タイトル通り

 

「OOも立派な戦術です(だから否定しないように)」というのは対戦ゲーではよく見る文言だけど、個人的にはこの言い回しが好きではない

 

似たようなので「システム上許されるからなにも悪くない(だから否定するな)」も好きじゃない

 

たしかに文句を言ってもどうしようもないことがほとんどだが、それは「文句を言うこと自体許さない」とか「絶対的に許されている」ということではないはずで、そりゃ対戦ゲーだもの、文句の1つや2つ出るのがむしろ自然だろう

 

たとえば格ゲーで嘘くさい強判定技は常に文句言われるし、それがおかしいとも思わない。まして戦法となるとプレイヤーの意思でやってるわけだから余計に文句言われてしかるべきだろうと思うんだよね

 

 

たとえばスマブラSPのガン待ち問題。行動後の隙をとがめるのが強いから、自分からは一切仕掛けず、相手が攻めてくるのをひたすら待つ。飛び道具を脳死で投げ続けひたすらそればかりを繰り返す。崖際で強いキャラでひたすら崖つかまりで待つ。いずれも相応の腕があれば対処可能ではあるからバランス崩壊はしていないが、しかし低中レベル帯は猛威を振るう上に対処に過大な負担が発生し、なによりまったく楽しくない徒労感のかたまり

 

こんなの、どこが立派な戦法だよ、と思う

 

少なくとも正々堂々と戦ってはいないわな。褒められた行為ではないだろう

 

しかも「システム的に許されてるからアリ」と「勝つための最適解がそれなら正しい」との相性も最悪。これを通すと「勝つためならルールの穴を突いてどんな卑怯なやり方をしても許される」という結論になってしまうわけで、フォックス体力制ガン逃げも、待ちガイルも、というか大抵の盤外戦術すら許されることになる

 

昔、遊戯王の有名プレイヤーが公式大会出場のための戦績記録カードを、紛失と偽って再発行=すでに記録された悪い戦績をリセット、という手順を使って大問題になったことがあるが、これも「勝つための最適解」「ルールの穴を突いてるだけ」という意味ではOKということになる

 

「OOお立派な戦術です」と口にするのは、自分は心が広いと酔ってるのかもしれないが、実際は行くとこまで行けばただの「やったもん勝ちへの加担行為」でしかない

 

 

 

そもそもぼくらがゲームをするのは勝つためではない、楽しむためである。勝つことは楽しむための手段であって目的ではない。だから勝つことを至上にしてしまっては本末転倒なのだ

 

対戦ゲーでは壊れキャラというのがたまにいる。ジョジョのペットショップや、ガンガンのフリーダムがわかりやすい。そういったゲームが成立しなくなるようなキャラを封印してプレイをするのは、プレイヤー側の「楽しむための努力」ということになる

 

しかし勝つことを至上命題とするんと、ペットショップやフリーダムを使うことがむしろ大前提になる。それによってクソゲー化しようが関係ない。なぜなら勝つことが最重要だからだ

 

初心者であることや動きの癖を後ろから確認してから(情報アドをとってから)乱入するのも、相手のデッキを背後で見て覚えてから、メタカードを大量に刺して対戦を申し出るのも「勝つための努力」であるから全然OKなのだろうか?普通に考えて、ここで首肯する奴はほとんどいないだろう

 

たしかに、どんなにバランスが良くても、ほんの些細な強さでも文句はでる。CoD BO2の時代にファインダー(ADS視界に敵が入るとフォーカスされる。周辺視界は悪くなるのに、敵はどうせ視界に入ってるという意味では利点はあまりない)がさんざん文句言われてた時点で、完璧なバランスなど不可能だとわかる

 

しかし線引きが難しく程度問題であることは、なにをやってもいい、という免罪符にはならないはずだ。「OOも立派な戦術」というのは、この免罪符を与えてしまう、というところに一番大きな問題がある

 

サッカーでは「非紳士的行為」は反則になる。曖昧なルールだが、卑怯なふるまいはするな、ということであるし、それは「まずお互いが紳士でなければ対戦自体が成立しない」ということを意味してもいる。実際は痛いフリごろごろ、観客が審判脅して不公平裁定と紳士のスポーツからは程遠いが、少なくとも理念としては正しいことを言ってはいるだろう

 

卑怯な戦法というのはプレイヤーが卑怯である、ということでしかない。そして卑怯な人間と相対するということ自体が不快であるから、それはルール上OKとか、腕があれば勝てるとか、そういう話じゃなくて「そんやつと一緒にプレイしたくない」なんだから、そんなこと言っても毒にも薬にもならない

 

卑怯な手で勝っても残るのは悪名だけ。そんな人間にはなりたくないし、認めたくもないわな