人類は、大脳の発達で分別すること、すなわち、切り離す考え方によって科学社会を作り上げてきた。

この思想の行き過ぎが、冷たい人間を作り出している。

 

エアコンの普及が外気温を上げ、人間が自力で体温調節する能力を弱めている。

自分の周りだけを快適に保てていれば、外気温が上がっても仕方ないという考えである。

 

金によって人とのつながりが切り離されている。金を払えば感謝の気持ちをあらわす必要はない、という人が増えているように感じる。

 

財産を共有する集団を法制度化し、家族単位で分割している。

子育ては本来は社会全体で行うべきだが、親権があることにより、むしろ親子が社会から切り離されている。

 

心と身体も分けて考える人が多い。

これらのことがLGBT問題を引き起こしている。

恋愛するのにも、自分の体感より、大脳の判断や他人の目を気にする傾向が強いように見受けられる。

恋愛は理屈ではない。人間の自然部分と後天的要素、多種多様な事象が複雑に絡み合っており、理屈で説明することは、ほぼ不可能である。

例えば、人の好き嫌いは、性差に関係がない。

人類は性差に関係なく愛することが可能である。だがその境目には個人差がある。

性欲も進化とともに、生殖活動と切り離されてきたため、ヒトは状況によって、同性や獣、道路にも欲情する。欲求であり、反射である。

好き嫌いや欲求、社会、生い立ち等々、心と身体の様々な要素が複雑に絡み合い恋愛が起こる。

 

この切り離す考え方が人間の熱を下げている。

体温も下がっているし、考え方も冷めている。

現代人は、もっと発熱してもいいのではないかと思う。

風潮として、身体的発熱に歯止めをかけすぎているように感じる。

 

仕事に没頭したり、バカみたいに遊んだり、燃えるような恋をしたりする中で、もっともっと人間同士の熱伝導が広まれば、温かい社会を作れるのではないか。

そうすることで、人間と大気との熱交換で地球の温度を下げ、温暖化に歯止めをかけることができるのではないか。

この理屈は単純すぎるかな。