2022年01月03日の夜間に,唐突にめざめてしまったのですが,『黄昏の女』という楽曲が,無上瑜伽(秘密集会)の如く器官なき身体に侵入して来た可能性ばあります。
『黄昏の女』という楽曲は,おそらくは1972年ころ,作詞:千家和也さん,作曲:浜圭介さんという,所謂ひとつの「終着駅」と同じ組み合わせで生成された楽曲のようです。言うまでもなく,往時歌唱したのは,歌手の奥村チヨさんになります。
ところが,驚くべきことは,その翌年である1973年には,早くも三田夕雨子さんという歌手の御方によって,全く同じ楽曲が,かなりの「差異と反復」を伴ったアレンジでカヴァーされていることなのです。
これは,ひとつの典型的な例として,"All Along The Watchtower"についても言えることではござりますが,原曲よりもカヴァー・ヴァージョンのほうが,遥かによか出来になりがちなのは,間々あることなのではなかでしょうか?
この場合,原曲はBob Dylanで,カヴァーは,言うまでもなくJimi Hendrix Experience,もしくは,XTCになります。
つまり,上述の例ほどの差異はないのですが,三田夕雨子さんの『黄昏の女』のほうが,よか出来なのです。とはいえ,もちろん,奥村チヨさんのヴァージョンもばりよかですが。
何と申しましょうか,奥村チヨさんのほうはかなりドラマティックでゴージャスなアレンジ(とりわけ,ストリングスがアタック遅めで入って来るのがたいへんに素晴らしか!&パーカッションが暴れマックス・ア・ゴーゴー!)なのですが,三田夕雨子さんのほうは,クールで淡々としたアレンジの中に,スケールにないちとアヴァンギャルドなコード進行を差し挟む,という感じが何ともとてたまです。エンディング直後のベース付け足しもにくかです。
[イントロ&間奏] Em Am Em Em Am F#7/B7/Em F
イントロと間奏の最後に,キーであるEmの半音上のFをストリングスで差し挟み,再度Emに戻り,何事もなかったように,歌がクールに始まるというのんが,まっこと金剛摩尼宝頂楼閣級に素晴らしかです。
【無上瑜伽】
わけは,ご自分の心に「訊きなはれ」と突き放し,胸の隙間の涙は苦いだけでごわす。こんな黄昏が似合う旅の御方にしたのは,他でもないアンタ! これからの生涯,何を杖にして生きていったらよろし?
Am Em F#7 B7
わたくし,ただの男と変わりがないわと思う。
末筆と成りましたが,この30年間ほど,「マリコの部屋」のことが,とてたまに気になっております。
「悪女」(作詞&作曲:中島みゆきさん)の発表年は1981年ですから,その時点で『徹子の部屋』は,放送が開始されてから常に既に5年間が経過していると言っても過言ではありませぬ。