イジメを無くすためには神話や教育勅語で道徳教育を
大津市の中学生イジメ自殺事件はあまりにも卑怯な事件であった。加害者の餓鬼は日本国民とは思えない卑怯な振る舞いをした。
それを見ていた教師は日本国民の所業とは到底思われず在日ではないかと疑った。
学校長始め学校の教員や教育委員会、市長などは誠に無責任である。
イジメをなくすための根本問題は日本の教育にある。即ち、小学生から道徳教育を神話や教育勅語による徹底的な修身教育が必要である。
何故なら現在の教育では、児童・生徒の人権ばかりに配慮しており、義務を教えていない。
だから私の権利ばかり主張し、利己的な国民が増え、国家のために尽くそうとする愛国国民が少ない。
従って小学生の小さい頃から教育勅語を暗唱させ道徳と道義を精神に叩きこむ必要がある。
また、神話教育により我が国の成り立ちや万世一系の天皇の御存在が世界に誇り得る国体であることを教えこまねばならない。
更に、中学生や高校生には、「国体の本義」(昭和12年、文部省編纂発行)を教科書にして我が国体の本義や精華を教えなければならない。
この教育は立憲君主国としての国民には必須なのである。
日本は立憲君主国なのに共産主義に被れた国民や教師や天皇を憎む在日朝鮮人などによって神話や教育勅語による教育が反対されてきた。
教育勅語は、正に「朋友相信じ」や「父母に孝に」と教えているではないか。そう言われればイジメはいけないと思い、イジメることはは親不孝になり、自殺などしたら親不孝と思う筈である。
それから今の児童・生徒は何の為に勉強するかがよくわかっていない。
親や教師は勉強するのは自分のためだとしか教えない。それでは、彼らは満足しないのである。
教育勅語のようにはっきりと社会や国家のために勉強するのだと言う親や教師は少ないのである。
児童・生徒は国家の為に尽くせと言われて重荷に思うことなどなくて逆に己の崇高な使命に燃え愛国心に目覚めるのである。
日教組の教師たちが卒業式で「仰げば尊し」を歌わせないのも立身出世を教えるのを忌み嫌ったからである。
日本の道徳教育の改革をしなければいつまでもイジメは続くであろう。
古いなどと言ってはならない。温故知新は教育の要諦である。
「教育勅語」
朕 惟 フニ我カ皇 祖皇 宗 國 ヲ肇 ムルコト宏 遠 ニ チンオモうにワがコウソコウソウクニをハジむることコウエンに 德 ヲ樹ツルコト深 厚 ナリ トクをタつることシンコウなり
我カ臣 民 克ク忠 ニ克ク孝 ニ億 兆 心 ヲ一 ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ ワがシンミンヨくチュウにヨくコウにオクチョウココロをイツにしてヨヨソのビをナせるは 此レ我カ國 體 ノ精 華ニシテ教 育 ノ淵 源 亦 實 ニ此 ニ存 ス コれワがコクタイのセイカにしてキョウイクのエンゲンマタジツにココにソンす 爾 臣 民 父母ニ孝 ニ兄 弟 ニ友 ニ夫 婦相 和シ朋 友 相 信 シ恭 儉 己 レヲ持シ ナンジシンミンフボにコウにケイテイにユウにフウフアイワしホウユウアイシンじキョウケンオノれをジし 博 愛 衆 ニ及 ホシ學 ヲ修 メ業 ヲ習 ヒ以 テ智能 ヲ啓 發 シ德 器ヲ成 就 シ ハクアイシュウにオヨボしガクをオサめギョウをナラいモッてチノウをケイハツしトクキをジョウジュし 進 テ公 益 ヲ廣 メ世 務ヲ開 キ常 ニ國 憲 ヲ重 シ國 法 ニ遵 ヒ ススンでコウエキをヒロめセイムをヒラきツネにコクケンをオモンじコクホウにシタガい 一 旦 緩 急 アレハ義勇 公 ニ奉 シ以 テ天 壤 無窮 ノ皇 運 ヲ扶翼 スヘシ イッタンカンキュウあればギユウコウにホウじモッてテンジョウムキュウのコウウンをフヨクすべし 是 ノ如 キハ獨 リ朕 カ忠 良 ノ臣 民 タルノミナラス カクのゴトきはヒトりチンがチュウリョウのシンミンたるのみならず 又 以 テ爾 祖先 ノ遺風 ヲ顯 彰 スルニ足ラン マタモッてナンジソセンのイフウをケンショウするにタらん 斯ノ道 ハ實 ニ我カ皇 祖皇 宗 ノ遺訓 ニシテ子孫 臣 民 ノ倶 ニ遵 守 スヘキ所 コのミチはジツにワがコウソコウソウのイクンにしてシソンシンミンのトモにジュンシュすべきトコロ 之 ヲ古今 ニ通 シテ謬 ラス之 ヲ中 外 ニ施 シテ悖 ラス コレをココンにツウじてアヤマらずコレをチュウガイにホドコしてモトらず 朕 爾 臣 民 ト倶 ニ拳 々 服 膺 シテ咸 其 德 ヲ一 ニセンコトヲ庶 幾 フ チンナンジシンミンとトモにケンケンフクヨウしてミナソノトクをイツにせんことをコイネガう 明治二十三年十月三十日 御 名 御 璽 ギョメイギョジ