3/13現在、いわゆるモリカケ問題は完全に明後日の方向に突入して、一つの山場を迎えている
森友学園に関わる公文書において14点の書き換えが発覚したというのである。それ自体はゆゆしきことではあるだろう(まぁ、本当に全部調べたら全国のあらゆる省庁で起こっていることだろうが)
野党はこれを大々的に取り上げ内閣総辞職を要求しているらしい
え?なんでそうなるの?
公文書の書き換え(改ざんでもいいが)があったとして、それは担当省庁の責任問題であり総理に飛び火するのは筋違いもいいところだ
公文書の改ざんを行なった末端職員、その監督を怠った上司(この場合は近畿財務局の責任者か、理財局長)が処分を受けるのが本筋である。財務省トップ級人事(今回は佐川長官)の指示によるものであれば、その監督責任を怠ったとして財務大臣が処分を受けるというルートもあるにはあるが、基本的に不祥事における処分というのは
実際の犯人 + 管理を怠った上司
が関の山のはずだ
しかも責任取りポストである大臣と違って、一国の元首というのは軽々にクビを挿げ替えていいものではないのだ。だから閣僚の不祥事があっても総理大臣が辞職する必要などほとんどない
派遣社員が大きな不祥事を起こしたとしよう。派遣会社の社長が引責辞任することはあるかもしれないが、その社員を使っていた会社の社長が引責辞任するなんてことがあるだろうか?ないだろう
野党が要求している首相退陣というのはそういうレベルの飛び火具合である
鬼のクビを取ったかのように騒いでいる朝日新聞はどうだ?朝日記者が痴漢や暴行、大きな犯罪を起こしたって社長は引責辞任しないではないか。それはおかしくはない。社長にすべての社員の監督責任などないからである
ましてや総理大臣にすべての官僚の監督責任など負わせようがないではないか
・官僚統制の仕組みとしても、前例を作ってはいけない
今回の争点はむしろここだと言いたい。要するに官僚の不始末が総理大臣のクビに及ぶなら、それは逆に官僚が総理大臣のクビを脅かすことになるので、絶対にあってはいけないのである
日本のように巨大な官僚機構だと、その巨大さゆえに官僚は強い権力を持つ。実際に日本の政策は官僚が決めているし、責任を政治家に負わせてやりたい放題だ
ここでもし、今回の件で総理辞任という前例=官僚の不始末は総理の引責辞任、という形を作ってしまうと、官僚は気に入らない、都合の悪い総理や大臣をわざとミスすることでいつでもクビにできるという方法論を確立してしまうのである
わざと文書を改ざんし、わざとマスコミにリークすればうるさい大臣や総理を潰してしまえるのだ。官僚は人気商売ではないから、責任の所在を有耶無耶にして辞任するフリだけして、結局天下り先に収まってしまうなり別ポストに映るなりすれば邪魔な政治家だけを簡単に排除できてしまう
こうなると、官僚がそれを脅し文句に使うことで政治家は言うことを聞くしかなくなってしまう。こうなったら天下り規制も既得権益の打破も不可能だ。それこそ官僚がやりたい放題できる国家になってしまう
文民統制は軍を政府が押さえる仕組みだが、同じことは政府が官僚を押さえる、という意味でも適用されるはずである。軍隊が好き勝手やってはいけないように、官僚も好き勝手やってはいけない。それを押さえる役割を政府が担えば、間接的に民が官を統制することになりそれは正しいのであるが、官が逆に政府を支配してしまえば官僚は選挙で選んだりもできないから、在民主権でなくなり、官僚主権に成り下がってしまうのである
だからこれは自民党だろうが旧民主党だろうが、なんなら共産党や社民党が与党であったとしても民が官を統制するために守らねばならない一線なのであり、官僚の不祥事で総理大臣が辞任することはあってはならないのだとぼくは主張する