ついこの間までの 数週間、

人生、ひっさしぶりの課題に 取り組まされていました。

覚え書きとして、記そうと思います(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)




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10代のころ、わたしには、どこにも居場所のない感覚が ずーっとあった。

家族の前・友達の前・ひとりのとき、どれも ウソのわたしで居る感覚。


20歳になるころには、家族(母親)を壊さないと、わたしの意思でわたしの人生になることはないと思っていたし、

経験値の低すぎる自分のこれまでも そのときの状況も 容姿もなにもかも、とにかくコンプレックスの塊で、ずっとずっと消えてなくなりたい感覚を持ち続けていた。


そのころ、この人に会えてなかったら どうなっていたんだろうってくらい ステキな人に出会って、やっと ほっとできる居場所を 手にした。


その4つ上のお姉さんには、本音で なにも包み隠さずに 話せた。そんな人と場所を得て ほんとの自分で居られた(と感じた)時間。

そこから、そのお姉さんみたいに

「必要とされる人になりたい」

「出会えて良かったと言われる人になりたい」

と わたしの旅がはじまってった。


一体 わたしはどこの誰で、

なにが ホンモノのわたしなのか。

その答えを探して 求めて、

わたしにとっての このお姉さんみたいな人になりたい!って必死だった気がする。


それが、この数週間の時間に ひっさしぶりに出てきた。


《誰かに必要とされることで 計る 自分の価値》

この感覚。


「必要とされていない、そう感じる この場所で わたしはがんばれない。

わたしは そんなに強くない」

この度の出来事のなかで、関係者に対して そのセリフを口にした途端、明らかになにかが決壊したな と思った。


『無価値感』


あぁ。

わたしは まだ だれかの物差しで、自分の存在価値をはかって、自分を傷付けようとしてたんだな、って分かって。


でも、その感情に対して、それ以上 詮索したりすることも それ以上に自分を卑下することも 責めることも…そんなことたちが その続きに起きなかった。


ただただ、

まだ こんなところに こんなわたしが 傷付くのを恐れて 眠ってたんだなって思っただけ。

冒頭の、もう20年以上も前のことを思い出して そんな風に思った。



もうひとつがこれ。

《わたしがわたしで居ると 人を傷付ける》


シロ か クロ。

裏 か 表。

10 か ゼロ。


建前でのお付き合いが苦手。

本音で 関係を築くほうが、ウソ偽りなくて 楽チン。


だから、

言葉を濁す とか

ほんとは こう思ってるのに ごまかして言わないとか、

逆に思ってもないことを言って 相手をいい気分させる とか、とてもとても苦手。

そんなだから、よく 急所を突いてしまう(らしい)し。


今回 散々言われたのが、

「コワイ」と 「キツイ」。


と 同時に 言われるのが、

「あなたの意見は正論だ」と

「あなたの言うことは間違ってない」



『あたしが本音(=ありのまんまの わたし)で関係を築こうとすると、かならず上手くいかない』


この感覚は、8年前を思い出した。


長女幼稚園時代の痛い経験。

世の中のみなさんは 本音でお付き合いするもんじゃないんだ…と思い知らされて、第3子妊娠中で うつを発症、あかちゃんお腹にいなかったら 死んでただろーなーってくらい、暗くて重たかった当時のあれが 怖いくらい鮮やかに蘇ってきた。


。。。だけどね、その感情を再びなぞってみて わたしは、

『そうかそうか。そうだったんやな。

よく がんばってきたし、よく がんばったな』

って 自分だけは分かってやれた◎


今回、過去の ふたつの大きな課題を 再びリアルに味わって、

すごく心地悪かったし、くるしかったし、しんどかったし、痛かったし、泣いた。

自分が 思う以上に 我慢してたみたいで、決壊後 うぉんうぉん泣いた。


そんな風に ドン底までいかないように 必死に踏ん張ってた 小さな自分に気付いて、いじらしくて かわいいかわいい!よしよし!ってしてやれた◎


とにかく まるごとハグ!できるとこまで だいぶこれてる◎


年度末に向けて 体験したこの時間。

これを持って 新年度に向かいます。


きっときっと、あと少し肚に落ちきったら ふた回りくらい成長してるはず! 笑


40歳の春、これからも 自分の人生を ますます面白がってこう! 笑笑