南丘喜八郎 月刊日本 巻頭感 赤子の泣くのは俺の心が泣くのだ | 護国夢想日記

護国夢想日記

 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

南丘喜八郎 月刊日本 巻頭感 赤子の泣くのは俺の心が泣くのだ
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 平成十一年三月十一日午後二時四十六分、マグニチュード九の巨大地震が東北地方を襲った。一気に一万数千人の命を奪い、海に呑み込んだ。原発事故は人々から住み慣れた住いを奪い去った。
 

 今も三千人を超える方々の行方が分からず、肉親は必死にその姿を捜し求めている。仮設住宅では孤独死、自殺者が後を絶たない。餓死者すら出ている。これが我が国の哀しい現実なのである。

 この一年間、政治家は一体何をしていたのか。怒りを禁じえない。国家国民の生命財産を守るのが政治家の使命であるなら、彼らは使命達成に身命を賭すべきではなかったか。
 

 大震災から一年後の追悼式で野田首相は「被災地の苦難に寄り添いながら、復興を通じた日本の再生という歴史的使命を果たしていく」と述べたが、余りにも白々しい。
 

 先月末、民間事故調査委員会の報告書は「国の当事者意識の欠落こそ、今回の事故を防げず、被害を最小限に食い止めることができなかった大きな原因の一つだ」と、政府の混乱と機能不全を厳しく批判した。政治家の使命感の欠如、当事者意識の欠落が、「人災」を生んだのだ。

 被災地を訪れると、今も高さ二十メートルにも及ぶ瓦礫の山が各所に点在する。被災した三県の瓦礫は二二五〇トンに達すると推定されている。だが、最終処分が完了したのは僅か数パーセントに過ぎない。全国の自治体が住民の反対を理由に瓦礫の受入れを拒んでいるのだ。国民も同様、当事者意識を欠落させている。
 

 石原都知事が「一刻も早く総司令官たる首相が瓦礫処理の号令をかけよ」と言っている通りだ。

 戦時下の昭和十七年十月、中野正剛は早稲田・大隈講堂で行った、「天下一人を以て興る」と題する演説の中で、天保大飢饉に際し、窮民を救うべく決起した大塩平八郎に言及する。
 

 大塩は飢餓に苦しむ庶民を見るに忍びず、決起を決意するが、門弟の一人が反対する。決起は弾圧されて失敗する、無駄ではないか、と。大塩はこう答える。

 「数日前、淀川の堤を歩いていると捨て子に出会った。その泣く声が実に俺の耳の底に響く。母親なるものが捨てた子を見返りながら立ち去りかけたが、また帰りきて頬ずりをする。・・・ついに意を決して捨てていったが、その母親さえももう飢えて死にそうな姿であった。


 お前は赤ん坊の泣き声とお前の心との間に紙一枚を隔てている。お前は赤ん坊を見物しているのだ。ただ可相相だと言いながら・・・。俺は違う。赤子の泣くのは俺の心が泣くのだ。捨てられた子、飢えたる民、それを前にして見物しながら思案する余地はない。・・」
  

 大塩の決起は、孟子の言う「忍びざるの心」の発露なのだ。中野正剛は大塩に託して、「赤子の泣くのは俺の心が泣くのだ」と獅子吼した。

 被災一年の追悼式で、手術直後の天皇陛下がお言葉を述べられた。
「国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようにたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います」
 

 政治家は使命感をかなぐり捨て、政局に奔走、天下国家・国民を忘却しているが、天皇陛下は被災者を「赤子」と考えておられるのだ。実に「赤子の泣くのは俺の心が泣くのだ」の、ご心境であられたに違いない。

 未曾有の危機に際して、天皇陛下のお言葉を深く噛み締めたい。

    被災地に寒き日のまた巡り来ぬ心にかかる仮住まひの人               御製



「甦れ美しい日本」   第1150号

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