動物は、痛みから快方に向かう途中の快楽によって、物事を学ぶ。

つまり、自分の身体を使って行動し→痛い目にあう→今度は、痛くならない程度に程よく負荷をかけて行動する→上手くいった→報酬物質が脳に流れる、という繰り返しで学習している。

痛みだけでも、報酬だけでも、強化学習は出来ない。

 

こちらにこれ以上動くと危ないよ、という危険信号を示す道しるべが痛みである。

 

若い頃に痛みを感じにくいのは、修復能力が高いので、多少のケガでは命を落とさないからだ。

この修復能力の高さが可動域を拡げ、新たな動きの可能性を開拓する。

 

年を取ると、修復能力が落ちるので、若い頃に比べて命を落とす危険性が高まるため、痛みを感じやすい。

また、痛みの記憶も豊富なので、若い頃よりも痛がりになる。

だから、動きが制限されて新たな事に挑戦しにくくなるので、あまり無理をしなくなる。

 

更に年を取ると、筋肉の修復能力が落ちた上に、今度は神経の伝達能力も落ちていくので、今度は痛みを感じにくくなる。

だから、無理をすると命を落としやすい。

 

指導者は、教育に、しばしば暴力を使う。

つまり、痛みによって、行動を矯正しようとする。

その行動を次からは「やるな」という、行動を規制することを学習するのには、痛みが効果を発揮する。

しかし、新たな筋肉の使い方の開拓にはつながらない。

痛みをともなわずに、新しい筋肉の動きを開拓出来た時、脳に快楽物質が流れる。

「新しい動き」が、「自ら」の身体の筋肉の使い方の試行錯誤を経て出来ないと、快楽物質が流れない。

 

要するに、尊敬しない他者に言われて、何事かをやるのは嫌なものだ。

自分のやり方でやって、上手くいくと嬉しい。


我々は、金に服従するという、金という暴君が権力を振るう独裁国家に生きている。

 

「金がいいから」という理由だけで仕事に就いてしまうと、自らも暴力者の片棒をかつぐ人間になってしまう。

それでは、民間の軍事会社の社員と何ら変わりはない。

 

金への服従というルールを守る子は、金でつながった組織の中では非常に良い子だが、金の力関係が変わると、簡単に敵側に寝返る。

金に服従する者は、人間と人間のつながりを持たなくなる。

 

現代人の多くが、閉じられた狭い世界での生活を余儀なくされている。

核家族、学校、企業などや、SNSなどネット上でも、狭い範囲の関係しか持てていない者が多い。

閉じられた世界で、暴力によってルールを守る集団の中で育つと、次世代にもその伝統を伝えてしまうという悪循環におちいる。

皆が暴力に服従すると、暴力者の支配欲を満足させてしまい、負のループがやまない。

そういう中で育った者は、自らの試行錯誤を経た、新たな開拓による満足という報酬を経験出来ない。

そうすると、権力者にただ従うことで報酬を得る事が「善」だと、大脳が勘違いしてしまう。

しかし、金のためにやらされていることに身体は気付いており、長いことやりたくないことを無理にやっていると身体を壊す。


もしも、「身体より金が大事」という価値観で生きるのなら、金のためだけに、その仕事を選んだのなら、身体を壊すのを覚悟してのぞまなければならない。

もし、身体を壊したくなかったら、嫌な仕事はするな。