2023.01.18更新

鬱と弱者への攻撃は表裏一体

ここ数年の世の中の情勢を見ていると、全体的にウツウツとしているように思えます。

端的にいって、コロナが原因なんだと思いますが、目にみえないものが猛威を振るっているときの対応というのは、苦し紛れの姑息的だったり的外れになってしまいがちなんだなと、これまでの流れをみていると、どうしてもそう思ってしまいます。

とはいえ、もうすでに緊急事態宣言やらまんえん防止やら、自粛施策はなされていないにもかかわらず、どうしてこうも殺人のような凶悪犯罪や、無理心中や自殺、DVを報じるニュースが連日続くのでしょうか。

自らの方向へ攻撃をしてしまうとそれは自殺になるし、他者へとなるとそれは虐待や殺人や傷害といった犯罪になりますが、それは基本的に表裏一体であると思います。

また、ウツウツとしている状態から八つ当たり的な怒りで発散してしまうことや、ウツから転じて他者へ攻撃する行為というのは、もうそれは紙一重の違いであって、誰でも犯罪者になってしまう危険性が、こういう状況では高まると思います。

日頃のうっぷんを晴らすために、他者を攻撃するとして、その対象となるのは、弱者です。

それは、目下の立場の相手だったり、多少甘えても許してくれるだろう相手だったり、立場的に反撃してこないだろうと想定できる相手だったり、という対象です。

例えば自分がウツウツとしていて、自分の環境に対して不満があり、マグマのように常に怒りが内在しているときに、誰だか何だかとにかく自分が攻撃できる対象というのを無意識に探してしまうということはないでしょうか。

ウツというのは鬱と書きますね。うっぷんは鬱憤と書きます。

鬱と憤りとは表裏一体というのがこの言葉の組み合わせからも理解できましょう。

その鬱憤を晴らしたいとき、たとえばあおり運転をするとしますね、そういうとき、スモークガラスで覆われた黒塗りの大きなベンツに対してあおり運転をした事例がかつてありましたかね?いろいろあおり運転の事件は過去に多数あったと思いますが、少なくともニュースで取り上げられた事例においては、そういう車相手にあおったという事例をみたことがありません。

街を歩いていて、酔っ払って気が大きくなって、誰かにぶつかって因縁をつけてやろう、という場合、わざわざ暴力団やチンピラの風貌の人間を対象としようとはしないでしょう。そんなのは武道の実践練習を目的とした昭和時代の武道家のみの話でしょう。

つまり、自分が苦境にいるとか、さえない状況にいるからといって、結局は反撃してこない相手や弱者にのみ選択的に攻撃する、ということは、完全なる負けなのです。そこに気づかなければならない。SNSで匿名に隠れて攻撃するのも同じことです。

そして、自分が弱いことを隠すために、あえて見た目を怖いように見せること、というのも、おのれが臆病者であることを周囲に示しているだけのことだと、早いうちに気づくことが、負け犬人生から脱却するために必要だと思います。

本物の大物は飾りません。飾りはあくまでも真実をみぬくことができないレベルの大衆にのみ有効な威圧手段であり、本質に生きる人間にとっては何の価値もないどころか、逆に信用できない小心者をアピールする要因としてしか映りません。

イライラして他者を攻撃したい気持ちになっていると自覚したならば、病院で治療をすることをお勧めします。投薬治療も有効だし、人に話を聞いてもらうだけでも治療になります。そしてその原因が過労なのか、人間関係なのか、お金なのか、本当の理由を見つめて、直線的に解決するように行動すること。それがまた根本的な治療になります。

コロナでどんどんコミュニケーションが菲薄化し縮小していくことは、社会性動物という人間にとって、病気の原因となります。人をネガティブにさせるようなニュースばかりを報じるテレビやインターネットからも適切に距離を置くことも大変重要です。