「助産師になりたい」という思い一新で学内の勉強を頑張った。特に生物が好きだった。嫌いな英語の勉強の隙間時間に生物の問題を楽しく説いていた。学内の成績も悪くなかった。
生徒会長もした。
指定校推薦という手もあったが、私がどうしても行きたい大学があったので公募推薦を出してもらい、受験に挑んだ。
文章を書くことは好きで自信があった。小論文は得意な方だったと思う。公募推薦の受験科目は小論文と面接だ。これだけで合否が決まってしまうなんて、普通に受験勉強をするなんてばからしいと思っていた。公募推薦といえど、これまでの自分の努力と熱量があれば絶対に受けると思っていた。神様は私を受からせてくれる、そう思っていた。
公募推薦当日、そんな神頼みな私に天罰が下ったのか、39.0の高熱がでた。一緒に受験について行ってくれた母親は鎮痛剤を葛根湯を買ってくれた。それを飲んで何とか受験をしたが、結果不合格となってしまった。そもそも実力がなかったのだろう。今考えたら当たり前のことだ。のちに面接が失敗したのは母親が葛根湯を買って飲ませたからだとか変なことを言って母を悲しませてしまったことは今も後悔している。
絶対に公募推薦で受かると謎に確信をもっていた私は不合格を目にしたとき、ひどく落胆し、1週間ずっと泣いていた。そしてなんで自分だけ..と、推薦で受かった人を許せなかった。
そこから私の大学への受験勉強は始まった。
とはいえ、英語は壊滅的に苦手だった。偏差値は38。それなりに英語の勉強は幼少期から塾で勉強をしていたものの、長文になったら英単語がなにかの記号にしか見えなかった。生理的に無理になっていた。英語はどの大学も必須科目,苦手で済む話ではなかった。やるしかなかった。
ある時、高校で同じクラスの子推薦で大学が決まった子が「カラオケ行こー」とか「家帰ってDSやる」とか言っていた。うらやましかった。努力が報われない自分の人生を友人と比較して悲しくなった。
結果、助産師の専攻がある大学は惨敗。看護師の資格のみ受けれる大学は合格したが、その他にも安い公立の3年で看護師の免許が取れる専門学校にも合格していたため、泣く泣く滑り止めで行く気のなかった学費の安い看護師の専門学校に行くことになった。
悲しんでいたら妹から「お姉ちゃんは大学に行きたいの?助産師になりたいのどっちなの?」と聞かれた。どっちもだった。叶わなかった。悲しかった。
努力は報われないのだと悟った18歳だった。
でもこの選択が将来の自分の土台を作るなんてこの時思ってもいなかったのだ。