ねた結果が、現在の事態である。


つまり、このような悲惨な現実に立ち至ったのには、日本自体の責任も多大に存在することを、深刻に反省しなければならない。今の我が国に必要なのは、まさにそのことである。

『月刊日本』2013年8月号 羅針盤より)