アメリカ人の「南京虐殺の目撃証人」は一人もいなかった 松村俊夫
詳しい内容は下記URL参照
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/NO-AMERICAN-J.pdf
もし、これら教養のあるキリスト者9人の人々が実際に日本軍による虐殺や暴虐を見たとの記録を残していれば、南京事件は事実だったとの有力な証拠となる。
ところがおどろくべきことに、400頁以上あるこの資料が収めている膨大な彼等の記録には、事件が起きたとされる12月13日から翌年にかけて、日本軍による住民虐殺を目撃したという記述は全く無いのである。
強姦、略奪などの残虐行為も、難民からの訴えを聞いて現場へ駆けつけても犯人は逃げたあとで、実際に日本兵の犯行を見た人はいなかったのである。
つまり「書名」とは全く逆にアメリカ人の虐殺(残虐行為)の目撃証人は1人もいなかったということなのでなる。実は極めてミスリーディングな書名の本なのである。
では、何故これらの人々が目撃証人とみなされるようになったのかを調べるうちに衝撃的な事実がわかってきた。それは前記9人のアメリカ人のうち、南京陥落の直後から日本軍による暴虐を内外に伝え続けていたベイツとフィッチの存在である。
ベイツは蒋介石に任命されていた顧問として日本軍暴虐の宣伝活動を続け、その功績によって戦争中と戦後の二度も蒋介石から勲章を受けていた。(注1)
フィッチはベイツの協力者として働いたあと、1938年3月以降は香港を経由してアメリカに帰り、全米を反日宣伝をして廻っていただけでなく、7月には2つの大きな親中反日団体の立ち上げに加わり、その幹部として活躍するようになる。
(注2)彼等の宣伝の目的は、蒋政権からの依頼のもとに、日本軍がいかに残虐な軍隊であるかをアメリカの人々に宣伝することによってその同情をかちとり、蒋政政権への多くの援助を得ることにあった。
従って彼等にとっては、そのような宣伝内容が事実か否かは問題ではなかったのである。このような謀略活動は、今でも世界各地で見られるが、彼等の立場を知らなかった同僚のアメリカ人達は、日本人に対する理解不足もあって、ベイツとフィッチの主張をすっかり信用してしまったのである。
本論考は、以上のことを”Eyewitness to Massacre” の文章を主たる資料にして証明するものである。本文中に示す頁数は、断り無き限り”Eyewitness to Massacre” のそれである。読者の理解を助けるために南京の地図をなるべく示しながら説明を進めることにする。
甦れ美しい日本 第1144号